こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年1月14日 水曜日 ~ 冬の蒼さ ~

2015-01-14 23:28:23 | 音楽帳

こういう偶然もあるんだな、と知る。
ボニー・ピンクの昨夜の曲は、ミッチェル・フレームのプロデュース。彼はスザンヌ・ヴェガのプロデューサーでもあり、いっとき夫でもあった人。
ボニーさんの歌はよく中古CDショップの店頭で試聴するたびに、声の良さ・音と声の間合いにイイなぁとは思ったものの、そこまでフィールドを広げられる容量が私には無くて、CDを買わずに来た。

音楽との出会いの偶然は気まぐれで、たまたまとあるお店に寄った、そこで流れていた、あるいは、エサ箱にあった。。。そこに因果は無いはずなのだが、何かのさじ加減で、その音楽に辿り着いたりする。
(逆に、目の前にあるのに気付かずに通り過ぎてしまう。そのときは、お互い一期一会のタイミングではなかったのだ。)

マスメディアべったりの生活を送っている人には、必要以上のギチギチの情報が詰まっていて、パターン化された特定ルートを辿って何かに辿り着くことが多そうだが、怖いのはそこにキチンとしたマーケティングの法則があって、それに従った行動であった、というケース。
ボクらだけでも、こんな“その人がまるごとグーグル化していく”事態にコミットせず、そこから離れた地点にいるようにしたいものである。

ボニー・ピンクの昨夜引用した曲にプロモーション・ビデオは不必要だと思った。見なければ良かったとも思った。
音そのものの良さを殺してしまっているから。
しかし、そう言えるのも「今」だからであって、当時のボニーさんには必要な状況があったのかもしれない。プロモーション・ビデオが無ければ、音楽が成立しないような状況は不幸だと思う。

映像は視ず・音だけを聴く。それも必要。
ガービッジも17年を経て、今週初めて映像を見たくらいのもの。
昨夜戻った部屋で、何もほかに音がしない中鳴らした3曲入りマキシシングルには、とても素敵な時間をもらうことが出来た。

また、あるときは。。。
月曜歩く中、一切の余計なものを断ちたくて、珍しく音楽もラジオも聴かないで歩いたが、風や外気の音がとても新鮮だった。年が明けてから、素敵なことが多い。

最近ずっとどうするか悩んでいることがあった。昨年からずっと。

それは、「シンディー・ローパーのライヴに行くか、どうするか。。。」ということ。
実に幸福な悩みである。

昨年来日が決定してから、ずーっと迷っているうちに、こんな間際になってしまった。
TBSラジオやインターFMをいつも聴いていると、さかんにラジオCMをやっている。
そこでアナウンサーなりたてとおぼしき坊やが「“しーず、そー、あんゆーじゅある“・・・名曲のかずかず・・・どうたらこうたら・・・チケット発売中」と言うCM。
たぶん彼は、シンディー・ローパーがメインストリームに出てきた1984年に生まれてはいないし、アナウンスしている対象に対して、ろくに音楽すら聴いてもいないのだろう。
彼のスカスカした底の浅い発語感にそれが明確に現れていた。

ただ、1月に既にはじまっている日本公演のさなかでも、こんなにもCMを打つ、というのは、それだけチケットが売れていないんだろうな、ということは分かった。
彼女は、このもう変わり果てたクニ(ニホン)を今でも愛してくれている。
その一方で、たかだか数十人がタコ部屋で作ったヤフーニュース等々数行でモノを語ろうとする媒体を“すまほ”で見ては、くだらない話題や芸人を巡って、ああだのこうだのとメディアと合体して幼稚な騒ぎを日々繰り返す。そんなしょうもない生活を送る者が居る。そんな情けない事実がある。
「シンディーさん、あなたが思うようなクニでは無いんですよ。」

YMOが散会して暮れた1983年。明けて1984年は、細野さんの正月特番を聴くに始まったけれど、その後、私の精神状態がよりひどくがたがたになっていき、その視野からもあるが、1984年進行形音楽シーンはある局面で行き詰まりを見せ出す。80年代がとてつもない爆発をしたのも3・4年で失速し出す。
そんなさなかにシンディー・ローパーは目の前に現れた。

「ハイスクールはダンステリア」のプロモーション・ビデオで、派手で鮮やかな衣装に身をまといながらも、“はいっ、どんどこせっ、たら、どんどこせっ”といった具合に、がにまたで歩を進めるさまに微笑みながら、見て・聴いて・楽しんでいた。
ユーモアのセンスがあるユニークなヒト。私のイメージの中では(後に同居した相棒ネコにまで名前を付けるくらい大ファンになる)山瀬まみちゃんとダブる部分がある。

ファーストアルバム「シーズ・ソー・アンユージュアル」から何枚ものシングルヒットを飛ばし、映画音楽を経て、その後オリジナルアルバム二枚目で大きな変化を起こす。
セカンドアルバムとシングル「トゥルー・カラーズ」(1986年作)の登場である。このタイトル曲のシリアスさ、にぎやかにしている彼女の仮面の下の心情が見えるようで染み入った記憶。
(余談:この1986年暮れ近く、暗い綾瀬川への夜道に、カセットテープを捨てに行った。
その中の一本が、この「トゥルー・カラーズ」だった。好きなものを捨てるということは、つまりは、それなりの覚悟をしていた。)


いつも、この曲を聴くと、マドンナが“アイドルちっくな風して実はスケベ”や“処女のフリをして実は淫乱女”を演じるに始まったところから、それら汚泥にまみれたSEXにまつわる場所を離れ、見失いそうな自分に立ち戻るために、あるいは心身を清めるために、制作されたアルバム「トゥルー・ブルー」(1986年作)を思い出す。
ジャケットそのままの音楽。まさに透き通るかのようなブルーが見える宝石みたいな曲たち。

2人が「トゥルー」に向かった経路をいつも思い出し、そこに(作為的ではない)浄化されようとするそれぞれの魂のありかについて想いをめぐらせる。

2015年が明けた1月。インターFMから、何度もシンディーさん“おなじみの曲”が掛かった。
そのたびに、どうにも離れがたい彼女の音楽への愛着を自らに見いだしてしまい、なおいっそう悩んでしまっていた。実は仕事上、彼女の音楽に会いに行くには難しい日程なのだった。それでも、大好きな「シー・バップ」や映画グーニーズのテーマ曲など、聴いているうちたまらなくなる。

9・11直後のニューヨークの路上、即興的に教授のピアノに合わせて歌ったビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の映像。あの姿までもが脳裏に浮かんでやまない。
もともと彼女は、深い情を持った人なのだ。

たくさんのヒットがあるけれど、セカンドアルバム「トゥルー・カラーズ」に入ったこのカバー曲にも彼女らしい愛らしさが満ちていて、どうにもこうにも好きで仕方がない。

■シンディ・ローパー 「What‘s Going On」1986■
愛聴盤シングルレコード。
コメント
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