内的自己対話-川の畔のささめごと

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黙示的未来描写の実存的な意味という残された問題

2021-11-08 00:00:00 | 読游摘録

 昨日の記事からの続きで、『ヨハネの黙示録』(講談社学術文庫)の解説の「六 文学的・思想的特徴」の後半から摘録する。

 著者は旧約聖書を利用するために徹底的探査をしているが、それは想像力の欠如のせいではなくて、キリストのゆえに信徒が耐えている苦難は預言されていなかったわけではないことを説明したかったからである。旧い預言は現在の状況を明らかにする機能を持っており、彼は旧約預言をその機能から説明する。それは歴史全体を統率する神の計画の一部をなしている。現在時の迫害における患難は、エジプトで奴隷とされたイスラエル人の苦難や、セレウコス王朝でユダヤ教を弾圧したアンティオコス・エピファネスの宗教政策との戦いにおけるイスラエル人の苦難と同じものである。神の言葉は永遠に留まり、救いの約束は古代にも有効であったと同じく、常に力強く、現実的であり続けるという確信からの旧約探査であった。
 本書は教会史のあらゆる時代を通じて、新約聖書の中では普通でない幻視的また象徴的な内容とその難解さのゆえに、神学的には絶えず論争の的となった。そのことは、本書が古代教会において最終的に正典文書の中に位置を占めるまで、とりわけ東方教会においては根深い疑いがあったことからも明白である。それは今日においても変わらない。黙示録に「終末史についての真正の使徒的記述」を見いだす者もあれば、ただ単に「われわれの信仰の歴史における歴史的危機の貴重な記念碑」を見いだし、そのキリスト教は「わずかにキリスト教化されたユダヤ教」にすぎないとする者もある。
 今日、黙示録を解釈するための学問的方法については、広範な一致が見られる。本書を著者の意図にそって、時代の隔たりを越えて理解するためには、表象や象徴の伝承上の意味を問い(伝承史)、著者がどのような近い終末の待望を告げているかを確定し(終末史)、著者の現在との関連づけから、終末が現在時にどれほど実現しているとみなされているのかを観察する(時代史)ことを欠くことはできない。これらの方法を用いて、個々の表象や象徴の意味を比較的正確に確定することは可能である。
 本書に反復や矛盾があり、またイエスの過去の顕現や教会の現在的な経験が終末史に織り込まれていることは、信仰者にとってのみ理解可能な、本質的な歴史の全体像を伝えようとしたことを示している。しかし、その本質像を作り上げる表象や象徴は、新約聖書の中心的な告知と緊張関係に陥る、ないしは矛盾する古代の世界像あるいはユダヤ教やヘレニズムの思想をも前提としている。それゆえ、本書において告げられた終末論的歴史観がどの程度その他の新約文書の使信内容と一致するのか、また、現代のわれわれにとって異質なその黙示的未来描写が、今日のわれわれにどのような実存的な意味を持ち得るのかという点について、今後なお説明されるべき本質的な問題が残っている。