日曜日、向島に行ってから、頭の中をいろんなものが駆け巡っている。
94年の「土曜ソリトン 金の斧銀の斧」、95年「土曜ソリトン Side-B」の映像、高野寛さんの歌、もろもろ・・。
***
94年・95年の「ソリトン」を思い出しながら、その頃の僕を包み込む「刻(とき)の空気」のようなものを思い出していた。
もうすでに、あの頃あった環境も、周りの人々も、生活も、今は無く、同じ空気は既にこの世には無い。
しかし、それは無くなったのではなく、移ろい過ぎたに過ぎず、今は今の空気のあり方があるのだが。
それでも、あの過去の記憶は、激しくいとおしく感じる。
もう既に、自分は、愛した大阪を去り、既に、あのときの愛おしかった彼女もおらず、気がつけば、自分は、また一人になっている。
***
「ソリトン」に存在した、ほんわかとした空気が好きだった。
しかし、番組の終了とともに、こういった空気も一挙に消えてしまう。
そして、そういった「あるべくしてあった存在」も忘却のかなたに。
可愛かった寧々ちゃん【写真】や緒川たまきちゃんの存在も、あのときめぐり合った一時的な人の出会いや語らいも、今は無い。
***
そういったことに、時の持つ残酷さを痛感する。
三島由紀夫を愛する理由もそこにあるが、一瞬の帰らぬ刹那、僕はそれを胸に抱いて今も生きている。
あるとき・ある場所で、一緒に居た・一緒に暮らした・一緒に笑った記憶。
嗅いだ「刻の匂い」。
***
コドモの頃、よく「卒業しても友達でいようね」といいながら、次第に疎遠になっていった。
3月31日までは、毎日顔を合わせて一緒に暮らすようにしていた人が、環境の変化で、お互いに疎遠になっていき、忘れていくことがある。
学校を上がっていくごとに、異なる地に移っていった自分は、いまや、大学の同じサークルの数人の仲間以外は、全て、記憶のかなたに消えていった。
小さい頃、記憶が全ての財産だと思っていた自分は、そのような思いも既に忘れてしまい、今日、7月4日 40年目を迎えた。
僕には、余りにも多くの忘れてしまった人や場所や記憶がある。
悲しいことだが、事実である。
***
だが、それを記憶媒体としてのビデオや音楽として再生出来る。
時は戻しようも無いが、僕は、その中で「過去におぼれること」は出来る。
僕が、音楽や絵や映像や写真や詩に求め、感じるのは、その「妙な懐かしさ」である。
過去は戻らないが、僕は、その中で仮想的に感じることが出来る限り、過去の悲惨な重い事実から放たれ、生き続けていくことが出来る。
そんな気がする。
空想力・想像力だけが、苦しいこの人生を僕が生きていくための武器なんだ。
94年の「土曜ソリトン 金の斧銀の斧」、95年「土曜ソリトン Side-B」の映像、高野寛さんの歌、もろもろ・・。
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94年・95年の「ソリトン」を思い出しながら、その頃の僕を包み込む「刻(とき)の空気」のようなものを思い出していた。
もうすでに、あの頃あった環境も、周りの人々も、生活も、今は無く、同じ空気は既にこの世には無い。
しかし、それは無くなったのではなく、移ろい過ぎたに過ぎず、今は今の空気のあり方があるのだが。
それでも、あの過去の記憶は、激しくいとおしく感じる。
もう既に、自分は、愛した大阪を去り、既に、あのときの愛おしかった彼女もおらず、気がつけば、自分は、また一人になっている。
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「ソリトン」に存在した、ほんわかとした空気が好きだった。
しかし、番組の終了とともに、こういった空気も一挙に消えてしまう。
そして、そういった「あるべくしてあった存在」も忘却のかなたに。
可愛かった寧々ちゃん【写真】や緒川たまきちゃんの存在も、あのときめぐり合った一時的な人の出会いや語らいも、今は無い。
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そういったことに、時の持つ残酷さを痛感する。
三島由紀夫を愛する理由もそこにあるが、一瞬の帰らぬ刹那、僕はそれを胸に抱いて今も生きている。
あるとき・ある場所で、一緒に居た・一緒に暮らした・一緒に笑った記憶。
嗅いだ「刻の匂い」。
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コドモの頃、よく「卒業しても友達でいようね」といいながら、次第に疎遠になっていった。
3月31日までは、毎日顔を合わせて一緒に暮らすようにしていた人が、環境の変化で、お互いに疎遠になっていき、忘れていくことがある。
学校を上がっていくごとに、異なる地に移っていった自分は、いまや、大学の同じサークルの数人の仲間以外は、全て、記憶のかなたに消えていった。
小さい頃、記憶が全ての財産だと思っていた自分は、そのような思いも既に忘れてしまい、今日、7月4日 40年目を迎えた。
僕には、余りにも多くの忘れてしまった人や場所や記憶がある。
悲しいことだが、事実である。
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だが、それを記憶媒体としてのビデオや音楽として再生出来る。
時は戻しようも無いが、僕は、その中で「過去におぼれること」は出来る。
僕が、音楽や絵や映像や写真や詩に求め、感じるのは、その「妙な懐かしさ」である。
過去は戻らないが、僕は、その中で仮想的に感じることが出来る限り、過去の悲惨な重い事実から放たれ、生き続けていくことが出来る。
そんな気がする。
空想力・想像力だけが、苦しいこの人生を僕が生きていくための武器なんだ。