こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

坂本龍一のサウンドストリート 1982年2月23日 ゲスト:ビートニクス!

2006-07-16 21:31:01 | 坂本龍一のサウンドストリート
幸宏「こんばんわ、坂本龍一です」
慶一「今日は、声の通りがいいですね」と、始まる。

この日は、矢野顕子さんの「愛がなくちゃね」の録音で坂本龍一師はロンドンに行っていて、
国際電話を通して、ビートニクスの2人が、坂本とやりとりする。

教授は、ロンドンに来て3週間とのこと。
ハイドパークの目の前に住んでいるという。
幸宏も2ヶ月録音でロンドンにいる間、この近くにいたという。

1・ビートニクス 「女は男じゃない」

幸宏「え~、いいグループですね」
慶一「今は無き・・・・なんて、ね」
幸宏「そんな、さみしいことは言いませんが」

ムーンライダーズの「マニラ・マニエラ」を作ったが、発売延期になった話をする。

坂本「だって、結構、売れ線でやってたんじゃないの?」
幸宏「(笑)なんてコトバを言うんですか。過激なことを。」
慶一「まあ、ゆっくり出そうということになりまして。だから、今からまた再び作ります。
2枚目が先に出ます。」
坂本「最高!」

幸宏「作業は順調ですか?」
坂本「ジャパンはホントウに、よく頑張ってくれて・・。
自宅で練習してくれて。
・・・あいつらは譜面が読めないんだよね。」
幸宏「えらそうに。」
坂本「だから、困ったんですけどね、テープ渡して、一晩で練習するように言って。
でもすごく練習したらしくて。
一晩越えると出来るようになって。」

幸宏「うわさによると、あの加藤和彦さんの”悲しくてやりきれない”をやっているといううわさがあるのですか?」
坂本「これは、ホントウにナミダものですよ。」
幸宏「一足先に帰ってきたピーター・バラカンに聴いたことろ、これはイイ!と。
彼は思わず泣きそうになってしまったという。」
坂本「スタジオ全員泣いてました。」
幸宏「さすが、オレだと思った?」

帰国の予定は、教授だけ、8日遅れて帰るとのこと。
Davidとシングルを作ろうという誘いが、ヴァージンからあってという。
これが、例の「バンブー・ミュージック/バンブー・ハウシズ」になる。
ミキサーはスティーブ・ナイ。

坂本「1日に、OldGreyWhistleTestにゲストで出ます。」

かたちんばは、このVideoを何かの関係で入手したが、本当に、この81~82年は、日本のNewWaveが、イギリスでも注目され、教授も向こうでは有名であった。
今のどうしようも無い「J-Pop」などの勝手な「J」の盛り上がりとは無縁な、本当に日本という国が、稀有で、イイモノを作っていた、実に幸福な、「ジャパン・イズ・ナンバー1!!」な時代だった。

2・ビートニクス 「アーク・ディアマン」
向こうの雑誌に、日本のレコードが、いくつか紹介され、表紙にも、「一風堂」「高橋幸宏」とある。
しかし、幸宏のヒロの字間違っていて「広」になっていたという。

最近のハヤリは何か?という幸宏の質問。

坂本「1位はジャムですね(「悪意という名の街」ではないか?と思う)。
このジャムが、ひでえ曲なの。
2位がストラングラーズです。
この曲が変わっていてね。カントリーみたいなの。
アイランド・アイリッシュみたいなの。
ん、ちゃっちゃ。ん、ちゃっちゃ。って。」
しかし、主流は「大テクノ・ブーム」で、その中でも、DepecheModeという「かわいこちゃんバンド」があると紹介。
(丁度「SeeYou」がヒットしている頃だったと思う。)

3・ビートニクス 「Now And Then」

4・ビートニクス 「鏡」

5・ビートニクス 「NoWayOut・出口なし」

本当は、ビートニクスのレコードは'81年11月には発表されてはいたが、かなり遅れての紹介だった。
コメント (1)
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