内的自己対話-川の畔のささめごと

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ビザンティン美術では、なぜヨハネ黙示録が宗教図像から排除されたのか

2021-11-10 23:59:59 | 読游摘録

 『ヨハネの黙示録』(講談社学術文庫)に収められた図版の解説を担当しているキリスト教図像学の専門家である石原鋼成による解説文「「ヨハネの黙示録」の図像学」によれば、ヨハネ黙示録の豊富なイメージの世界が、宗教・文学・思想のみならず、政治的・社会的にも、ヨーロッパ精神に深い影響を及ぼしている。
 その解説の中で、美術史におけるその影響に関して、東方教会世界と西方教会世界とのあいだに見られる大きな違いについて述べられている箇所が特に私の注意を引きつけた。
 ヨハネ黙示録の図像は、初期キリスト教美術からカロリング朝美術、ロマネスク美術、ゴシック美術、さらのミケランジェロ、ファン・アイク、デューラー、ハンス・メムリンク、エル・グレコなど、各時代のさまざまな様式の中で描かれ、多くの傑作を生み出した。
 ところが、ビザンティン美術では、黙示録は、ごく一部の例外を除いて、宗教図像のなかから除外されていた。その理由は何なのか。石原氏による説明は以下の通り。
 ビザンティン美術の理念は、古代ギリシア・ローマの古典主義的伝統のもと、すべての現実は宇宙(コスモス)の中で空間的に互いに秩序づけられており、万物は宇宙の秩序のうちに正しく配置されている、というところにあった。したがって人間も「理性的」にこの世界を洞察できる。このような思想的土壌では、黙示録のような人間理性を超絶する不思議なヴィジョンの連続など入り込む余地はない。
 他方、西方教会では、そのテキストとイメージの超絶性ゆえに、ヨハネ黙示録の図像表現が早くから望まれ、物語の全体にわたる連作も試みられた。ヨハネ黙示録の象徴は、初期キリスト教美術の中にも早々と取り入れられていく。
 東方教会と西方教会との間に見られる、ヨハネ黙示録に対するこの真反対とも言える姿勢の違いをどう理解したらよいのであろうか。