
世の中、必死にゼネコンにカネを落とすために、東京という街は、過去から延々と破壊され続けている。
そういったものへの、じぶんの数十年に渡る絶望は、とうに涅槃を過ぎている。
最近であれば、経済を回すために東京駅を破壊して・あえて昔に戻すプロジェクトだったり、記念の場所・万世橋駅を含む淡路町・須田町のローラー潰しだったり、徐々に進む上野解体だったり・・・・。
「不景気・不景気・・・」と言いいながら、ボンボンボンボン新しい建物が建つ、この日本という不思議な国。
一方では、崩れかけた高速道路や橋があり、犠牲者が出始めた惨状。
そんな利益誘導だけが暗躍する中でも、じぶんは幼少の元・夢遊病者の延長で、懐かしい匂いや佇まいを求めて、街を迷走し歩いている。
街には、街それぞれの匂い、というものがある。
そんな匂いに導かれて、ネコさんやイヌさんの如く、クンクンと空気や気配や距離感を働かせ、迫り来る「東京未来都市化」の波間を縫いながら、今日も野良として、にんげんさまに「変なヒト」というレッテルを貼られながら、写真を撮りまくって歩いている。
「未来都市」にも、匂いが無い訳じゃあ無い。
MZ師が、今仕事で通っている「千葉ニュータウン」には、何一つ街の匂いが無いという「死滅」「空虚」という匂いがある。
かつて営業していた「多摩ニュータウン」にも、野良ネコ排除(=抹殺)を必死にしながら、強迫神経症の現れとしての「潔癖症」が姿となった、理路整然とした「キレイな街」というニセモ空気の匂いがする。
北千住の古い街を破壊して、でーんと出来た東京電機大学移転場所には、メタリックでハイパーな生き物全てを排斥する暗雲の匂いがする。
消えていく街へのノスタルジアを感じながら、今日もぼくは路地を迷走している。
ラビラント玉ノ井。
アメ公が実行した東京大空襲をも間逃れ、まだノラネコや路地や古い家などが、デコボコと温もりを残した大好きな街に暮らせる幸福を感じながらも、彼方から大波が来るざわめきが聴こえる中、ひたすら歩き・ひたすらシャッターを切り続けている。
■東向島 1月20~24日■




路地で、まだ産まれて3ヶ月程度の小さなネコさんと目線を合わせてお話し。
すると、背後からおばあちゃんの声が。
「暖かいところで日向ぼっこかい。この子の親は7.5kgもある大きなネコなんだよ。2匹産まれてねえ。3匹で仲良くやってるよ。
アメショーだのなんだの色々居るけど、やっぱりニッポンのネコはいいいねえ。可愛いいよお。」
しばし、雑談をした後、おばあちゃんは荷車を引いて去っていった。


去年、小村井や曳舟を歩いたときも感じたことだが、まだ墨田区のコドモたちはすれていない牧歌的な雰囲気を残している。










いずれ消えていく運命としても、じぶんはこの匂いを写真に収めていきたいと思っている。

■ヴァンゲリス 「子供(L'Enfant)1979」 アルバム「Opera Sauvage」より■
