こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年1月19日 月曜日 星空の下で

2015-01-19 23:54:51 | 坂本龍一のサウンドストリート

12月からだが、帰り道、星を見る機会が多くなった。
正確な星の名前は分からないが、それでもオリオン座だけは分かる。「満天の星」とはいかないまでも、東京でだって星はキレイに見える。「満天の星」などというと、ジェットストリームの城達也さんのセリフがよぎる。
それでも、脚色一切なくとも、島から見える空には、たくさんの星が見つけられる。そんな夜。

東京の空は灰色。と書いた作文を、まるで詩人と捉えて、
そんな話を、親族が三ノ輪に集まる時には必ず定番としていたのも、今思えば70年代のこと。

作文と書いたが、それは、6つ上の兄のもので、私が小学生に上がった日には、兄は中学生に入り、すでに長い髪をしていた時代であり、この幼少の”6”という差はいかんともしがたい距離であった。
たぶん実際”灰色”であったのは、工場がもくもくと煙を出し、公害が社会的問題であって、東京湾からヘドラが産まれた頃に近い。

親の眼を盗んででは、”行ってはならない”と言われた魅惑的世界・駄菓子屋で、スモモを食べては舌を赤くさせていた頃。みうらさんが”科学””というと”=未来的”と思ったという話しにはおおいにうなずく。それは1970大阪万博の余波であるが、まさかその時に、三島さんが”あのような”ことになっていようとは、当時の私には知りえないこと。

当時は、今(2015)のガチガチで身動きが出来ない監獄では無かったので、様々な化学調合物が食べ物には混じっており、駄菓子屋はその手合いの食べ物のパラダイス。
そんなものを日々摂取してきて、今に至っても大きな影響はないので、紅茶キノコに始まる”健康宗教”が果たしてどこまで正しいのかは疑わしく、化学の専門家ではない私には知りえない。
ましてや”STAP細胞”なるものが何たるか?も分からない。

ゴミを整理しているうち、最近出てきたものがある。
それは、雑誌のページの切れ端。色が褪せてしまっているが、70年代の終わりから80年代以降のものは今も”昔”とは思えない感覚として生きているので、その退色感ほどには感じない。

中身を読み、そこから1981年夏前の頃、とわかる。
一風堂・土屋昌巳さんが選んだ「ニュー・ウェイヴ」レコード100枚。
これは、80年代のなかで集まった雑誌類の重みに耐えかねて「要らない部分」を捨てるために、本を根元のノドの部分まで裂いて、取っておくページのみを保存した残骸である。
雑誌は(週刊ではなく)「月刊レコパル」からのモノ。

ちょうど、教授のサウンドストリートに土屋さんがゲストに出たタイミング。
ようくレコードをたくさん持っている人におべんちゃらを使っては、その音楽メディアだけを目的に、友人でもない人の家に行ったように、それぞれのコレクションを覗く、というのは実に興味深かった。(今もネット上で”盗み見る”なら大して変わりないが、何のプロセスもなくワンクリックという点が全く違う。)
この記事も、そういうあこがれがこうして保存しては眺める、ということを繰り返しさせてきたのだろうが、引っ越しを繰り返す中で、荷物のなかに沈下していた。

”いつか、こんなにたくさんのレコード・コレクションを持てるようになりたいな”と思っていた。
そうして、土屋さんのリストをチェックしては右往左往し、そしてまた、モノクロ写真を眺める、そんな繰り返しだった。

100枚のうち、1~10枚まで。

1・セックス・ピストルズ「勝手にしやがれ」
2・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド ファースト
3・キャプテン・ビーフハート「美は乱調にあり」
4・トーキングヘッズ「フィア・オブ・ミュージック」
5・トーキングヘッズ「モア・ソングス」
6・スライ&ザ・ファミリーストーン「フレッシュ」
7・ウルトラヴォックス「システムズ・オブ・ロマンス」
8・ウルトラヴォックス「ヴィエナ」
9・ポリス「白いレガッタ」
10・フィリーズ「クレージー・リズムス」

あの1981年夏。九段下から神保町に向かう、ギラつく俎(まないた)橋を渡っては「夏季講習」に通っていた日の頃、別の「講座」をFMで聴いていた夜。
その番組のテーマ曲がウルトラヴォックスだった。

■Ultravox 「Vienna」1980■
今はYOUTUBE上には無いが、このヴィエナのプロモーションヴィデオが、後のMTVブームに与えた影響は実に大きい。

PS:今夜は、キーボードに向かったら”想定外”の結果になった。
いつもの”なりゆきまかせ”は変わらない。
コメント (7)
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