内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

プラトン再読を通じて現代社会の問題を考える」

2021-09-18 23:59:59 | 講義の余白から

 昨日のメディア・リテラシーの授業の最後の15分間で、プラトンの「洞窟の比喩」をメディア論として読む、あるいはそれをメディア論に適用する可能性について、足早ではあったが話した。
 その話を始める前に、学生たちに、高校最終学年の哲学の授業でプラトンの「洞窟の比喩」の話を聞いたことがあるかと尋ねたら、予想通り、皆頷いていた。彼らがどれくらい正確に内容を覚えているのかはわからないが、哲学の古典中の古典が、たとえその一部であれ、文系・理系を問わず、高校生たちに共有されているのは、フランス中等教育が誇ることのできる点の一つであろう。
 そのおかげで、プラトンが用いた種々の比喩のなかでも最も有名な「洞窟の比喩」についての詳しい説明は省いて、いきなり本題に入ることができた。つまり、「洞窟の比喩」の構図のどこをどう読み替えれば、本来イデア論の表象モデルであったこの比喩を現代世界のメディア論に導入することができるのかという話である。
 「洞窟の比喩」のメディア論への応用について学生たちが示した関心に勢いを得て、一旦は授業で取り上げるのを諦めた『パイドロス』のムネーメ―とヒュポムネ―シスとの違いの話もやはり来週することにした。なぜなら、こちらの話は、現代テクノロジー社会における記憶あるいは記憶媒体のあり方を根本的に問うための基礎的な枠組みを与えてくれるからである。さらには、その枠組みの中で、現代社会に遍く流通している具体的な事物に即して問題を先鋭な仕方で考えることをも可能にしてくれるからである。