こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年6月4日 木曜日 「初夏のサウンド・13 たまには気楽に」

2015-06-04 23:56:42 | 音楽帳


1987年7月7日いたずら書き
今、頭痛を感じながら、洗濯機が回る音。ラジオからは野球のナイターが聞こえている。
肩こりから来る頭痛なのだ。「そんなものは、慣れ親しんだもの」と普段ならいきがってみるが、少し今夜はしんどい。ということで、想うところはあるけどヘヴィな内容は避ける。

前にチラッと触れたが、この1~2か月Youtubeにラジオ番組「テレホン人生相談」が在ることを発見して、ずいぶんと聞いた。約10年前営業車を転がしている頃聞いていた受け止め方とは異なる。

聞きながら加藤諦三さんが相談者の心理を読み取るチカラに感服するばかりである。
加藤さんは、相談してくる内容を聞きながら、そう聞いてくる悩みそのものではなく、相談者がなぜ?そこに執着するのか?という点と点を線として読み取り、相談そのものでは無い根源に切り込んでいく。書いていて(嫌いな)フロイト的でもあるが、ともかく深い。

昔、橋本治さんの著書「とうに涅槃を過ぎて」の評論を書いた誰かの文章を思い出した。
”(橋本さんは)ある事柄・此の世のすべての形式的「顔」は、そう宣言することによって、かろうじてその外形を保っているに過ぎない。彼はそのことをよく知っている。”
そんなニュアンスの事実

話しは音楽へ。。。
昨夜、ゴミ仕分けを進めるために、パンツ一枚で汗をかきながら・ゴミをひっくり返していると、探していたチラシを発見した。
1980年のマクセル・カセットテープのプレゼント応募台紙。

プレゼント期間は「昭和55年4月1日~7月31日」。
当時点数を集めて、カセットテープのインデックスカード(オリジナル)やテープ収納ボックスをもらった。

思えば、音楽に突然異変や異分子が現れること。
そんな事件こそ望んでいた。
そして実際、世界の全体像が全くもって分からなかった、幼少から高校の頃(80年代中盤)まではそんな事件の応酬の日々だった。体系化して認識出来たのは、あくまで後のこと。

それは、テレビCMだったりラジオだったりを通じて。
ジャズ/フュージョンで言えば、或る日唐突の。。。渡辺貞夫、日野皓正、渡辺香津美、ハーブ・アルパート、チャックマン・ジョーネ、ジョージ・ベンソン・・・etc。彼らとの出会い。

そして、1980年という年は、YMOと山下達郎との出会い。
カセットテープのキャンペーンにおいて、マクセルは達郎さん、フジはYMO。
教授と達郎さんが大親友という流れも知らず、一緒に音楽を創ってきた2つの光は、別々のカタチで、とてつもない発光オーラを放った。
そこに僕も、音楽ファンも、日本全土も包まれて、その中でたゆたっていた。

「いい音しか残れない」

■山下達郎 「ライド・オン・タイム」1980■


僕はこの曲を聴くたび、歌詞そのものの通り「輝く未来」「希望」を感じた/感じる。
それは渋谷陽一さんが「サウンドストリート」最終回だったか?良い音楽を聴いたときに、自分のなかに広がる解放感。。。それは個人的なものかもしれないけれども、他では代替えの効かないものだという発言。あるいは、僕とほぼ同じリアルタイム年月日に静岡で、YMOを聴いて「うわっ、未来の音だ」と言った石野卓球少年。それを想う。

じゃあ、1980年当時は良かった、と年寄りの懐かしみなのか?
というと、そうでは無い。

未来や希望を感じるよろこびの瞬間に、その後のコトや明日のコトを考えているか?
といえば、全く感じていない。未来や希望とはそういったものだと思う。

そんな瞬間は、街に漂い、風の中シャッターを切るさなか、イヤホンから聴こえてくる音に、今も舞い降り続ける。それは昔も今も変わらない。
だから音を聴き・歩き続けている。その瞬間に出会うために。


このチラシは、インデックスカード用にカッターでくり抜かれている。
そのカセットテープは、1980年夏に録音したYMOと糸井重里さんのNHK-FM特番が収録されたものなのである。なんという偶然。

コメント (2)
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