こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年1月13日 火曜日 ~2015年冬の旅~駒込 

2015-01-13 22:46:20 | 写真日和

つね街に佇んでいる自分にわかるのは、体感として昨日がこの冬一番の冷え込みだったこと。
帽子を飛ばされそうになりながら、北風の中歩く。ぎゅっと帽子をかむり。

道行く喪服の人たちが、服をはためかせながら、カラダを抱えるように丸くなり、コーヒーショップに向かって足早に小走りしていた。
自転車は倒れている。

その寒さゆえか?歩いても歩いても、あまり人に会わない。
不思議な街。風景。

歩いているうちに、実は今日は祝日ではないのではないか?と不安になるくらい。

街を歩くと、その移り変わる光景の中で一瞬輝く。
その刹那をおさめようとシャッターを切る。素手で構えるカメラと乾燥した手がつめたい。

ある人・ある光景と出会うとき、それを永遠に閉じ込めたい一心がシャッターを押すと共に、遠ざかる。
不思議な不思議な距離がそこにあることを、時折感じる。

風景に、人に、ネコに、花に。
どれだけかキミと一緒にいたいと願っても、その間に確実に此岸と彼岸に分かれ合った一定の距離がある。だけども、このミクロコスモスの中でだけは一緒だよ、そうも言ってくれる。

永遠に街をさまようのをやめられないのは、そんな求める希求に呼応する幻想が立ち現われるからだ。

東京の中で豊島区は過疎化・高齢化の進みが激しい地区というが、過去巣鴨高校という男だけの囚人室に入れられていたことから、想い入れが強い。
そして、今でも街に佇む空気がたまらなく好きで、とてもいとおしく愛している。

実は都内で住む候補の一つに豊島区もあった。
結果的には、荒川区から追い出され、この東向島という楽園にたどり着いたけれども。
ほかにもたくさんの優しい街がまだいっぱいあるんだ。
街のゆくえを憂えながらも、為政者が潰しても潰しても、それでも、ボクは何かを探してさまよいながら、光を求めて歩き続けるんだろう。

昨年秋以降からだろうか?
かつて1996年東京に帰還してから、フィルムカメラを持って・くつ底をすりへらして歩いたこのへんを、再び歩き出している。
永井荷風先生が毎週嬉々とした満面の笑みで、まるで子供たちの遠足の心境で、いくつもの”お気に入り散歩コース”へと、独り旅に出ていたように。。。

今日は、そんな小旅の一部。冬の駒込より。
純化された冬の光が生みだすコントラストが輝くとき、体内にアドレナリンが流れる。
その光景のエロティシズムと官能。それに出会う瞬間が幸福でならない。



■ボニー・ピンク 「You Are Blue , So Am I」 2000■
ガービッジと同時にJANISで発見して買った、これも3曲入りのCD。
ボニー・ピンクの2000年の作品。

CDをかき集めて棚に納めていくうち、思った。
”そうだ、女性ヴォーカルでくくれば、良い一角のコーナーが出来るな。。。”。
そこにおさまるのは、スザンヌ・ヴェガ、ジュリア・フォーダム、グロリア・エステファン・・・etc。
































コメント
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