●何か90年代以降、日本にいつの間にか『ラップ』という音楽を1つの分野として、位置づけされてしまった。
●また、東京の街を歩いていると、指輪じゃらじゃら&ピアスの『ラッパー』なるオトコが、携帯電話で話すにも、周囲と話すにも、いちいち、両手を「ヨーヨー」しながら、その「日本のラッパー」というか「ラリパッパ」野郎は、ヘンな抑揚付けたコトバでしゃべっているシーンを見ることも多くなった。
●今は、ニューヨークを拠点として音楽活動を展開している坂本龍一先生は、かつて日本人の「ラップ」&「ラッパー」を差して、「もともとラップというのは、低所得層黒人が自分らで獲得した音楽なんだという自信を持っていて、実際のラップはもっと重いサウンドであり、日本のラップというのは聴いてても軽いというか薄っぺらく感じるね。」と日本のラップがしょせんは「まがいもの」だという事を指摘している。
●かたちんば自身は、「ラップ」というのは、「ハミング」と同様、音楽の中における「技法の1つ」に過ぎなくて、「ハミング」というものが1つの音楽カテゴリーにならないのと同様にして「ラップ」も1つの音楽カテゴリーにすべきではない、というのが持論である。
●とはいえ、先の坂本龍一先生の言うような黒人の中で生まれた「ラップ」文化に触れ、最初に聴いたのは、1982年のグランドマスターフラッシュの『ザ・メッセージ』だった。
今、世間で流れているような「コトバづくめ」のラップでは無く、もっと面白いものだったが、この1曲は大好きで、その12インチシングルを所有している。
当時、土曜の夜中の27時に「スタジオテクノポリス27」という番組がFM東京であって、ピーター・バラカンさんが色んな面白い音楽を紹介してくれた。
彼が紹介した音楽は、それまでニュー・ウェイヴ&テクノ一辺倒だったこのかたちんばに、もっと広い分野の音楽の楽しさを教えてくれた。
●日本におけるラップ・・・・・・
確かに、98年頃のドラゴン・アッシュというのは、それまでひたすらコトバ遊びのまがいものだったラップとは一線を画して面白い、良い音楽だったとは思ったが、それ以上のものは、それ以降聴いた記憶が無い。
●在日・による「ゆすりたかり」目的のエセ右翼では無い・真性なる日本の右翼である私と友人MZ師がよく会話するのが、日本の中に居るラッパーは、全て「ラッパー狩り」して収監し、全員自衛隊として、PKO活動の一環として、いまだ潰えぬ宗教戦争等の戦地に片道切符で送り込もうという結論である。
そうすれば、戦地で戦死しても、この愛する国=母国日本の為に無くなった尊い命として御霊を祭ってあげられる、という最良の選択であると確信している。
●上記は、いかに日本「ラップ」&「ラッパー」が「まがいもの」であるかを、揶揄して利用した、みうらじゅん大先生の大爆笑ラップのコーナーの一部である。
●最後に再び言うが、日本「ラップ」&「ラッパー」の存在は、音楽とは程遠い。
音楽では無い、という「事実」を公言して、この回を終わる。
ご静聴ありがとうございましたm(_ _)m。