クラフトワークが、1975年に発表した「レディオアクティヴィティ(邦題:放射能)」を初めて知ったのは、YMOのワールドツアーなどを納めた写真集「OMIYAGE(おみやげ)」。
この中で、3人それぞれの生活や趣味・嗜好を紹介するコーナーがあり、坂本龍一のページで、教授が好きなレコードとして紹介された1枚に「レディオアクティヴィティ」があった。
その後、一風堂の土屋昌巳さんが(「レディオ・ファンタジー」発売前夜)FM雑誌で、自分の好きなニュー・ウエイヴ100枚を紹介したモノクロページがあり、そこでもクラフトワークの全アルバムが紹介され、2行程度のコメントが記載されていた。
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1981年に発表されたクラフトワークの新譜「コンピューター・ワールド」は、国内雑誌・海外メディアにボロクソ叩かれていた。自分はよく聴いた好きなアルバムであり・印象深いレコードだったが、皆クチをそろえて言う言葉には「明らかにYMOの影響を受けている」点を揶揄していた。ジャケットもイエローだし。。。などということまで言われて。
テクノの巨匠には、実に失礼な季節だった。
1980年当時、貸しレコード屋さん「友&愛」全盛で、借りたレコードを数百本のカセットテープに録音して持っていた(友人では無い悪人)ヤツの家に、音楽だけ聴きたさに寄っては刺激を受けていた。
しかし、そこで聴いた「レディオアクティヴィティ」は、「左脳が発達し過ぎた教授ゆえに選んだアルバム」という意識が強くあり、この時点では、あまりこのレコードは印象に残っていなかった。
どちらかと言えば、ポップな「マン・マシーン(邦題:人間解体)」。
赤い印象的ジャケットの方に夢中だった。
「レディオアクティヴィティ」はテクノポップというには、少々難度があった。
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このレコードの曲が自分の中に刻まれたのは、1985年の1月、冬。
毎週観ていた「日立サウンドブレイク」にて。
1985年1月12日放映、鈴木志郎康さん監修の回『メトロゲーム~東京の地下鉄の10本・全部に乗るゲーム』で選曲された「レディオアクティヴィティ」「レディオランド」「アンテナ」。
映像と音楽との結びつき方が、元地下鉄少年の体内感覚と合致した。
ここからレコード「レディオアクティヴィティ」への印象・「音を見る」角度・観点が変化し、自分の中で醸造されていった。
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2011年の「3・11」を経て、日比谷の野音。まだ余震・放射能への恐怖冷めやらぬ中、春の音楽フェスティバルとして開かれた「スプリングフィールズ2011」を聴きにいった。
ここで、細野さんは、新譜「ホソノヴァ」に混じって、クラフトワークの「レディオアクティヴィティ」を演奏することとなった。
細野さんのこのカバーは、アコースティック楽器演奏でもあり、そのゆったりさが、じわじわくる不気味さをたたえていた。
■Kraftwerk 「Radioactivity」1975■
「あの日」から1年10か月が経過して、2013年1月11日を今日迎えている。
「あの日」に露呈した問題は、何一つ進展していない。
・・・・だからと言って、何もしていないじぶんが偽善者ズラをするつもりは毛頭ない。
しかし現実に、身近な被災者関係から聞く実話では「東北バブル」が続いており、カネが東北に落ち続けている(全てには行き渡っていないのだろうが)。その事実の一方で、まるで「踏み絵」としてネガティヴな言い方がタブー視された、不健全な報道。この間に、違和感と乖離が生じている2013年1月11日。