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『1984』と言えば、ジョージ・オーウェルの小説だったり、ヴァン・ヘイレンのLPタイトルだったりも想像するが、それよりほかのことが当時も今も想い出される。
1984年と言えば、YMO散会後向かえた年であり、最先端音楽が行き詰まりを始めた年である。進歩が何もなかった訳ではないのだが、時代は明らかに行き詰まりと輝きを失っていく。
1984年ニューウェイヴの流れは、海外でしか発売されていなかったインディペンデント・レーベルや所属ミュージシャンのLP国内発売が特に想い出される。
23スキドー、カス・プロダクトといった暗いアンダーグラウンド。ニューオーダーの「ムーヴメント」が国内発売されたのも1984年。ドゥルティ・コラム、アンテナ、ポール・ヘイグ、ペイル・ファウンテンズ他12インチシングル類を高校近くの池袋新星堂に買い行った記憶。
あるいは、ヴァージン・プリューンズ等ポジティヴパンクなるムーヴメント。
ドイツからはノイエ・ドイチェ・ヴェレ。マラリア、ノイバウテン、アタタックレーベル。
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自らは、1983年秋~冬、神経性胃潰瘍で緊急入院したのを経て、鬱と幻覚が(そのような意識が当時無いまま)流れ出し、萌芽し育ち出してしまった年が1984年。どの音楽を聴いても精彩を欠いた肉体味の無い、生ぬるい音に聴こえて困った。
そんな中リアルタイム音楽の救いは、トンプソンツインズのLP「イントゥ・ザ・ギャップ」とクレプスキュールレーベル周辺+土曜深夜番組「FMトランスミッション/バリケード」からエアチェックした珠玉の数曲。それを大事に繰り返し聴いていた。
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この数日、ポータブルmp3プレイヤーに入った曲の一部を入れ替えた。
その中には、トンプソンツインズのLP「サイド・キックス」「イントゥ・ザ・ギャップ」がある。
トンプソンツインズの存在を知ったのは1982年LP「セット」だが、大勢のメンバー、ジャケットのあいまいさ・・・当時、実際の音は聴かなかった(聴く機会が無かった)。
その後ごたごたがバンド内に起きメンバー3人になる。このへんはヒューマンリーグが辿った道にそっくりである。
そんな彼らの1983年LP「サイド・キックス」の曲を初めてFMで聴いて、なんとポップでフットワークのあるバンドなんだろう・・・と感激した。「サイド・キックス」はブリティッシュ・インヴェンションの流れを受け欧米でヒットしたが、その翌年発表した「イントゥ・ザ・ギャップ」はファーストシングルだった『ホールド・ミー・ナウ』という名曲を伴い爆発的ヒットと彼らの名前を世界に広めた。
ジャケットだけを見てしまうと、つい「売れ線(=今や死語)」と思う人も居たが、音楽はそのような小さなものではない。リーダーのヴォーカル=トム・ベイリーは、当時ピーター・ゲイブリエルらとの交流があり、民俗音楽的要素を取り込んだポップスを創る才能があった。
実際この頃、空を流れる雲を眺めながら「イントゥ・ザ・ギャップ」を聴いていると、数少ないシェルターとして幸福な土曜を過ごすことが出来た。
打楽器を取り込んだパーカッシヴなポップスは、私にとって数少ない安らげる音楽だった。
■Thompson Twins 「Sister Of Mercy」1984■
必死こいて集めた彼らの12インチシングルや録音カセットは宝物。
去年来日したトム・ベイリーを観に行くことは叶わなかったが、今でも彼らの音は愛おしい。
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