ストラスブールに赴任してきてから今年度が八年目になる。最初の四年間は、当時現行のカリキュラムの枠組みの中で授業を担当したので、それぞれの担当授業の目的に沿って、それまでの方針を尊重することを原則として授業計画を立てた。赴任五年目に新しいカリキュラムに移行した。そのカリキュラムの作成には最初から専任の一人としてかかわり、また学科長として最終的なまとめと実施に伴う諸手続きに直接関与した。
以来、学部最終学年である三年生(修士はまた別の話)の二コマ「日本の文明と文化」(日本語のみで行う授業)と「近代日本の歴史と社会」(説明言語はフランス語で、読解テキストは日本語)を担当しているが、当初から私が担当するという前提で構想された授業ということもあり、それ以前のカリキュラムに比べて、授業内容及び方式に私自身の創意工夫が盛り込みやすくなった。
しかし、そのことは学生たちの受けがよいということとは必ずしも直結しない。私自身が強い関心を抱くテーマ群を中心に授業を展開することが彼らの関心と呼応するとは限らないからである。
それに、これは年々強まる思いなのだが、学生たちの関心の偏りと浅さへの失望である。いったい彼らは日本の何が知りたいのだろう、何を学びたいのだろう、日本から何を学びたいのだろうと自問することがよくある。
彼らの期待しているものがわからないわけではない。しかし、それに迎合することは彼ら自身のためにならない。これははっきりとそう言える。自分たちの狭い関心と視野に入ってくるものにしか興味を示さないようでは、知的に成長することはできないし、方法論的に応用の効く知の技法も身につけられないからである。
そのような現状において、私が基本方針として取っている態度を一言で示すならば、「超然主義」である。「他の動きには関係せず、自分の考え・立場から独自に事を行なう主義」(『日本国語大辞典』)である。この古色蒼然たる言葉は私の大のお気に入りである。学生たちが関心を持とうが持つまいが、ついて来ようが来まいが、知ったことではない。私は私が教授すべきと考えることを教授する。批判を受け付けないというのではない。教授内容に対するまっとうな疑問にはいつも聞く耳を持っており、それには誠意を持って答えてきたつもりである。
これが唯一正しい態度だなどとは、いくら私が傲岸な人間だったとしても思わない。正しいかどうかさえ怪しい。ただ、事実として言えることは、毎年、私の授業を熱心に聴き、優れた答案や小論文を書いてくれる優秀な学生が数人はいるということである。このことだけが、私のやり方が完全に間違っているわけではないであろうことの唯一の証左である。それで私には十分である。