内的自己対話-川の畔のささめごと

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西洋的教養の源泉の一つとしてのイソクラテス的なもの

2022-02-28 23:59:59 | 読游摘録

 昨日の記事で言及しかつ引用した二書のうちの一つ、廣川洋一氏の『イソクラテスの修辞学校』は、その副題「西洋的教養の源泉」が示しているように、古代から中世を経て近代に至るまでの西洋的教養の源泉の一つとして、イソクラテスによって確立された文学的修辞的教養をその主題としている。
 プラトン、アリストテレスに比べて、一般的知名度においてはるかに劣り、今日イソクラテスが話題にされることもさほどないし、フランス語に限っていえば、高度な専門研究については知らないが、一般に入手可能なモノグラフィーもほとんどない。しかし、廣川氏によれば、「イソクラテス的教養がローマ世界に及ぼした影響は、プラトンのそれにくらべてはるかに広汎で深刻であった」し、「中世初期の数世紀において文化的・歴史的ヨーロッパの基礎が形成されたとき、ヨーロッパが受け継いだ古典文化あるいは端的に教養理念は、基本的に、イソクラテス的・修辞学的なそれであった」。
 ギリシア的教養における二つの理念は、イソクラテス的な立場とプラトン的な立場とによってそれぞれ代表される。哲学思想の領域では、前者は、「道徳的・実践的な価値が学問・知識の対象とならないことを主張し、人間の行為や生きかたにかかわる問題を厳密な学知と同列に考えることを拒否」し、後者は、「実際生活における言論と行為の指針となるべき価値や規範もまた、あるいはむしろこれこそ最もよく厳密な学知として把握さるべきものとする」。
 日本においては、この二つの教養理念のうち、プラトン的な理念は明治以降よく知られてきたのに対して、イソクラテス的な理念はつい最近までほとんど知られることがなかった。その初版が一九八四年に岩波書店から刊行されたこの廣川書によって、ようやくやや広く知られるようになった。しかし、その後、専門研究は別として、イソクラテスがさらに広く知られるようになってはいないようである。
 西洋的教養の源泉の一つとしてのイソクラテス的な教育理念そのものに対する関心もさることながら、実際生活における言論と行為の指針という現実的な関心からも、イソクラテス的な弁論・修辞学は、もっと注目されてよいのではないかと私は思う。
 弁論・修辞学についての私自身の主たる関心はアリストテレスの『レトリック』(弁論術)の方にあるが、そのよりよい理解のためにもまずは廣川書によってイソクラテス的な教養・教育理念について一定の理解を得ておきたい。