おまへの苦悩はふたつの方向からくる
ひとつはほとんど生理的に決定された
連帯感の拒否からくる
ひとつはおまへの階級が
完全犯罪によって殺される
そんな暗い予感からくる
おまへはおまへの皮膚を刻んで
被虐的なゆめを結ぶな
おまへは最終の眼で
民衆の破局を映せ
奈落の底には嘆息はないのである
苛酷だけがあるのである
わたしに荷はれた苛酷の量を
ひとびとより重いと感じるのは無意味だ
きみは観客にとっての観客
だれもが亡びることを望んでいるとき
亡びる時間をもたなかった
きみは踏みはずしたかつたのに
世界は縁のない板であつた (1953・吉本隆明)
***
今日一日が終わろうとしている時間となった。こう書いて、クロスオーバーイレブンの津嘉山正種さんの語りや城達也さんのジェットストリームの冒頭を想い出した。
そうさ、こんな時間からむしろやっとその日が輝き出したのだ。
「お楽しみはこれからさ」という具合に。
せっかく毎日(あまり好きな言葉ではないが)一生懸命生きているんだから、欠落だらけの不具者状態でも何らかのひっかきキズくらいは残してあげたい。”世間様”には迷惑でも自分に対して失礼だろうと、今夜は思った。体裁は整わなくとも、何かを書いておきたい。
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今日は、18時前に仕事場をさっさと抜け出た。
自分には「今だから」逢いに行かねばならないヒトがいた。
こんな明るき時間に帰る『帰宅組』は多いものなんだなぁと思いながら、うっとうしい連中に混じって地下鉄駅にやむなく歩いた。遊ぶしか脳の無い女が多い。
横にいる友人X師に訊いてみた。X師はストレート過ぎるように言い切った。
「この世はキタナい者のみが生き残るもんだよ。
えげつない男とえげつない女だけがのんのんと犯罪行為を人生と読み替えて、たくましく生きるだけだよ。
これをそのままニホンなりニホンジンとは置き換えられないけど、多重人格を演じきる芝居のさまを見たら、とてもじゃないけど、お前だって、美しい国だの国民性がどうこうというステレオタイプな表現は浮かばないだろ?
少なくとも東京の繁華街なりビジネス街なりを歩いて、聞こえてくる話や野蛮なふるまいを見て、そうは言わないだろ?
だってお前も俺も、今から4年2ヶ月前にココで、ガンバレ日本だの・復興支援だのと、寝言をこの場所で聞いたんだぞ。311後に現れた多くの虚飾と嘘も、まあ他国に比べればましなのかもしれないけど。それをもう一度想ったほうが好いよ。」そう言われる。
その後、嫌いな渋谷に降り立つ。今年二回目。
一回目は、森山大道さんの話しを聞きにきたとき。
そして今日は。。。
80年代初頭お会いして以来、声はずっと聴いてきたが、目の前での再会だった。
■Boz Scaggs 「Last Tango on 16th Street」2015■
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開場を外で待っていると、ピーター・バラカンさんにお会いした。
ボズ・スキャッグスのライヴの詳細を振り返るには、まだ数時間しか経っていない。
こなれずに体内で固まっているので、一筆では語れない。
しかし、一つだけ言うならば、今夜演奏されたボズ・スキャッグスの新譜からの曲が素晴らしく良かったので、CDを買うつもり。
(それはそれで良いのだが)過去の楽曲よりも自分の耳に残った。
その一方では、(ボズのせいでは一切無いが)かろやかなショックと絶望もあった。
ひとつはほとんど生理的に決定された
連帯感の拒否からくる
ひとつはおまへの階級が
完全犯罪によって殺される
そんな暗い予感からくる
おまへはおまへの皮膚を刻んで
被虐的なゆめを結ぶな
おまへは最終の眼で
民衆の破局を映せ
奈落の底には嘆息はないのである
苛酷だけがあるのである
わたしに荷はれた苛酷の量を
ひとびとより重いと感じるのは無意味だ
きみは観客にとっての観客
だれもが亡びることを望んでいるとき
亡びる時間をもたなかった
きみは踏みはずしたかつたのに
世界は縁のない板であつた (1953・吉本隆明)
***
今日一日が終わろうとしている時間となった。こう書いて、クロスオーバーイレブンの津嘉山正種さんの語りや城達也さんのジェットストリームの冒頭を想い出した。
そうさ、こんな時間からむしろやっとその日が輝き出したのだ。
「お楽しみはこれからさ」という具合に。
せっかく毎日(あまり好きな言葉ではないが)一生懸命生きているんだから、欠落だらけの不具者状態でも何らかのひっかきキズくらいは残してあげたい。”世間様”には迷惑でも自分に対して失礼だろうと、今夜は思った。体裁は整わなくとも、何かを書いておきたい。
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今日は、18時前に仕事場をさっさと抜け出た。
自分には「今だから」逢いに行かねばならないヒトがいた。
こんな明るき時間に帰る『帰宅組』は多いものなんだなぁと思いながら、うっとうしい連中に混じって地下鉄駅にやむなく歩いた。遊ぶしか脳の無い女が多い。
横にいる友人X師に訊いてみた。X師はストレート過ぎるように言い切った。
「この世はキタナい者のみが生き残るもんだよ。
えげつない男とえげつない女だけがのんのんと犯罪行為を人生と読み替えて、たくましく生きるだけだよ。
これをそのままニホンなりニホンジンとは置き換えられないけど、多重人格を演じきる芝居のさまを見たら、とてもじゃないけど、お前だって、美しい国だの国民性がどうこうというステレオタイプな表現は浮かばないだろ?
少なくとも東京の繁華街なりビジネス街なりを歩いて、聞こえてくる話や野蛮なふるまいを見て、そうは言わないだろ?
だってお前も俺も、今から4年2ヶ月前にココで、ガンバレ日本だの・復興支援だのと、寝言をこの場所で聞いたんだぞ。311後に現れた多くの虚飾と嘘も、まあ他国に比べればましなのかもしれないけど。それをもう一度想ったほうが好いよ。」そう言われる。
その後、嫌いな渋谷に降り立つ。今年二回目。
一回目は、森山大道さんの話しを聞きにきたとき。
そして今日は。。。
80年代初頭お会いして以来、声はずっと聴いてきたが、目の前での再会だった。
■Boz Scaggs 「Last Tango on 16th Street」2015■
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開場を外で待っていると、ピーター・バラカンさんにお会いした。
ボズ・スキャッグスのライヴの詳細を振り返るには、まだ数時間しか経っていない。
こなれずに体内で固まっているので、一筆では語れない。
しかし、一つだけ言うならば、今夜演奏されたボズ・スキャッグスの新譜からの曲が素晴らしく良かったので、CDを買うつもり。
(それはそれで良いのだが)過去の楽曲よりも自分の耳に残った。
その一方では、(ボズのせいでは一切無いが)かろやかなショックと絶望もあった。
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