「涼し」は夏の季語。夏の暑さの中にあってこそ感じられる涼気をいう(『俳句歳時記 夏 第五版』角川書店編 角川ソフィア文庫 二〇一八年)。「涼し」は、実際にもっとも涼しい季節(秋)ではなく、ひとがもっとも涼しさを欲する季節(夏)を指している(山本健吉『ことばの歳時記』角川ソフィア文庫 二〇一六年 原本 文春文庫 一九八三年)。「それはもっとも暑い季節であるがゆえに、もっとも欲するものであり、もしそれを得たときは、ことさらにその快味が感じられるものなのである。ほんのちょっとした扇の風や、そよ風や、樹陰であっても、それは涼しいのであって、涼しさに対するひとの欲求の強さが、それを敏感に捉えるのである」(同書)。
此あたり目に見ゆるものは皆涼し 芭蕉・笈日記(真蹟懐紙写・曠野後集)
涼しさを我宿にしてねまる也 芭蕉・おくのほそ道(初蟬・菊の香)
「ねまる」は、くつろいですわる意の東北方言。
佐夜中山にて
命なりわづかの笠の下涼み 芭蕉・江戸広小路
西行の「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」(新古今集)を踏まえる。