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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

写真日和 「ステキさ一杯の"FrancFranc" 青山店」

2010-07-07 22:00:48 | 写真日和


この日曜日、表参道~青山を写真撮りながら、東京街散歩。

僕自身の仕事柄もあるが、オープンしたばかりの「フラン・フラン 青山店」に行く。
ステキさ一杯の楽しくなるインテリア・グッズの山・山・山・・・・・。

こんな一等地を贅沢にも、たった2階立てで構成。

天空からは、たくさんの照明が雨のように、降ってくる。

僕は、可愛いギンガムチェックと水玉模様がオモテウラに入ったダイニング・コットンのシートに「一目惚れ」してしまって、買う。

「フラン・フラン」のオシャレな袋に入れてもらって、家でその買ったシートと袋を眺めながらご満悦。

すっかり、仕事場の不夜城に引きこもった生活が続いていたが、外には、まさに星の数ほどのオシャレでステキなものが、街にはあふれている。

ひさびさに、自分のタマシイが、カタログを創り・展示会を企画していた30代の頃の気分に戻りつつある。
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デイジーワールドより  「”世界の”坂本 と”音楽の神様”細野さんの和解の瞬間」 '99

2010-07-05 20:45:11 | 音楽帳
1978年、細野さんの声かけで、YMOは結成されたが、「いつもYMOの問題児」=坂本龍一は、YMOのプロデューサーだった細野さんへの反発から、3人は表面はともかく「坂本VS細野」の対立構造が生まれ、その間を取り持ったのが幸宏さんだった。

幸宏は、それを、よく「わたしはタイコ持ちですからねえ~(笑)」と笑いにすっ飛ばして誤魔化していたけど。

YMOの楽曲を振り返っても、坂本&幸宏、細野&幸宏の共作曲はあるが、坂本&細野の共作曲は唯一「浮気なぼくら」に入っているカッチョイイ「ワイルド・アンビションズ」1曲だけという事実が、その事実を語っている。

1999年、やっと「いつもYMOの問題児」=坂本龍一が、細野さんとの和解を持つ。



この2000年の放送でも、その辺りの話をしている。
これが、やっと、YMO3人の良い関係になり。。。そして、今の「3人の戦友」のフラットな関係とYMO名義での(周囲の軋轢から生まれた「再生」ではない)再結成に繋がっているのである。

そういった意味では、このテープは、非常に歴史的記録の意味あいを持つ対談だった。
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夏のフェイバリッツ⑤ 大貫妙子&坂本龍一 「色彩都市」'82

2010-07-04 11:48:23 | 音楽帳


おおむかし、大貫妙子と坂本龍一は付き合っていた。
坂本龍一は、ユーミン(荒井由美)なんかより大貫妙子の方の才能を認めていた。

そういうかたちんば自身も同様に、ユーミン(荒井由美)なんかより大貫妙子の方が「稀有」な才能を持っていると思う。

初めて大貫妙子さんの曲を聴いたのは、「カーナヴァル」だがYMOをバックしたテクノ風の曲に衝撃を受けた。

それ以降も、大貫妙子さんのアルバムは出るたびに楽しみに聴いている。

そんな中で、やっぱり秀でているのは教授と創った共作ばかりである。
クレジットは大貫妙子だが、実質は、大貫妙子&坂本龍一だと思っている。

大好きな曲の中の1曲として、ナツになると聴きたくなるのが「色彩都市」というアルバム「クリシェ」の中の名曲である。
彼女の代表作と言ってもいい。

詞も良いし、教授自身が叩いた土俗的なドラムが「下手うまい」素晴らしい曲、アレンジは当然坂本龍一。

トロピカルな南洋の絵が浮かぶ。
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マリ・ウィルソン 「Wonderful To Be With」'83

2010-07-03 11:34:54 | 音楽帳
以前に「音楽帳」で、マリ・ウィルソンの「Wonderful To Be With」という、とってもとってもとってもとっても素晴らしい曲を紹介したのだが、YOUTUBEのアップが削除されてしまったので、リンク切れを起こしているので、再度、この名曲をアップした。

今回は、1983年4月~12月末までニッポン放送でやっていた、大好きだった「高橋幸宏のオールナイトニッポン」の貴重な音源がYOUTUBEにアップされていたので、教授がゲストの回に絡めてアップする次第であります。



当時、イギリスと日本は、音楽の最先端を巡って、相互良い意味で、情報戦を戦わせながら、共に高水準の音楽を輩出し続けていた。

幸宏のこの番組では、トシ矢嶋くんが、毎週、イギリスの最先端のシングルを紹介してくれて、それを聴くのがわくわくして楽しかったなあ・・・。

『輝かしきありし日の1980年代。』

90年代以降~2010年を通過していく。。。。。。この堕ちて行く一方の未来無き日本なんて、しょせんはガキ相手のクズみたいな時代に見えて仕方が無い。

1970年、三島由紀夫先生は、戦後アメリカナイズされ、骨抜きにされていく日本に絶望の限界で、堂々と割腹自殺を遂げるが、自分は、体内の1980年代がキラキラと輝き、YMOと3人がいまだに前進し続けて、そのまたたきが自分の原動力である限り生きていく。
死ぬのはいつだって死ねるのだから。

YMO+3人を超えたミュージシャンが、1990年代以降、未だに出てこないのは、どうしようも無い事実である。
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日本ラップ≠音楽

2010-07-02 14:11:00 | 音楽帳
●何か90年代以降、日本にいつの間にか『ラップ』という音楽を1つの分野として、位置づけされてしまった。

●また、東京の街を歩いていると、指輪じゃらじゃら&ピアスの『ラッパー』なるオトコが、携帯電話で話すにも、周囲と話すにも、いちいち、両手を「ヨーヨー」しながら、その「日本のラッパー」というか「ラリパッパ」野郎は、ヘンな抑揚付けたコトバでしゃべっているシーンを見ることも多くなった。

●今は、ニューヨークを拠点として音楽活動を展開している坂本龍一先生は、かつて日本人の「ラップ」&「ラッパー」を差して、「もともとラップというのは、低所得層黒人が自分らで獲得した音楽なんだという自信を持っていて、実際のラップはもっと重いサウンドであり、日本のラップというのは聴いてても軽いというか薄っぺらく感じるね。」と日本のラップがしょせんは「まがいもの」だという事を指摘している。

●かたちんば自身は、「ラップ」というのは、「ハミング」と同様、音楽の中における「技法の1つ」に過ぎなくて、「ハミング」というものが1つの音楽カテゴリーにならないのと同様にして「ラップ」も1つの音楽カテゴリーにすべきではない、というのが持論である。

●とはいえ、先の坂本龍一先生の言うような黒人の中で生まれた「ラップ」文化に触れ、最初に聴いたのは、1982年のグランドマスターフラッシュの『ザ・メッセージ』だった。



今、世間で流れているような「コトバづくめ」のラップでは無く、もっと面白いものだったが、この1曲は大好きで、その12インチシングルを所有している。

当時、土曜の夜中の27時に「スタジオテクノポリス27」という番組がFM東京であって、ピーター・バラカンさんが色んな面白い音楽を紹介してくれた。
彼が紹介した音楽は、それまでニュー・ウェイヴ&テクノ一辺倒だったこのかたちんばに、もっと広い分野の音楽の楽しさを教えてくれた。

●日本におけるラップ・・・・・・
確かに、98年頃のドラゴン・アッシュというのは、それまでひたすらコトバ遊びのまがいものだったラップとは一線を画して面白い、良い音楽だったとは思ったが、それ以上のものは、それ以降聴いた記憶が無い。

●在日・による「ゆすりたかり」目的のエセ右翼では無い・真性なる日本の右翼である私と友人MZ師がよく会話するのが、日本の中に居るラッパーは、全て「ラッパー狩り」して収監し、全員自衛隊として、PKO活動の一環として、いまだ潰えぬ宗教戦争等の戦地に片道切符で送り込もうという結論である。
そうすれば、戦地で戦死しても、この愛する国=母国日本の為に無くなった尊い命として御霊を祭ってあげられる、という最良の選択であると確信している。



●上記は、いかに日本「ラップ」&「ラッパー」が「まがいもの」であるかを、揶揄して利用した、みうらじゅん大先生の大爆笑ラップのコーナーの一部である。

●最後に再び言うが、日本「ラップ」&「ラッパー」の存在は、音楽とは程遠い。
音楽では無い、という「事実」を公言して、この回を終わる。
ご静聴ありがとうございましたm(_ _)m。
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夏のフェイバリッツ④ 細野晴臣 「ハリケーン・ドロシー」’75

2010-07-02 11:15:14 | 音楽帳
今日は、早くも「夏疲れ」が出てしまい、仕事を休む事にした。

外は、くもり空。
でも、自分の体内は、すでに南洋のトロピカルなナツにワープしている。

細野さんの音楽は、どれもこれも矢野顕子曰く「かわいい曲」というか、ほっこりした優しさが、いつもあふれていて、心身にフィットする。

それは、初めてYMOに出会った中学生以来変わらない。

早速、今日も「トロピカル3部作」の中でも、特に好きな曲の多い「トロピカル・ダンディ」を聴いて、一足先に南洋に足を向ける。



「トロピカル・ダンディ」は「チャタヌガ・チュー・チュー」「熱帯夜」「北京ダック」「ハニー・ムーン」・・・etc・・

どれをとっても素晴らしい曲満載だが、「ハリケーン・ドロシー」は、最初の女性の素敵なハミングに始まり、スロー・テンポのゆったりした流れが、数年前に訪れた沖縄の海のおおらかさを思い出させてくれる名曲。



アルバムのプロデュースは、細野さん&ティン・パン・アレイ名義になっている。

何度も繰り返し聴いていくと、場所は東京でも、心身ともに南洋に行けるという魔法が降りかけられたレコードです。
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スケッチブック 「東武浅草駅 切符窓口」

2010-07-01 21:21:31 | スケッチブック


未来とレトロが共存したデザインがステキ!

まるで大竹伸朗が喜びそうな「ツボ」にはまる、「日本景」デザイン。

***

昨夜は20:30~おでん屋「御多幸」にて、しゃべりずらいキレイどこの女性陣に付き合わされ、已むなくビールとハイボールを飲み・・・・・0時過ぎの帰宅(-.-;)。

・・・・・という訳で、今日は昨夜のうんざり感から、19:30一人でひょいと消えるように帰り、独りで街を漂う。

今夜の湿気は、さほどでもないのが救いだな・・・・。
独りで飲むカンカンに冷えたビールが旨い。
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写真日和 「梅雨の合間の青空」

2010-07-01 00:08:50 | 写真日和


今日で、2010年も半分終わったことになる。
そんな意識も無かったが、昼、お弁当を同僚と買いに外に出ると「夏雲」が美しく空に漂っていた。

本格的な夏も、もうすぐ、そこまで来ている。

「2010年後半戦」も、何とか生き延びるデヨ!
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