内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

折口信夫『口訳万葉集』の「読みの深さ」から受けた痛棒

2021-12-05 20:37:42 | 読游摘録

 評伝や文学作品はできれば紙の本で手触りを感じながらじっくりと読みたい。ちくま学芸文庫の一冊として昨年刊行された岡野弘彦の『折口信夫伝――その思想と学問』(初版 中央公論新社 2000年)もできれば紙の本で読みたい。が、すぐには入手できないし、日本に発注すると送料が高くつく。
 四年ほど前から頻繁に利用しているハイブリッド総合書店 HONTO で今月12日まで「ちくま文庫」「ちくま学芸文庫」が三割引だ。こういうセールにはからっきし弱い。この機会に買っておかないと損をしてしまうと焦るのである。売り手の思うつぼである。しかも、せっかくの機会だから一冊だけではもったいないと思ってしまうのである。本屋は笑いが止まるまい。
 結果として、今回、『折口信夫伝』の他に三冊買った。前田愛『都市空間のなかの文学』、渡辺京二『維新の夢 渡辺京二コレクション1 史論』『民衆という幻像 渡辺京二コレクション2 民衆論』の三冊である。どれも、日本にいたら紙の本で買っていただろう。
 岡野の折口伝に折口最初の著作である『口訳万葉集』の成立・出版の経緯が詳しく記されている。興味深く読んだ。老生が万葉学徒にならんと志していた若い頃、『口訳万葉集』を読んだ記憶がある。確か河出書房版であった。もう中身はすっかり忘れている。
 岡野の評伝に「読みの深さ」と題された節があり、その中に人麻呂の近江荒都歌について『口訳万葉集』に記された短評が引用されている。あっと驚かされた。人麻呂の近江荒都歌はその直後に置かれた高市黒人の荒都歌より劣っている、「人麻呂のにはまだまだ虚偽が見えてゐるが、之には人の胸を波だたせる真実が籠つてゐる」と折口は言っているのである。
 この「読みの深さ」について岡野はこう説明している。

人麻呂には宮廷御用歌人としての意識があり、黒人は大和宮廷以前の近江の古い領有神への畏敬と、天智帝が近江の神の不興に触れて壬申の乱の悲劇を招いたという、当時の人々の口に出しがたい心の底の暗黙の共感を、率直に歌いだしている。人麻呂の表現にはまだその点で虚偽があるというのである。万葉の歌を通して物心両面から、万葉びとの生活を見ようとする折口の読みの深さであり、こういう点での人麻呂と黒人という同時代歌人の歌に現れた古代的で見分けがたい、しかし著しい相違を、確かに見とどけている。

 今日の大半の万葉学者は折口のこの評価に手放しでは賛同しないであろうが、つい先ごろある学会誌に、人麻呂の近江荒都歌に見られる時間意識の転回点を思想史的観点から論じた論考を発表した身としては、あたかも痛棒をくらったような衝撃を受けた。