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昨日いったん着たコートは、今日は着ずに越える。
雑踏からは程遠く、島の帰路は、人も居ず風も吹かずにおだやかで静かな夜。
夜闇にただよいながら、イヤホンから繰り返し流れる、教授と青葉市子さんの「Curl To Me」に任せて座礁すると、闇の深いところへと入っていく。
それはキュアーを聴きながら、夜の杜へ入っていく習慣を綴った「ロッキン・オン」のライターさんが、毎夜おぼれたのであろう浄化に近い。
帰っても「Curl To Me」をひたすら聴く。
お湯を沸かしてポットに入れる。お茶を飲み、あぐらで座し、ハロゲンヒーターにあたる。
ゴミ整理を、と開けた西尾久時代のローム層段ボールに手を突っ込み、紙ゴミをひっぱりだす。
「まずいな」と思う。
何がまずいのか。
紙ゴミたちに自分の抜け殻を発見し、そこでじいっと見つけてしまう何か。
それは、領収書のかたまり、もう不要になったのであろうが、それでも捨てるに困る様々な証書だったり。
それに混じって、2005と表紙に書いてあるHPの(今はおんぼろになったが使っている)プリンターの説明書本とCD-ROM。
表紙の小さい女の子の写真。夏の海。そのさまが何だかとてもかわいくて、CD-ROMもその本も、今では不要だろうがそれでも捨てるに困る。
こんな何かの偶然に出会うとき、大竹伸朗さんは切り取って貼ったり塗ったりするんだろう。時の隙間に裂け目が現れる。
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それらに混じって、当時プリンターを買ったうれしさから、写真用の印画紙に向けて、スクラップブックをスキャンしてポストカードにしたものが出てくる。
何でもそうだが、描いたり貼ったり塗ったりした挙句、放り出した「何か」は、時間をおいて眺めると、当時は気付かなかった発見を呼び起こす。
あんがい、おもしろいものを創っていたんだな、と。
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夜に漂うには。。。とジュリー・クルーズの「フローティング・イントゥ・ザ・ナイト」のCDをまさぐるが、どこにあるのか分からずやめる。
ゴミ倉庫をまさぐるうちに、かわりに出てきたのがスザンヌ・ヴェガのCDのかたまり。
買い物に行って、そこで目的じゃないものをいつの間にか買ってしまうように、好きで一生懸命集めて聴いた彼女のCDを持って、部屋に戻ってしまう。
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■スザンヌ・ヴェガ 「ルカ」1987■
彼女の”つぶやくような”ヴォーカル。
それを「発語すること、そのものの重みを知っている」と表現した方が居て、その表現に感服した。彼女の発語するさまに、詩人・田村隆一さんの「帰途」をつい重ねてしまう。
”言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界・意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか
・・・日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙の中に立ちどまる”(「帰途」より抜粋)
2枚目アルバム「Solitude Standing」は、異国・大阪で初めて買ったCDプレイヤーで、初めて買ったCD。
あの狭くとも、唯一の雨宿り場所だった十畳一間での夜を思い出す。
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火曜・定期通院で「ヘルニアはどうです」と訊かれ、「なんら平気ですよ」と言ったとたん、急に温度が下がったせいか、(たぶん)首に起因した頭痛が出始めた。
この冬は気付けば痛みが起きず忘れていると、こういう具合。それももっと苦しい想いをしている人に比べれば、さしたることではない。