今週金曜日に、太宰治の『お伽草紙』をテーマとした修士論文の口頭試問に副査として審査に加わる。そのために『お伽草紙』を先週久しぶりに再読した。太宰の物語作者としての文学的才能が遺憾なく発揮された傑作だとあらためて感じ入った。奥野健男のように太宰の「芸術的最高傑作」として推すかどうかは意見の分かれるところだろうが、日本人なら誰でも知っているような昔話にその話の枠組みを借りながら、それを見事に換骨奪胎して、登場人物たちそれぞれの個性を驚くほど生き生きと描き分け、その中につねにユーモアが込められ、さらにそのユーモアの中に硬直した倫理観への鋭い批評精神を包み込むその筆力は他の追随を許さないと言ってよいのではないかと思う。
しかし、今回読み直してみて、この作品が実に用意周到な戦略に基づいて構成されていることが特に強く感じられた。「瘤取り」のはじめの方で言われているように、「絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す」ことに成功しているだけでなく、「舌切雀」の中で言われているように「太宰という作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかり」を描き出しただけでももちろんない。太平洋戦争の最末期、激しい空襲が繰り返される東京都下に家族とともに留まり、そこでこのような作品を書き始めたことに、当時の時代の空気に対する作家としての矜持をもった決然としたレジスタンスの姿勢を私は感じた。
それだけではなく、戦争の最末期に書かれたということは、執筆中に太宰はすでに戦後を見据えていたということでもある。初版の出版は1945年10月である。翌年2月に第二版が出版される。この二つの版の間には無視できない違いがあるのだが、それはさしあたり措く。いずれにせよ、この作品の最初の読者たちは敗戦直後の占領下の日本人たちである。
この作品には、正義の見方も極悪非道の権化も登場しない。根っからの善人も度し難い悪人も登場しない。「浦島さん」の曖昧模糊たる乙姫を別とすれば、皆どこかに弱さや矛盾を抱え、傑出した何かをもっているわけでもなく、それこそ「凡庸な」人たちである。それらの人たちの間に否応なく不幸が生まれてしまう。誰かを断罪して済む話ではない。
スローガンの欠片もイデオロギーの破片もここにはない。「鬼畜米英」などと鬼呼ばわりされる人物も出てこない。戦意高揚ポスターに頻繁に登場していた桃太郎のようなヒーローは結局自分には手が出せないと、その理由をくだくだと述べているのはただの饒舌でも韜晦趣味でもない。民主主義への手のひら返しもない。
どこか滑稽で愛おしい凡庸な人たちの凡庸な日常こそが尊い、そのような「善悪の彼岸」、いや、善悪以前の此岸こそが私たちの戦後の出発点なのだ、そう太宰は言いたかったのでないだろうか。