西郷信綱『古代人と死』に立ち戻る。
沖縄のニライ・カナイへの言及の後、西郷は論文「地下世界訪問譚」のなかに「海神の国」と題した節を設け、黄泉の国とも根の国とも違う他界である海神の国について次のように述べている。
古代人は、水平線には縁があり、そこが水の渦まく急な坂になっており、その下の方に海神の国という他界があると考えていた。だからそれもやはり「底つ国」であったといえなくはないが、黄泉の国や根の国と海神の国との間には、一つのいちじるしい違いが存する。海神の国は限りなく明るく、死臭はもとより死の影すら感じられない。つまりそれは死を超えた世界だといっていい。
他方、天界に対しては、海神の国と黄泉の国や根の国とは一体としての earth をなす。
天界にたいし山と海とは、むしろ一体としての earth を示すものであった。山の神の女コノハナサクヤビメと海神の女豊玉姫や玉依姫は大地の生産力、その豊穣を象徴する女性であり、だから天つ神の子はそれと婚することによって稲穂みのる国の王たる資格を身につけるという神話的想定がここにはあるのである。ワタツミが農の水を支配する神たるゆえんでもある。
仏教伝来前の日本の古代人によって生きられていた豊穣な神話的世界像がこのように生き生きと立体的に描き出されているのを読むとき、古語「なつかし」の原義が身に沁みるのを私は感じないわけにはいかない。