先週半ば、来夏の集中講義の希望時間割に関する問い合わせメールが東洋大学大学院教務課から届いた。2011年から2019年まで9年間連続で哲学科修士課程の「現代哲学特殊演習②」という科目を担当し、2020年も担当する予定でシラバスも作成し、日程も決まっていたが、コロナ禍で休講となった。今年の夏はストラスブールから遠隔で行った。そのときのことはこのブログでも記事にした。
届いたメールには、「来年度は原則としてすべて対面で行う予定ですので、その前提で希望時間割を提出してください」とあった。コロナ禍以前は、ただ「希望時間割を提出してください」という一言でよかったし、メールを受け取った方もそれに何の疑問を抱くこともなかった。実際、授業は予定通りキャンパスで行われた。それが「当たり前」であった。
しかし、来年度、果たして本当にすべての授業が対面で行われるのか、来夏、感染状況はどうなっているのか、今の時点では確かなことは言えない。「先のことはわからない。」昨年のコロナ禍発生以来、これはもはや単なる常套句ではなく、日常的な、ほとんど恒常的な実感である。
シラバスは近々準備する。来年9月にパリで4日間に渡って開催されるかなり大規模な翻訳学国際シンポジウムに参加することが決まっているので、そのときの発表テーマとリンクした演習内容にするつもりだ。
「先のことはわからない」という日常感覚の中でこそ、研ぎ澄まされた形で確かに見えてくるものがある。そこに思考を集中させたい。