●疑心暗鬼に思う!
最近疑心暗鬼から犯罪を犯してしまったり、互いに不仲になってしまっている
関係が多くありますね。
この言葉はこんなところから生まれているのですよ。
ある男が鉞を失くした。隣の息子を怪しいと思うようになり、
息子の言動全てが疑わしく感じるようになった。
ところが、ある日、近くの谷底で失くした鉞を発見し、
自分が置き忘れたことに気づいたため、それ以降、
隣の息子の言動を怪しく思うことは無くなったという話。
古代中国の思想書『列子』の中で、この話に対し、
「これが疑心、暗鬼を生ずというものだ」と喩えられている。
「疑心」は仏教から出た言葉で、仏の教への真理に対して疑いの心を持つことである。
「暗鬼」は暗闇の中に鬼を見る意味で、疑心暗鬼は暗闇というだけで疑い、鬼がいるかのように見えると喩えたものである。
正にそうですよね。人を疑うとその行動すべてを疑ってしまいますものね。
そして暗闇だから幽霊が怖いし、何も見えない怖さが襲ってきますね。
疑心を抱かず仏の教えに従順に従ってこそ平穏な人生が送れるのでしょうが
そんな聖人には誰もがなれる訳は無いですよね。![135bd90e.jpg](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/26/f861dc7e037105dde1500833adade3bd.jpg)
最近疑心暗鬼から犯罪を犯してしまったり、互いに不仲になってしまっている
関係が多くありますね。
この言葉はこんなところから生まれているのですよ。
ある男が鉞を失くした。隣の息子を怪しいと思うようになり、
息子の言動全てが疑わしく感じるようになった。
ところが、ある日、近くの谷底で失くした鉞を発見し、
自分が置き忘れたことに気づいたため、それ以降、
隣の息子の言動を怪しく思うことは無くなったという話。
古代中国の思想書『列子』の中で、この話に対し、
「これが疑心、暗鬼を生ずというものだ」と喩えられている。
「疑心」は仏教から出た言葉で、仏の教への真理に対して疑いの心を持つことである。
「暗鬼」は暗闇の中に鬼を見る意味で、疑心暗鬼は暗闇というだけで疑い、鬼がいるかのように見えると喩えたものである。
正にそうですよね。人を疑うとその行動すべてを疑ってしまいますものね。
そして暗闇だから幽霊が怖いし、何も見えない怖さが襲ってきますね。
疑心を抱かず仏の教えに従順に従ってこそ平穏な人生が送れるのでしょうが
そんな聖人には誰もがなれる訳は無いですよね。
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