内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

墓参記

2022-08-20 23:59:59 | 雑感

 父母が眠る墓地に妹夫婦と墓参りに行ってきた。父が亡くなったのはもう四十七年前のこと、母は八年前である。父も母もクリスチャンであったから、お盆のしきたりは関係なく、霊園が一番混み合うその時を避けての墓参りである。コロナ禍でずっと帰国できなかった私にとっては二年半振りである。
 その墓地は八王子霊園、都心から車で一時間余りかかる。九時半過ぎに出発。十一時前後には到着できる目算であった。ところが、何が原因かはわからなかったが、中央高速が大渋滞、カーナビの指示にしたがって、途中で一般道に降りたが、甲州街道もやはり渋滞。再び高速に戻る。結局、墓地に到着したのは十二時過ぎだった。
 三人で墓をきれいにした。墓石に深く刻まれた家の名の窪みにこびりついた汚れを重曹とブラシなど使って洗い流した。花を備えた後、まず私がこの二年半のことを両親に報告した。続いて妹夫婦が墓前に手を合わせ、それぞれに報告をする。
 若い頃は墓参りの意味など考えたこともなく、ただ慣習に従っていただけだった。ところが、いつからとははっきりと言えないが、信仰や宗派の話は抜きにして、墓参りの時間が大切に思えるようになった。それは単に墓前に額づく時だけではなく、家を出てから家に帰り着くまでの時間すべてが、幽冥境を異にした死者と生者が交流する特別な時間であると思えるようになった。
 普段でもふと故人のことを想うことはある。父母のことであればなおさらである。しかし、それはそれ、墓参りは年に一度か二度、故人と向き合う一時としてやはり格別であると思う。
 墓参後、墓地から遠からぬ元八王子の住宅街にあるイタリアンパスタ屋でちょっと遅めの昼食。帰路の中央高速はよく流れていて、わずか一時間で帰り着く。