内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「読まずに読め」― 全部読まずにテキストを理解するための方法

2021-12-10 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の「近代日本の歴史と社会」では、懐徳堂について二時間かけて話した。設立当時の大坂の経済的繁栄と町人たちの学問への情熱、懐徳堂の理念と精神などについて、苅部直の『「維新革命」への道』(新潮選書 2017年)第四章「大坂のヴォルテール」とそこに引用されている宮川康子の『自由学問都市 大坂 懐徳堂と日本的理性の誕生』(講談社選書メチエ 2002年)に主に依拠して説明した。富永仲基について話す準備もしてあったのだが、時間が足りなくなったので来週の授業に回した。来週が前期最終回である。
 この授業の直後に「メディア・リテラシー」の授業がある。こちらは一時間で、履修コースの違う二グループに分けて、同じ授業を繰り返す。繰り返すといっても、第二グループの日本語能力はかなり落ちるので進度が遅い。同じテキストを読んでいるが、量的には第一グループの半分もいかない。
 第一グループの授業の終わりの方で、来週発表する試験問題について事前説明をした。試験は一月十四日だから、試験問題発表から試験までノエルの三週間の休みを挟んで四週間ある。今回は、その四週間の間にかなり長い日本語のテキスト読解を試験準備として課すことにした。そのテキストは授業内容と密接に関係があるが、授業では取り上げなかったテキストである。このテキストがちゃんと読めていないと答えられないような問題を出す。問題に対してテキストを無視して自分勝手な答えを書いても合格点はあげない。そう説明すると、教室が少しざわついた。テキストの量が多いと思ったのであろう。
 その反応は無理もない。彼らが受講している私の三つの授業の試験はいずれも同じ小論文形式(一つは日本語)で、かつ未知のテキストの読解を前提としている。つまり、三つの異なったテキストを休み中に読んでおかなければならないわけで、これにはかなり時間がかかるだろう。それにこの三つの授業では、各月末のレポート提出も課しているから、十二月末までに彼らは三つレポート(一つは日本語)も提出しなくてはならない。他の授業の試験も一月第二週にある。これではノエルから年末年始の休みも勉強に明け暮れなくてはならないではないか。そう彼らが思ったとしても不思議ではない。
 そこで、授業の終わりに、少し早めの「クリスマス・プレゼント」として、読書法について少しアドバイスした。
 一言で言えば、「読まずに読め」ということである。つまり、全部読まずにテキストを理解するための方法を「伝授」したのである。この方法は、間テキスト的ネットワーク読解法とテキスト内在的論理的読解法との組合せからなっている。授業では後者について主に話した。
 原則そのものは簡単である。テキストの基本的主張を捉えたら、そこで読書を一端中止し、その主張から論理的に導き出せる諸帰結の可能的連鎖を自分の頭で考え、その作業が一応終了したところで、その導かれた帰結が実際にテキストに書かれているか確認する。表現は異なっていても、自分が導き出した帰結とテキストの論述が一致していることが確認できたら、そこでそのテキスト読解は終了である。
 もちろん、実際にはこんな簡単にはいかないことも多いし、この方法でテキストのすべてが理解できるわけでもない。導出した諸帰結とテキストの論述が一致しない場合、それはテキスト側の展開に問題があるからなのか、こちら側の理解に問題があるからなのか、それをもう一度テキストに立ち返って検討し直さなければならない。それに、この読書法を適用するのは、各分野の古典的名著や高度な専門書に対してではない。一般向けに書かれたテキストを主な対象として想定している。学生たちに与えるものそのレベルのテキストである。
 しかし、始めから終わりまで順に読んでいかなければテキストは理解できないという思い込みに囚われていることが多い学生たちには、その呪縛から解放されることが、より速く的確かつクリエイティブな読書ができるようになるためにまず必要なのである。「読まずに読む」読書法は、その呪縛から自らを解放するための方法なのである。
 学生たちは実によく耳を傾けて「伝授」を聴いてくれた。こういう読み方もありなのだということは納得してくれたようである。
 実際には、「読まずに読む」読書法を一朝一夕に身につけることはできない。そもそもその前提として、論理的思考力がしっかりと鍛えられていなければならない。それにはどうすればよいか。そのために役に立つ書籍も多々あるが、それらの書籍を漫然と読んでいるだけでは、やはり論理的思考力は鍛えられない。結局、論理的思考力も「読まずに読む」読書法の実践を通じて鍛えていくのが一番効率的だろう。
 さあ、あとは実践あるのみだ、学生諸君。