内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

陰翳をめぐる随想(三)― 洞窟の暗闇がダ・ヴィンチに引き起こす恐怖と魅惑

2020-01-21 20:34:04 | 哲学

 マックス・ミルナーの『見えるものの裏側 陰翳論』(Max Milner, L’envers du visible. Essai sur l’ombre, Seuil, 2005)の第三章は「陰翳の創造性 Créativité de l’ombre」には、レオナルド・ダ・ヴィンチがいかに陰翳(あるいは暗闇)に魅せられていたかを示している箇所として絵画論から以下の一節が引用されている。

Poussé par mon ardent désir, impatient de voir l’immensité des formes étranges et variées qu’élabore l’artiste nature, j’errai quelque temps parmi les sombres rochers ; je parvins au seuil d’une grande caverne, devant laquelle je restai au moment frappé de stupeur, en présence d’une chose inconnue. Je pliai mes reins en arc, appuyai ma main gauche sur le genou, et de la droite je fis écran de mes sourcils baissés et rapprochés ; et je me penchai d’un côté et d’autre plusieurs fois pour voir si je pouvais discerner quelque chose, mais la grande obscurité qui y régnait ne me le permit pas. Au bout d’un moment, deux sentiments m’envahirent : peur et désir, peur de la grotte obscure et menaçante, désir de voir si elle n’enferme pas quelque merveille extraordinaire (M. Milner, op. cit., p. 68-69).

 自然という芸術家が産み出す途方もない数の不思議で多様な形象を見たいという、やむにやまれぬ希求に突き動かされて、洞窟の暗闇の中に何かを見分けようとするダ・ヴィンチの眼差しには、科学者的・芸術家的探究心を超えた何か、暗闇の彼方の自然の神秘をこの眼で見分けたいという狂気すれすれの情熱がこもっている。その熱を帯びた眼差しが、大きく口を開けた洞窟の恐ろしい暗闇への恐怖とそこになにか眩いばかりの不思議が隠されているかどうか確かめたいという欲求との間の葛藤をダ・ヴィンチの精神に引き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


陰翳をめぐる随想(二) ―「ダ・ヴィンチの毒」を食らわば皿まで

2020-01-20 23:59:59 | 哲学

 陰翳について谷崎を離れて自由に考えだしたら、これは途轍もなく広がりをもった研究テーマであることに迂闊千万にも今更ながら気づいて、深い溜め息をついている。これはライフワークになるような研究主題ではあったのだ。ところが、私にとっては、日暮れて途遠しどころではない。気づいたときにはもう夜の帳が降りてこようとしている時になってから、よちよちと覚束ない足取りで歩きはじめ、しかも自分がどっちに向かって歩いているのかもわからないような状態なのだ。
 そんな状態に陥ったのは、やめておけばよかったのに、レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の絵画論 Traité de la peinture(Textes traduits et commentés par André Chastel, Calmann-lévy, 2003)と膨大な手記 Carnets(Quarto Gallimard, 2019)の中で「影」について言及されている箇所に当たり始めたのがそのきっかけであった。自然界における影という現象そのもの、陰翳の有色性とグラデーション、水面上の影の特性等について深い関心とともに多くの考察を残し、絵画における陰翳ついては、主題として描かれる対象に対して陰翳をいかに限定的かつ効果的に用いるか、モデリングの技法について詳述している箇所などを走り読みしただけで、陰翳がなんと奥深い問題であるかに気づくのに十分であった。
 普段からちょっとでも気になるテーマや問題があると、それに関係する書籍をすぐには読まない場合でもとりあえず買って手元においておく習慣が若い頃からあるが、それが後日思わぬところで研究に役立つ場合ももちろんあるが、今回のようにそれが「毒」になることもある。これもまた何を今更という話である。「毒を食らわば皿まで」と俚諺にもあるではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「近代日本の歴史と社会」前期期末試験問題

2020-01-19 23:59:59 | 講義の余白から

 先週金曜日に「近代日本の歴史と社会」の前期期末試験を行った。学生たちにとってはこれが前期に受ける最後の試験であった。今回は「遊び」はなしにして、かなり重厚な問題を四つ出し、そのなかから一題その場で自由に選択させた。以下がその四問である。問題はフランス語で出し、各問に授業で取り上げたテキストからの引用を添え、それを何らかの仕方で答案に取り込むことが要求されている。

1. 以下のテキストの問いに答える形で、荻生徂徠の思想における近代性と反近代性の関係を論ぜよ。

徂徠は、有限な天地で、市場経済による無限の「発展」が可能だ、などとは信じないのである。そして、自由に流動して浅い人間関係しか持たず、それでいて 悪事に走らず秩序を保てるほどに人間は立派だ、とも信じないのである。我々は、それにどう反論できるのだろうか。(渡辺浩『日本政治思想史』東京大学出版会)

2. 以下のテキストの注釈という形で、十九世紀日本の近代化と民主化に会読と漢文訓読体が果たした役割について説明せよ。

江戸時代の漢文教育法である会読と訓読法は、幕末から明治にかけて、身分制社会を超える可能性をもっていた、革新的で、清新なものだった。(前田勉『江戸の読書会』平凡社ライブラリー)

3. 以下のテキストを参照し、近代日本における「国語」と「日本語」の特異で複雑な関係を説明せよ。

あらゆる場合において、「言語」そのものの同一性、また「言語共同体」の同一性がすでに確立されていて、そこに国家意識あるいは国家制度が注入された結果、「国語」が生まれるわけではない。すなわち、日本の「国語」の誕生の背景は、フランスのそれとはかなり異なる。(イ・ヨンスク『「国語」という思想』岩波現代文庫)

4. 以下のテキストの記述について、明治政府によって招聘されたお雇い外国人の中から一例を挙げて、その貢献内容を具体的に説明せよ。

幕末期に日本が開国に踏み切って、近代欧米文化を受け入れようとしたさいにおける外国人の寄与は実に多大であった。この多数にのぼる「お雇い外国人」が多方面に活動して、近代国家としての明治日本の建設を援助したのである。(梅渓昇『お雇い外国人』講談社学術文庫)

 32人の受験者中、第1問を選んだのは3名、第2問が4名、第3問が11名、第4問が14名であった。選択の偏りは予想通りであった。それぞれの問題の傾向と対策は年内に学生たちに伝えてあり、その際、「第1問が最も難しいから、この問題を選ぶ猛者は少ないと予想される。もし勇敢にも第一問を選択した者には、「チャレンジャー・ポイント」として一点挙げる」と言っておいたのだが、やはり少なかった。それだけにとこまでチャレンジに成功しているか、これから答案を読むのが楽しみである。第2問は、授業でかなり時間を割いたテーマだったのだが、仏語での史料が乏しいせいか、選択した学生が少なかったのはちょっと残念に思う。第3問は、フランス語の場合と対比することで論点を明確にしやすいから、選択者が多かったのは当然である。第4問が「一番人気」なのは予想通り。ただ、ネットで簡単に見つかるような情報に頼っただけの安易な答案もあるだろう。それらには辛い点を付ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


陰翳をめぐる随想(一) ― 空間の原初的な量塊の生ける実質としての陰翳

2020-01-18 18:14:51 | 哲学

 昨日までの七回の記事で、『陰翳礼讃』と『眼と精神』のテキストにできるだけ即しながら、講演内容として充分なだけの問題提起とそれらについての考察は行えたと思う。今日からはもう少し自由に陰翳をめぐる考察を思いつくままに展開しておきたい。
 谷崎は、フランスのガリマール社のプレイヤード叢書(Bibliothèque de la Pléiade)に収録されているただ一人の日本人作家である。二巻からなる Tanizaki Œuvres(1997)には、『陰翳礼讃』ももちろん収録されている。訳は1977年に刊行された René Sieffert 訳であるが、巻末の作品解題は Jacqueline Pigeot 先生が書いている。「陰翳」という語義について次のように注記している。

Le thème sur lequel Tanizaki brode ici, c’est la notion d’« ombre », où il distingue un élément fondateur de la sensibilité esthétique japonaise. Cette notion n’est pas désignée par le mot courant kage, mais par in.ei, un terme d’origine chinoise, surtout employée en japonais au sens figuré de « nuance », « subtile profondeur » (d’un texte), « richesse secrète » (d’une œuvre) ; il s’oppose à « platitude », « banalité ». L’ombre ainsi désignée n’est pas simplement absence de clarté : c’est un mode d’être spécifique, voire une substance vivante (vol. I, p. 1887).

 「陰翳」という語は、影(あるいは蔭)を表すよりも「ニュアンス」「微妙な深み」「密やかな豊かさ」などを意味し、「平板」「ありきたり」などに対立する。このような意味での陰翳は、単なる光の不在のことではない。それはある独特な存在様式であり、生きている実質である。
 きわめて的確な指摘だと思う。ただし、« substance » を伝統的な哲学用語としての「実体・実有」の意味に取らないかぎりにおいてである。谷崎における陰翳は、まさに実体と偶有という西洋哲学に伝統的な対立関係そのものを問い直すだけインパクトを有った概念として機能している。物とその属性及びその偶有性との区別、あるいはジョン・ロックのいう第一性質と第二性質との区別によって覆い隠されてしまう知覚世界の「厚み」と「奥行」を陰翳という語は言い表している。
 ジャン・ヴァール(Jean Wahl, 1888-1974)は、Vers le concret(1932)の中で、ホワイドヘッドがウイリアム・ジェームズの「原初的な量塊性 voluminosité primitive」という概念をさらに発展させていることに関して、「量塊は空間のもっとも具体的な要素である。Le volume est l’élément le plus concret de l’espace. 」(p. 143)と言っている。この意味での量塊を陰翳と直ちに同一視することはもちろんできない。しかし、陰翳もまた知覚世界の実質をなしているとするならば、陰翳は見るものを惑わせる光の戯れなどではなく、この原初的な量塊の生ける実質に属していると言うことができるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もしメルロ=ポンティが『陰翳礼讃』を読んだとしたら―「陰翳の現象学」(七)

2020-01-17 21:37:42 | 哲学

 谷崎が『陰翳礼讃』で実行していることの一つは、対象の実在を自明のものとして受け入れている自然的態度をひとまず括弧に入れて,その対象の意識への立ち現われ方そのものに観察の目を向けることである。谷崎がことさら意図してそのような哲学的態度を取ったわけではもちろんない。しかし、その態度を「現象学的還元」の一事例として考察してみることは、あながち的外れでもないし無駄なことでもないのではないか。それが今回の連載を動機づけている作業仮説であった。
 この作業仮説を前提とした上で、『眼と精神』に提示されている論点のうちのいくつかに即して、次のように問題場面を限定した。『眼と精神』と『見えるものと見えないもの』でメルロ=ポンティが企図した新しい存在論は、現象そのものに秘められた無尽蔵な〈存在〉の元素の再発見の試みであり、その表現の探究であったとすれば、『陰翳礼讃』の言語表現はその実践例の一つとして読むことができるのではないか。
 谷崎においては、現象の観察が煌々たる光の中に照らし出された対象の現われに対してではなく、陰翳の深みの中に隠された対象の現われ方に向けられているところに特徴がある。谷崎に即して言えば、陰翳こそ、まさしく逆説的な仕方で、実在の仮現に過ぎない現象という先入見から私たちを解放し、現象としての現象への、現れることそのことへの回帰を可能にしてくれる存在論的次元である。そのことを谷崎は知覚的経験に即して「非哲学的な」表現によって繰り返し述べている。
 覆う影も隠された面もないような「明るい」対象を目の前にするとき、そのあまりも「明白な」形姿がかえってその現われ方から私たちの注意を外らしてしまう。陰翳こそ、五感への対象の漸次的で微妙繊細な現われ方に対して私たちをより注意深くする。現われは、存在の「不完全で貧弱な」仮現ではなく、厚みと深みをもった存在の織地そのものである。そのことを陰翳は私たちに教えてくれる。冥闇を追い払い不分明さを許さない理性という光の下では隠されてしまう〈存在〉の奥行を陰翳は知覚可能なものにしている。陰翳は、知覚世界への〈存在〉の緩やかな、つねに「未完な」到来に対して、私たちをより忍耐強く、敏感にしてくれる。
 『陰翳礼讃』は、失われつつある日本の伝統美へのノスタルジックな回帰願望の披瀝などではない。この作品は、日本固有の歴史的・文化的偶有性の経験を通じて、そしてそれを超えて、存在の本質的な次元としての陰翳への私たちの感度を高めてくれる稀有な詩的散文である。陰翳は汲み尽くしがたい存在の織地への招待状であり、その差出人は私たちがそこで生きるこの世界そのものに他ならない。













もしメルロ=ポンティが『陰翳礼讃』を読んだとしたら―「陰翳の現象学」(六)

2020-01-16 18:19:01 | 哲学

 メルロ=ポンティは、『知覚の現象学』第二部第二章「空間」で奥行知覚の問題を十数頁に渡って詳しく考察している。そこでは知覚世界の空間の特性として奥行が取り上げられている。『見えるものと見えないもの』にもしばしば「奥行 profondeur」という言葉が使われているが、それは存在の次元としてである。この両著作での奥行へのアプローチの違いがメルロ=ポンティの哲学の転回点をよく示している。後者における奥行については、拙ブログで2014年4月28日から三日間に渡って取り上げているので、それらを参照していただければ幸いである。
 『眼と精神』にも奥行についての考察がある。奥行に関しては、三次元空間において知覚される奥行と絵画のように二次元の平面において知覚される奥行との二つの問題場面がある。『陰翳礼讃』の関わりでは、前者だけが共通の問題場面として取り上げることができるので、絵画における奥行という『眼と精神』にとっては重要な論点はここでは脇に置く。
 奥行は、物の重なり合いや隠し合いとともに生ずるが、それらの物の定義には含まれない。奥行は幾何学的な空間の特性でもない。そこでは奥行の問題は雲散霧消してしまう。奥行はどこにあるのか。物の間に在るのでもない。物をあるがままに現しながら、それ自身は物と同じようには見えない。しかし、奥行こそが物や場所に存在の重みを与えている。
 『陰翳礼讃』には「奥行」という言葉は使われていない。しかし、「深み」「奥」「奥深い」などの言葉は少なからず使われている。それらの箇所で奥行知覚そのものが問題になっているわけではない。しかし、そこには『眼と精神』の奥行論をよりよく理解するためのヒントが隠されていると私は思う。

諸君はまたそういう大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぽうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

 この箇所が示唆していることは、「奥」とは、時空に広がり徐々に開示される存在の「深み」であり、さらには、そこから物が立ち現われてくる見えない次元への開けだということである。













もしメルロ=ポンティが『陰翳礼讃』を読んだとしたら―「陰翳の現象学」(五)

2020-01-15 23:59:59 | 哲学

 『陰翳礼讃』の中で日本座敷の美が語られている箇所は、『眼と精神』でメルロ=ポンティが「隠れた内部をもたない空間 espace sans cachette」、「絶対的にそれ自体のうちにあり、どこにおいてもそれ自身と等しく、同質的 repose absolument en soi, est partout égal à soi, homogène」な空間として記述しているデカルト的空間には還元し難い、生きられた空間の経験の例示になっている。
 谷崎によって記述された日本座敷における空間の経験は、互いに「部分外部分 partes extra partes」として均質な空間内の各所に配置された諸要素の認識ではない。しかし、それは単なる主観的な印象に還元されるものでもない。
 「繊細な明るさ」の中で、わずかに異なった各部屋の壁の地色は、色の違いとしてよりも「ほんのわずかな濃淡の差異」でしかなく、しかもそのほのかな違いによって、「各々の部屋の陰翳が異なった色調」を帯びる。この色調こそがその空間を織り成している存在の織地なのであって、それは壁・柱・畳・唐紙などの物質的構成要素とは別次元に属する。部屋の色調は、その室内に身を置いている者にとって、それら構成要素の「手前 en deçà」かつ「彼方 au-delà」にある。手前にあるというのは、色調は私の身体を直に包んでいるからであり、彼方にあるというのは、その色調は部屋の物理的境界を超えた深みへと開かれているからである。
 床の間もそこに掛けられた軸物や置かれた生花も、独立の審美的要素としてそれ自体の価値を主張するものではなく、部屋の色調に外在的な装飾性を加える偶有的なものでもなく、部屋の色調に調和的な織地の一部を成している。そのかぎりにおいて、それらは存在の織地の元素として陰翳に「深み」を添える。
 軸物の図柄や絵であってさえ、美術品としての独立の価値を主張するものではなく、それらは「覚束ない弱い光を受け留めるための一つの奥床しい「面」に過ぎないのであって、全く砂壁と同じ作用をしかしていないのである。」乏しい光のゆえに物の輪郭が不分明になり、その結果として物本来の姿が覆い隠されているのではない。まったく逆に、その乏しい光によってこそ、陰翳という存在の織地がそこに顕現している。非物質的・非実体的な存在の元素としての陰翳を谷崎の文章は見事に捉えている。












もしメルロ=ポンティが『陰翳礼讃』を読んだとしたら―「陰翳の現象学」(四)

2020-01-14 13:27:48 | 哲学

 『陰翳礼讃』にあって『眼と精神』にない感覚的要素は何か。それは聴覚と嗅覚と味覚である。『眼と精神』は、絵画をその主な考察対象としているのだから、視覚を中心に議論が進められるのは当然のことである。次いで問題にされるのが触覚である。身体の自己関係性が〈触れるもの-触れられるもの〉として捉えられる箇所とデカルトの『屈折光学』が取り上げられる箇所で触覚について考察されている。しかし、その他の三つの感覚については一言の言及もない。

Un corps humain est là quand, entre voyant et visible, entre touchant et touché, entre un œil et l’autre, entre la main et la main se fait une sorte de recroisement, quand s’allume l’étincelle du sentant-sensible, quand prend ce feu qui ne cessera pas de brûler, jusqu’à ce que tel accident du corps défasse ce que nul accident n’aurait suffi à faire… (p. 21)

人間の身体がそこにあるのは、見る者と見えるもの、触れる者と触れられるもの、片方の眼と他方の眼、手と手のあいだである種の交叉が起こり、〈感じ-感じられるもの〉に火花が散り火が灯ったときであって、その火は、偶然的出来事だけでは十分に作りえなかったものを、身体の偶然的出来事が壊してしまうまで燃え続けるのである。(富松保文訳 76頁)

 人間の身体を〈感じ-感じられるもの〉の交叉として捉えるときに視覚と触覚がその格好のモデルを提供するのはわかる。それに対して、〈聞きー聞かれるもの〉〈嗅ぎー嗅がれるもの〉〈味わいー味わわれるもの〉としての人間の自己身体の自己関係性のモデルは構築しにくい。しかし、聴覚・嗅覚・味覚についての考察を欠いては、人間身体の行動の構造も外部世界との関係性も十全に捉えることはできない。そして、なによりも、存在の織地を探究するのであれば、そこには音も匂いも味もその本来的な元素として含まれているはずではないか。これは『眼と精神』に対する批判ではもちろんない。それは「ないものねだり」あるいは「お門違い」というものだろう。
 『眼と精神』にはなくて『陰翳礼讃』にはある要素を積極的に導入することによって、陰翳の現象学を前者の視角を超えて展開することができると私は考える。実際、『陰翳礼讃』には五感が協働して存在の織地を捉える経験の見事な記述がある。

けだし食器としては陶器も悪くないけれども、陶器には漆器のような陰翳がなく、深みがない。陶器は手に触れると重く冷たく、しかも熱を伝えることが早いので熱い物を盛るのに不便であり、その上カチカチという音がするが、漆器は手ざわりが軽く、柔かで、耳につく程の音を立てない。私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたたかい温味とを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。吸い物椀に今も塗り物が用いられるのは全く理由のあることであって、陶器の容れ物ではああは行かない。第一、蓋を取った時に、陶器では中にある汁の身や色合いが皆見えてしまう。 漆器の椀のいいことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつつあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣む前にぼんやり味わいを予覚する。

 ここでの五感の協働は共時的でありかつ通時的である。存在の織地は一挙にそのすべての感覚質を顕にするのではなく、時間の中に徐々に繰り広げられていく。存在の織地が感覚質として繰り広げられていくことそのことが生きられる時間の実質を成していると言うべきかも知れない。
 椀の中身の温かみが漆器を伝達媒体として椀を持つ手の触覚に伝わり、椀と身体とが手の触覚を介して存在の織地を成す。「椀の暗い奥深い底」は存在の奥行として視覚的に立ち現れる。椀から立ち上る湯気は鼻孔をくすぐり、嗅覚を覚醒させる。嗅覚が捉えた匂いが、これから到来する味覚を予告する。現前している感覚質が相互浸透を起こすことで存在の織地が織り成されているだけでなく、予覚として与えられた感覚質もまたすでに織地の「綾」を成している。













もしメルロ=ポンティが『陰翳礼讃』を読んだとしたら―「陰翳の現象学」(三)

2020-01-13 12:26:26 | 哲学

 昨日引用した『陰翳礼讃』の「夜そのものに蒔絵をしたような綾」の一節を読むとき、私は『眼と精神』の次の一節を思い合わせないではいられない。

Quand je vois à travers l’épaisseur de l’eau le carrelage au fond de la piscine, je ne le vois pas malgré l’eau, les reflets, je le vois justement à travers eux, par eux. S’il n’y avait pas ces distorsions, ces zébrures de soleil, si je voyais sans cette chair la géométrie du carrelage, c’est alors que je cesserais de le voir comme il est, où il est, à savoir : plus loin que tout lieu identique. L’eau elle-même, la puissance aqueuse, l’élément sirupeux et miroitant, je ne peux pas dire qu’elle soit dans l’espace : elle n’est pas ailleurs, mais elle n’est pas dans la piscine. Elle l’habite, elle s’y matérialise, elle n’y est pas contenue, et si je lève les yeux vers l’écran des cyprès où joue le réseau des reflets, je ne puis contester que l’eau le visite aussi, ou du moins y envoie son essence active et vivante (p. 70-71).

水の厚みを通してプールの底のタイル床を見るとき、私は水や水面の反射にもかかわらずそのタイル床を見るのではなく、まさに水や反射を通して、水や反射によって見るのである。もしもそうした歪みやまだら模様の照り返しがないならば、もしも私がそうした肉なしにタイル床の幾何模様を見るならば、そのときにはタイル床をあるがままに、あるがままのところに、すなわち、どんな同一的な場所よりも遠いところに見ることをやめてしまうだろう。水そのもの、水というあり方をした力、とろりとして煌めく元素、それが空間のなかにあると言うことは私にはできない。というのも、それは別の場所にあるわけではないが、プールのなかにあるわけでもないからである。それはプールに住んでいて、そこで物質化しているのであって、それはプールに含まれているのではなく、もしも糸杉の遮蔽林の方に眼を上げて、そこに水面からの反射の網の目をつくっているのを見るならば、水がその遮蔽林のところにも訪れに行っていること、あるいは少なくとも、そこに水の活動的で生き生きとした本質を送り届けていることを私は疑うことができないだろう。(『メルロ=ポンティ『眼と精神』を読む』富松保文訳・注 武蔵野美術大学出版局 2015年 159‐160頁)

 この水の本質をめぐる記述様式を谷崎の文章に当てはめてみよう。
 「蠟燭や灯明の醸し出す怪しい光」にもかかわらずその大半を闇に隠された漆器を見るのではなく、まさにその光の底に、その光を通して、その光によって、私はその漆器を見る。蠟燭や灯明の弱光の揺らめきやそれがもたらす陰翳がないならば、そうした「肉」なしに漆器の絢爛豪華な模様を見るならば、それをあるがままのところに見ることを私はやめてしまうことになるだろう。怪しく揺れる光、ちらちらと顫動する元素、それがその暗い部屋の中にあると言うことは私にはできない。その光は、その部屋に住まい、その部屋にある漆器を微かに底光りさせながら、それに分かちがたく絡みついているばかりでなく、漆器の蒔絵模様の照り返しを通じて畳の上にもその生ける本質を送り届け、「夜そのものに蒔絵をしたような綾」を織り成している元素なのである。
 このように谷崎の文章を『眼と精神』風に変容させるとき、「画家が奥行きや空間や色といった名前で探し求めている」とメルロ=ポンティが言うものを谷崎は「陰翳」「闇」「綾」「深み」といった言葉を使って探し求めているのだということが分かる。
 とすれば、『陰翳礼讃』が実現しているのは、日本の伝統美へのノスタルジックな礼讃ではなく、存在の織地を組成している密やかな元素の再発見だと言うことができる。












もしメルロ=ポンティが『陰翳礼讃』を読んだとしたら―「陰翳の現象学」(二)

2020-01-12 13:52:27 | 哲学

 眩い光の中に晒すのではなく、一点の灯明か蠟燭のあかりに底に沈ませることではじめて現成する存在の重みと美しさがあることを『陰翳礼讃』は教えてくれる。
 その全貌が一挙に光の中に顕にされることで、かえって隠蔽されてしまう存在の織地がある。その存在の織地はそれ自体で独立な実体として在るのではない。身体とは切り離された精神によって認識されるものでもない。
 ほのかな光の中で徐々にその姿を時間の経過とともに現すことによってしか表現されない存在の質がある。その質は、見るものとしてその場にいる私の身体によって生きられている時間の中で感じられるものである。それは、私の身体の感覚によって把握される外的な対象ではなく、私の身体によって生きられている時間の中でおのずと生成するものである。
 揺らめく光によって見え隠れする「ゆらぎ」も存在の質を成しているのであり、そのゆらぎを引き起こす微風も存在の織物に織り込まれている。

もしあの陰鬱な室内に漆器というものがなかったなら、蝋燭や灯明の醸し出す怪しい光りの夢の世界が、その灯のはためきが打っている夜の脈搏が、どんなに魅力を減殺されることであろう。まことにそれは、畳の上に幾すじもの小川が流れ、池水が湛えられているごとく、一つの灯影をここかしこに捉えて、細く、かそけく、ちらちらと伝えながら、夜そのものに蒔絵をしたような綾を織り出す。

 『陰翳礼讃』の中で最も美しい一節の一つだと思う。この「夜そのものに蒔絵をしたような綾」は、物理的現象によって引き起こされた感覚の単なる主観的な表象ではない。この綾は作家の眼によって内在的に捉えられたその空間の存在様態であり、この存在様態としての綾の内に作家の眼もいわば編み込まれている。西田幾多郎の言葉を借りれば、「物となって見」ている。
 画家が僅かな線描と色彩によって存在を或る様態においてカンヴァス上に励起するように、作家は事物に到来する存在様態を言葉のパレットを使って描き出す。