内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

つねに揺れ動いている世界という「海」の上の「中道」を歩むべき自律システムとしての「私」たち

2022-02-19 16:47:15 | 哲学

 ヴァレラは、自律か他律かという二者択一的な発想は、現代科学においてはもはや通用しないという点を強調する。では、どのような行き方(生き方)を彼は提案するのか。

 Je plaide en faveur d’une voie moyenne évitant à la fois Charybde (l’objectivité, postulant un monde donné de traits à représenter) et Scylla (le solipsisme, niant toute relation avec le reste du monde). Nous devons être ces navigateurs courageux qui trouvent une route directe vers le point où se produit la co-émergence des unités autonomes et de leurs mondes. Il ne s’agit pas ici d’opposer le système et son monde pour trouver le gagnant. Du point de vue d l’autonomie, le système et son monde émergent en même temps.

 ヴァレラが擁護する、いや、自らその立場に立って研究と思索を推し進めようとしたのは、「中道」(voie moyenne)である。世界は私たち生命個体とは独立にそれとしてあり、私たちが扱いうるのはその表象であるとする客観主義でもなく、「自己」という要塞に立て籠もり、世界との関係を断った(つもりの)独我論でもない「中道」を彼は探究した。そして、その道を、研究者として自ら探究し、歩み、思索を重ね、志半ば、五十五歳で逝去した。
 ヴァレラのいう「中道」は、両極端のいずれをも避ける穏健な路線のことではない。いっそのことそのどちらかに身を任せてしまえば楽になれるかも知れないいずれの行き方(生き方)をも拒否し、複数の自律システムとそれらを取り巻く環境世界がともに創生する地点へと真っ直ぐに向かう航路を探し、見出す勇敢なる「航海士」として生きること、それがヴァレラのいう「中道」だ。閉鎖系自律システムか開放系環境世界か、その勝ち負けを争っている場合ではそもそもないのだ。
 このメタファーはとても示唆的だ。私たちが相対的自律的システムとして「歩む」ことを求められているのは、私たちが生まれる以前からそこにあり、崩れる心配のない安定した「陸地」の上ではない。私たちがそれぞれ自律システムとして生きていけるのは、つねに揺れ動いている「海」の上なのであり、しかも、自律システムとそれがその上で生きていく世界とは同時に生成する。
 私たちが生きてゆくべき「中道」には、本来的に、不可避な脆弱性・不安定性・予見不可能性がある。と同時に、「今ここから、共に」という希望の起点も常に与えられている。