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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年1月26日 土曜日 China Crisis  「Forever I & I」'83

2013-01-26 12:25:06 | 音楽帳

かつて、イヤミ大好きな自宅待機の暇なネット住民から、英語で「お前は永遠にお前という牢屋から脱出出来ない」と揶揄された。
当然スルーしたが、本音は「キミもそうでしょ?」そんなことは、とうに偉人・カフカが小説にしていること。

よく人生を仕事に掛けたりする者や、スケジュール帳にびっしり予定を埋めて日々遂行する人が多いものだが、「社会がどうのこうの・・・仕事がどうのこうの・・・」と言いながら、残るものは何なんだい?

世間の狂騒にまみれる中にじぶんを刷り込ませることで、じぶんへの存在不安を消そうとしている強迫神経症と、「私」は判断・断定する。「お前がお前という個を捨てる覚悟をしたなら、そうしなさい」と親切にアドバイスする。

「じぶんという牢屋」であることは、全員同じである。「出口なし」であるのは全員だ。
ただ、「個」に立ち戻った際に、そのじぶんが一体何だったのだろうか?などという愚問・馬鹿な吐露を死ぬ間際にはしたくはない。それだけのことだ。

1983年~素浪人の夏には、チャイナ・クライシスの12インチシングル「ファイア&スティール」は、じぶんの定番だった。
問題は、B面2曲「ドックランド」「フォーエヴァー・アイ&アイ」という大好きな曲。過去にも紹介したものだが。
当初なぜ「アイ&アイ」なんだろうか?と思った。
「永遠にアイ&ユー」だったら理解しやすいが。

幼少の頃、三面鏡が怖かった。親が居ない独りの部屋で見る三面鏡に、奥まで続く自分の姿。
また自分が像を結ぶ鏡の中の自分に「お前は一体、誰なんだ?」という違和感を覚え続けた記憶。

エディのベッドルームで録音され、ギャリーがそこにシンセを重ねた「フォーエヴァー・アイ&アイ」。
イギリスから遠い距離にある日本で、その音に共鳴して毎夜・真っ暗な部屋で聴いていた自分。
チャイナ・クライシスならではの優しい曲もだが、タイトルにも深いものを感じる。
■China Crisis 「Forever I & I」1983■



朝起きたら、緑茶を飲むのは数十年にわたる決まりごと。
今朝もやかんでお湯を沸かし、幸福の一杯を飲む悦楽。

今朝、思い出したのが「喫茶去」(きっさこ)という言葉。
記憶をたどれば、ノイローゼの出口なしの中、脱出口を探して、生き方・悩み相談本を買っては読んでいた頃に出会った言葉。

茶家の元に、さまざまな相談や悩みを持って、その小さな茶室に現れるのだが、茶家はただ「まずは、お茶をお上がりなされ」。
質問の内容がどうあれ、それを一切聞かず「まあ、お茶をお上がりなされ」。
そんなくだりがあった。
「私」が悟りを開いているわけではないのだが、この言葉がよぎる土曜日の朝である。

疲労困憊である。
そこには、複雑骨折した大事なお袋さんへの心配や不安もあろうし、実家・自宅・つくば・仕事場を行き交った疲れもあろう。
天候不順の中で過ごすネコたちへの心配でもあるし、実家付近で見なくなったクロちゃん・ミーちゃんへの不安でもあるし、免疫力が明らかに落ち気味のカラダへの不安でもあろう。
(仕事への悩み・不安が絶えないのはいつものことだが)直感的に感じる・何かが身近におとずれそうな不安でもあろう。

ともかく、疲れが取れない。挽回できない。

QPコーワは、よく効く、じぶんに合った頓服剤なのだが、これはその日に効いても、翌朝どーんと落ちるのが副作用なので、
多用や依存は出来ない。

***

振り返ると、最近、よりいっそうに静かな音楽・痛々しい音楽ばかり紹介しているのはわかっている。
とはいえ、嫌いなロックや「元気」という嫌いな言葉を感じさせる音楽を掛ける気にもならない。
音は、心身に作用する。音と心身は一体とも言える。風景だってそうである。
空を見上げるには、そういう意志が働いている。

広い世界にたくさんある宝物の音楽・写真・アート。
「少し偏りがひどいね」と精神科医は、じぶんに言うだろう。
しかし、偏りがひどいのは生まれつき育ててきたじぶんの本性とDNA。
ネコが季節に応じて、心地良い場所を住処とするように、じぶんもそうしているだけのこと。

***

星の数ほどあるブログ。ブログなんてえのは、単なるオナニーのようなもの。
今やネット上にあふれるようになったネタを、適当に組み合わせればいくらでも仮想空間は作れる。

スケベ心がゼロでは無いにしろ、誰もが集まることは、このサイトのもともとのコンセプトには無く・想定外。大勢に押し寄せられても困る。
公的に開かれた窓でありながらも、自閉・鎖国したサイトみたいなものである。
何人来ようが来まいが、そんなことはどうでも良い。
あくまで、同世代の人たちの、ある瞬間のきっかけやヒント、止まり木であれば良いだけのことに過ぎない。
コメント
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