内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

プラトンから始まるメディア・リテラシー

2022-02-25 23:59:59 | 読游摘録

 中畑正志氏の『はじめてのプラトン 批判と変革の哲学』(講談社現代新書 2021年)の「はじめに」の次の一節を読んで、そこだけでもメディア・リテラシーの授業で学生たちに読ませたいと思った。

プラトンは探究し、執筆し、そして教育した。そうしたなかで彼が直面していたのは、森羅万象を支える根本原理は何か、よい生き方とは何か、といった「哲学的」問題だけではない。
 当時の人びとに人気を博したホメロスや悲劇・喜劇、あるいは幼年や少年時に施される体育や音楽の教育といった人びとの日常的営みに対してもプラトンは向き合っていた。いやむしろ、そこから哲学を考えていた。そして彼は、日々の暮らしから世界の根源にいたるまでの全体を相手に、批判的に、かつ包括的に考えたのだ。
 そして同時に、そのような考察がたどり着いたところを広く伝えることに腐心した。彼は一般に人びとに何かを伝える媒体(メディア)のあり方にきわめて意識的だったが、とりわけ自分自身の思考が人びとに届くように工夫を凝らした。その著作に、それに触れる人びとの知性と感性にも訴え、反省的な思考だけでなく感情や想像力までも喚起し、そしてそれらを変更する力を与えたのである。それが彼の哲学、「批判と変革の哲学」である。

 前期の授業で『国家』の「洞窟の比喩」と『パイドロス』の記憶と想起(の装置)の問題を取り上げたときは、まだこの一節を読んでいなかった。残念ながら、後期にはもうプラトンに言及する時間がない。
 来年度の前期は、上掲の引用文を授業でも読み、単に現代メディア社会にも適用できるような批判的観点が提示されている部分を作品から切り取って取り上げるだけでなく、それよりも前に、プラトンの対話篇全体がメディアとしての工夫と創意に満ちていることを示し、そこからメディアとは何かという問題に入っていくことにしよう。