丸山眞男は、『葉隠』について、1965年度の「東洋政治思想史」講義の第二章「武士のエートスとその展開」においてかなり詳しく立ち入って論じている。
丸山が『葉隠』について強調するのは、その思想がもつ鋭い両義性である(苅部直『日本思想史への道案内』)。その「偏狭な排他性(particularism)」には批判的であるが、それを徹底化させたところに形成された顕著な思想的特質に注目する。
『葉隠』の顕著な思想的特質は、もっとも閉鎖的な particularism をつきつめたところに、それを突破して新しい地平線をのぞかせている点にある。釈迦も孔子も鍋島家に奉公していない以上は無用であると言い切るほどに狭隘で閉鎖的なモラルは、幕藩体制下における universalism の喪失の極限形態である。にもかかわらず、鍋島の主君への〈献身的〉奉公以外には目もくれない、徹底した particularistic な立場において、まさにそれが全人格的なコミットメントをラディカルに押しつめたがゆえに、通常の身分的忠誠倫理の次元から飛躍して、ほとんど宗教的次元にまで飛躍した思想が展開される。そうして、ここでは超越的普遍者への傾倒から主体的な人格観念が生まれる経路と全く逆の方向を辿りながら、やはり一種独特の個人的主体性が、強烈な能動性をはらんだ inner-directed 〔内部志向的〕な人間類型が打ち出されてくるのである。(235頁)
忠誠そのものを絶対化することで、現実の忠誠の対象である主君の在り方如何にかかわらず、己の内に確立された内的道徳律に従って、自律的で能動的な行動を可能にする思想が表明されている点において丸山は『葉隠』を積極的に評価しているように思われる。