今朝の路で、初梅に出会う。
★1月16日のインターFMより 耳に響いた曲・プレイリスト★
09:53 「HUNGRY LIKE THE WOLF」 DURAN DURAN
10:00 「INVISIBLE TOUCH」 GENESIS
10:30 「HEAVEN'S KITCHEN」 BONNIE PINK
12:04 「HERO」 MR.CHILDREN
12:17 「SONIC MANIC」 木村カエラ
15:30 「TAKE ON ME」 A-HA
15:38 「WHAT YOU WANT」 MY BLOODY VALENTINE
16:14 「GOOD DAY TODAY」 DAVID LYNCH
16:34 「YOU'RE MY BEST FRIEND」 QUEEN
16:42 「CLOSING TIME」 SEMISONIC
16:46 「CLOSING TIME」 TOM WAITS
19:17 「JUNGLE LOVE」 THE TIME
19:20 「BACK ON THE RIGHT」 SLY & THE FAMILY STONE
19:23 「I'M DIGGIN' YOU (LIKE AN OLD SOUL RECORD)」 ME'SHELL NDEGEOCELLO
19:26 「MIRACLE DRUG」 U2
■1995大阪/2015東京
阪神淡路大震災から明日で20年なんて。。。「あの夜明け」から、まさか、ね。
そんな時間が経った気は、まったくしない。
ラジオですら「風化しつつある」という“常套句”を使うが、私の中では何も変わっていないし、それはデマカセのウソである。
そもそも誰が忘れるのだ、あんな目の前で起きた大事件を。
「忘却させよう」とするトラウマだったり、何かの意志があるだけのことだ。
阪神淡路大震災で苦しみを越えたみんなが居て、その経験があったからこそ、3・11の初動対応の早さがあった。ちゃんとチェーンは繋がっており、バトンは引き継がれている。
多くを語れる気力は今無いが、現場に物見遊山で土足姿で入り込んできたマスメディアが多くの人命のうめきを消し、助かるべき多くの人を殺した事実。
安藤優子並びに周辺すべての加担者に対する怒りと怨念は、末代に至るまで永遠に変わらない。私が死んで霊となった後も、恨み続ける。
ほんとは、それについて語るべきかもしれないが、今その日だからと、これ以上語る必要はない。ふだんいつも忘れてはいないことを、あえてこの日だけに言う気が起きないだけのことだ。心の奥底でだけ、多くの魂へ合掌する。
1995年1月17日、あの夜明け、四方すべてのカベにあるものが十畳真ん中で眠る自分の上に倒れてきた。あのとき、共に手に負傷を負った招きネコの“赤さん”。
あれから20年する今日もなにごとなく、玄関にじぃっと居て、自分をむかえてくれている。
すべすべした冷たい肌触りが気持ち良い。
一応、貯金箱にもなっているけど、お金は一円も入っていない。
今日、何よりもまずいニュースは、A政権が東大に軍事研究解禁を指示済みという情報。
それ以上は、言うまでもない。
■音楽のおはなしを続けるべし
YOUTUBEで、ボイド・ライスの「ブラック・アルバム」とタイトルされた、70年代作品を今週聴いていた。今朝も。
テープループを用いた作品。
https://www.youtube.com/watch?v=_Qjuv8Aj39o
思い出したのが、ダニエル・ミラーだったり、小中学生の頃ラジカセを用いテープループやピンポンダビングで多重録音して作った実験音楽。
そのカセットテープはどこかに行ってしまったけども、記憶に残る音がボイド・ライスの作品に重なった。
ボイド・ライスの音を初めて聴いたのは、ダニエル・ミラーとの曲。それは教授のサウンドストリート2回目(1981年4月14日)に掛かったもの。クリアネス&オーダー。
その後、輪廻転生を経て、再びボイド・ライスに邂逅するのは、上記震災をくぐり抜け、大阪から東京に帰還後のこと。
1996年東京は神保町JANIS。店内で出会い・借りたCD「MUSIC MARTINIS&MISANTHROPY」。
このアルバムは、スロッビング・グリッスル解散後ジェネシスPオーリッジらが結成したサイキックTVの音を思わせる。流れるベーシック音と分離・独立しながら同時進行する語りやSE。それらが入り混じる。
全体にはとても静かな空気が音にあり、それは1996年同時期に借りたFFWD(*)の作品の静けさや、(リアルタイムではないが1995-96年聴いていた)一風堂最後となるライヴアルバム「ライヴ&ゼン」(1984年)に付属された1枚(**)の静けさと同期化する。
(*)FFWD・・・ジ・オーブやロバート・フリップが組んだコラボレーションアルバム。
(**)一風堂・・・水滴がしたたり落ちる音から始まる・アンビエント色濃い「アクア・ノスタルジー」から「スターライト・シャワー」12インチヴァージョンへの流れ。
すでに遅いが、ちゃんと一風堂の作品をCD化してほしい。
「MUSIC MARTINIS&MISANTHROPY」はジャケット写真と共に中身も不気味で、「ディズニーランド・キャン・ウエイト」などは、営業時間を終えた夜の遊園地の恐さが音となっている。
西尾久に住んでいた頃、当時は(今は乗らない)自転車を走らせることが多かったのだが、もうチンチン電車(都電荒川線)も終電を終えた深夜、夜の散歩と自転車を転がして荒川遊園地へとよく行った。
回る事をやめたメリーゴーランド、動物たちの乗り物、その動かない物体の表面を舐める光沢とツヤ。
あれは思えば、幼い頃に見たウルトラセブンなどで出てきたシーンにも似ていた。
起承転結なんてものの無い世界。まるで夢みたいだが、でも現実にある風景を描写したような作品。
相変わらず分裂症的だが、”それでも生きていく”ために、やはり2015年は”はっぴいえんど”が良い。
そんな愛する一曲を、今夜に贈る。
■ジュリア・フォーダム 「ポーセレイン」1989■
大阪時代、いつも心をいやしてもらった、愛するジュリア・フォーダム。
数年前、ビルボードライヴ東京で、彼女の目の前に座って初めてのじかの対面。
その際、目が合ったのだが、その目をそらされた笑える記憶。
たぶん、個人的想い入れと憧憬の眼が異常で、彼女も怖かったのだろうと思っている。