一昨日土曜日、晴れて暖かい午後、豊島区南池袋の雑司ヶ谷霊園にあるラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)の墓に参った。今回の一時帰国中にしようと帰国前から決めていた。それは、近代日本の哲学研究に「古典的な重み」(西田幾多郎「ケーベル先生の追懐」)を与え、数多くの若き哲学徒たちに深い敬愛の念を懐かせ、優れたピアニストでもあったこのドイツ系ロシア人哲学者に敬意と感謝を表するためであった。
霊園内の案内図には、夏目漱石や小泉八雲などの著名な物故者の墓の位置は表示されていたが、ケーベルの名はなかった。ネット上で公開されていた墓の写真を頼りに園内を探し回ること約20分、見つけることができた。
それは一切の装飾性を排した簡素この上ない墓である。高さ一メートルほどの石の十字架が三十センチほどの高さの台形の礎石の上に立ち、その両脇に花立てが据えられているばかりである。礎石には RAPHAEL KOEBER 1848-1923 とだけ刻まれている。
かつては墓所に樹々が茂っていたようだが、放置すると墓所の石垣を損傷するおそれありとのことで十年ほど前にすべて伐採され、今はその跡形もなく、風によって吹き寄せられたのでもあろうか、枯れ葉が墓所の地面を厚く覆っていた。
回りを低い石垣で囲まれた一坪ほどの墓所の入り口には、赤錆びた太い鎖がかかっていて敷地内には入れないようになっていた。花立てには、右側に白と黄の、左側には黄と紫の雛菊がそれぞれ六、七本ずつ供えられていた。どちらも墓石に向かってやや内向きに傾き、少し萎れかかっていた。年末に誰か参ったのでもあろうか。
振り向くと、ケーベルの墓を背にして斜め右に寒椿が一本植えられている。あたりの枯れ錆びた色調を背景として鮮紅色の花が際立っていた。ケーベルの墓とほぼ向かい合うように、久保勉一家之墓がある。小ぶりの黒御影石の墓石の下には、ケーベルの晩年の十数年起居を共にし、師に献身的に仕え、死後なお師の側を離れぬ弟子の遺骨が埋葬されている。
その並びには、遠慮がちに隅の方に、ケーベルがドイツから来日する際に唯一人連れてきた家僕のシュトラッサーの墓がある。主人のケーベルの墓と形状は同じだが一回り小さく、回りには囲いもない。礎石には、JOSEPH STRASSER 1913 とだけある。この年、シュトラッサーは自殺した。理由は詳らかにしない。和辻哲郎の「ケーベル先生」に、異国の地で二十年主人に仕えたシュトラッサーの死はケーベルにとって大きな打撃であったこと、シュトラッサーの遺灰についてのケーベルの細やかな配慮などが記されている。
それぞれの墓の前で額ずき、しばし黙祷を捧げた。