
気持ちの機微は、振り子みたいで、ちょっとしたことで躁にも鬱にも動くけど。
それは、つね一秒ごとに生きていることのあかし。
じっとして心地良いときもあるけど、とどまることがよくないときには、外に出てみる。
運良く今日は晴天だし。これは達人たるネコたちの極意。
インターネットだとか、すまほだとか、小さい画面に必死に向かっていて、それが役立つときも多いけど、それが中心になったり、そこに引きずられ・あやつられ。。。
そんなことは、必要なときだけでもうおことわりです。

人肌の真綿のようにやさしい街を歩いていると、こちらもリラックスして、そういう気持ちになれる。
今朝は、半日近い小旅でくたびれ果てて、全身鬱のようになって起きたけども。
慣れたもので、歩き過ぎても、足が痛くなるようなことはないのだけど、最近は腰が痛くなるときがある。
そうやって腰をもんでいると、江戸時代・宿場町で翌日の長旅を前に、心身をいやしていたであろう旅人の姿が、なにかいとおしい姿として脳裏に浮かんで、ふいにほほえむ。

起きてトランジスタラジオをつけると、安住さんの声。
そこに相づちを打ち、ほんわか笑う中澤さんの声。
拓郎さんの「元気です」が流れた。70年代の幸福なあの子供の頃のシーンがよぎる。
”過去は加工されて美しく輝くように着色されるもんさ”
そう人は勝手にそう言うけれども、ボクはそうは思わない。
それはともかく、今という現在進行形のこのクニであったって、全部がダメとは言わない。
それは現実に歩けばわかる。出会う人、出会う風景、露地、ただよう空気やにおい。
今日も、そんな幸福な何かを求めに、歩きに行く。
かつていっとき地下生活者でもあった自分だが、今はどうやら旅の路にいながら、そこで過ごすほうが合っているようである。
■サディスティック・ミカ・バンド 「42℃のピクニック」1989■
