こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年1月9日 金曜日 しずかな夜の波間

2015-01-09 23:48:54 | 音楽帳

昨日いったん着たコートは、今日は着ずに越える。
雑踏からは程遠く、島の帰路は、人も居ず風も吹かずにおだやかで静かな夜。
夜闇にただよいながら、イヤホンから繰り返し流れる、教授と青葉市子さんの「Curl To Me」に任せて座礁すると、闇の深いところへと入っていく。

それはキュアーを聴きながら、夜の杜へ入っていく習慣を綴った「ロッキン・オン」のライターさんが、毎夜おぼれたのであろう浄化に近い。

帰っても「Curl To Me」をひたすら聴く。
お湯を沸かしてポットに入れる。お茶を飲み、あぐらで座し、ハロゲンヒーターにあたる。

ゴミ整理を、と開けた西尾久時代のローム層段ボールに手を突っ込み、紙ゴミをひっぱりだす。
「まずいな」と思う。
何がまずいのか。
紙ゴミたちに自分の抜け殻を発見し、そこでじいっと見つけてしまう何か。

それは、領収書のかたまり、もう不要になったのであろうが、それでも捨てるに困る様々な証書だったり。
それに混じって、2005と表紙に書いてあるHPの(今はおんぼろになったが使っている)プリンターの説明書本とCD-ROM。

表紙の小さい女の子の写真。夏の海。そのさまが何だかとてもかわいくて、CD-ROMもその本も、今では不要だろうがそれでも捨てるに困る。
こんな何かの偶然に出会うとき、大竹伸朗さんは切り取って貼ったり塗ったりするんだろう。時の隙間に裂け目が現れる。

それらに混じって、当時プリンターを買ったうれしさから、写真用の印画紙に向けて、スクラップブックをスキャンしてポストカードにしたものが出てくる。
何でもそうだが、描いたり貼ったり塗ったりした挙句、放り出した「何か」は、時間をおいて眺めると、当時は気付かなかった発見を呼び起こす。

あんがい、おもしろいものを創っていたんだな、と。

夜に漂うには。。。とジュリー・クルーズの「フローティング・イントゥ・ザ・ナイト」のCDをまさぐるが、どこにあるのか分からずやめる。
ゴミ倉庫をまさぐるうちに、かわりに出てきたのがスザンヌ・ヴェガのCDのかたまり。
買い物に行って、そこで目的じゃないものをいつの間にか買ってしまうように、好きで一生懸命集めて聴いた彼女のCDを持って、部屋に戻ってしまう。



■スザンヌ・ヴェガ 「ルカ」1987■
彼女の”つぶやくような”ヴォーカル。
それを「発語すること、そのものの重みを知っている」と表現した方が居て、その表現に感服した。彼女の発語するさまに、詩人・田村隆一さんの「帰途」をつい重ねてしまう。

”言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界・意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか

・・・日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙の中に立ちどまる”(「帰途」より抜粋)


2枚目アルバム「Solitude Standing」は、異国・大阪で初めて買ったCDプレイヤーで、初めて買ったCD。
あの狭くとも、唯一の雨宿り場所だった十畳一間での夜を思い出す。

火曜・定期通院で「ヘルニアはどうです」と訊かれ、「なんら平気ですよ」と言ったとたん、急に温度が下がったせいか、(たぶん)首に起因した頭痛が出始めた。
この冬は気付けば痛みが起きず忘れていると、こういう具合。それももっと苦しい想いをしている人に比べれば、さしたることではない。
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2015年1月8日 昭和90年1月8日備忘録

2015-01-09 00:28:19 | 音楽帳

昨夜食べた”七草お茶漬け。見た目はともかく、おいしく頂いた。

いくらうすーいお湯割りとは言えど、何杯も呑んだらよくはないだろう。
眠る時間も少なくて、朝またもやアラーム音に「うううっ」とうなっていた。

さらには、朝えらくさぶくて、というのが立ち上がられなかった言い訳。
まるで座禅みたいに座って、ラジオが鳴るに任せて、お茶を一杯、味わって飲み、朝風呂の勢いを借りて出発する。

ラジオから、東京にインフルエンザ警報が出た、それに今日は北風ピューピューで寒いよ、と言っている。
地方都市に行くのもあって、ついにコート解禁。
しかし、朝風呂後にコートを着たので汗をかく。

外はたしかに寒い。
ただ、空の蒼さは純度高く美しい。行く道々、空にばかりシャッターを切る。

朝の電車はスカスカ。
教授と青葉市子さんの鼓動を聴きながら、本を読む。

おとといふらりと訪れた三省堂書店。
そこで、気になっていた辺見庸さん最新の対談本を立ち読みするために。
しかし、立ち読みするうちに、これは即買わねばならないと思って、衝動買いしたのだ。

辺見さんとの出会いに始まる云々は、今夜述べるにはヘヴィーなので後日に譲る。

今日、仕事で各所を移動するうち、約四半世紀知っている彼。
彼は、6つ下だが同じ頃に仕事を始めた、ほんわかした後輩。
話していると愉しい。

そんな彼と初めて深い話になった。
あなただから言うのだけど、とかしこまられて。
仕事をやめようと思っている事。こんな告白は、何もこんな機会じゃなくても、私だって昔からようく出会うこと。それはたいていが、そうはならずに済まされてきている。

まあ、仕事は人生でもあなた個人とも等しくない、ある一部に過ぎないんだから。その程度だよ、とさとすが、そういうことでもなかった。

それまで気が付かなかったのだが、言われて分かったのが、補聴器を付けている。
片耳は聞こえず、もう片耳も悪いという。
そうだったのかい。。。とハラを割って、いろんな話をした。
私は彼が好きであり、数少ないなかまであり、彼の心を何とかある方向に向けたかったのだ。

また、時間取って話そう。そうして笑顔の彼と別れた。

その後も別の場所で、仕事をまじえながらいろんな方と話したが、最近、社会でも組織でもない、その人そのものの”個”を最大限想うことにしている。
というのも、憂慮すべき人だけにだが。

夕方話していた主婦と両立して仕事をされている方は、足をけがして以降調子が悪い。
何度となく大ゲンカをした人だが、このところ身体ばかりを心配してしまい、どうやったら意に添えられるかをばかり考えて、言葉を発している。
自分にもそんな気持ちがあったのだな、と思う。

たまに憂える表情の彼女を笑わそうとする。

仕事を終えた地方都市の夜は早く、しんしんと冷える。
最後に雑談をしていた事務所。その新年のカレンダーを眺めていて、凝視した。
「こんなカレンダーあるんだね。」と話す。ついシャッターを切る。

へーせー何年、の下に、昭和90年・大正104年と記載されているのだ。
そうか、そんなえらい年数となっているとはね。。。そんな会話。

それに、今日はそういえば、へーせーが始まった日だったね、とも話す。
あの日の、ぽっかり空いた、変哲もない空虚な大学生のあの1989年の日の感じを思い出していた。

つい暗い方向に、またもや進んでしまった。
しかし、ここには一条の救いがあるのだ。
特別な説明は必要もなく。
なかまと共に、同じ時間を分かち合い、生きているリアルな感覚があることにおいて。

景気づけではないが、昨夜同様”あの1981から1982への冬の蜜月”に陶酔していた1曲を。
ミッジ・ユーロ率いる第二期ウルトラヴォックスのセカンドアルバム「エデンの嵐」は、レコードのミズがすり減るほど聴いた。
ジャパンの「孤独な影」と共に、生涯の100枚の1枚であることは確実だろう。



■ウルトラヴォックス 「幻想の壁(The Thin Wall)」1981■
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