こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 : 12月13日 月曜 朝

2010-12-13 09:09:35 | 雑記帳
昨夜は23時前には床に入り寝た。
表面はさておき疲れていると睨んだから。
***
日曜11:30に起き、風呂と支度し、タクシーで南千住まで。霞ヶ関で乗り換え乃木坂へ。13時ホームでMZ師と合流「ゴッホ展」へ。空はとてつもない東京晴れ。
展覧会は別で語るが、見終わり昼ご飯兼お茶の席に着いたのは15時。乃木坂から六本木迄写真撮りつつ時間を要してしまった。
2人共疲れMZ師は持病のメニエル病のめまいが出始め、早々に切り上げ別れた。
六本木から東向島に帰り、炊事洗濯入浴&ノンアルコールビール。しばしパソコンいじり、21時外出し実家へ。
***
7:30起床。だるくはないがまだ寝たい。寝ぼけながら温かい味噌汁をすする。外は暗雲垂れ込み昼前に雨降り出すらしい。
大好物の程良い熱さの濃い緑茶,薬,ドリンク剤。
寒さの中の出発。葉が散りいよいよ冬到来か…。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 「ぼく」と「ブログ」と「X-Day(死)」と

2010-12-11 05:02:20 | 音楽帳
私がブログの存在を初めて知ったのは、5年以上前のTBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」の中の特集だった。
まだ、ブログというコトバが浅い段階の時点だった。
そこから、たまたまテスト的に立ち上げてみたら自分にも出来て驚いた。

ただそれだけのきっかけから5年以上の時間が過ぎた。
そうしたブログの開設から2、046日目の深い夜を。


・・・・初期はアクセス数を上げようという恣意的な記事のアップ、トラックバックや他所のブログとの交流、アフィリエイトなど試みたり、乱れたりしたが、今はこれら「無駄なたわごと」の全てを捨て去った。

ここ(ブログ「こころとからだがかたちんば」)は、あくまで今では自分が立ち寄れるシェルター(=一時避難所)の中の一ヶ所であり・場である。

そして「橋頭堡(きょうとうほ)」である。
ウィキペディアを引用するが、”敵地などの不利な地理的条件での作戦を有利に運ぶための前進拠点”を意味する。

エイリアン=かたちんばには、それは家という安住の地ではなく、防衛と前進のための「一時的な場」なのだ。
いずれは、去る事を前提とされた場なのだ。

***

嘆き・恥・馬鹿な発言・想い出・告白・・・・etc
全てひっくるめてランダムな「ぼくのかけら」でありながら、個人ブログの容器の中に放り込む事で、紆余曲折の上、いつ死ぬかわからぬ「私」の長い遺書と総決算の場にする事をココロの中では決めた。



キング・クリムゾンの1969年のファースト・アルバム A面3曲目『エピタフ』の中に「Confusion Will Be My Epitaph」というコトバがある。

まさに人生=生き方と死に方の射を抜いたコトバ。

『錯乱こそ私の墓碑銘となろう』

***

2010年12月の自分には、このブログとは長い「エピタフ」(墓に刻まれる名前)を意味している。
ただ、孤独な独白のみには耐えるだけの力は、今の自分には無い。
だから、伴走者を必要としている。
それは、同じ時代と共に闘っているヒト。

しかし、伴走者はいずれ誘導から業務を終えて離れていき、その後、自分は1人で死んでいかねばならない。

独りで生き独りで死んでゆく動物たちの偉大さに敬意を抱くと共に、「かたちんば」で過剰な意識を持った動物=ニンゲンに産まれた不幸。


【キング・クリムソン 「エピタフ」】

***

いつ来るか分からぬ「死」に恐れながら、時間は確実な速さで「死」に向かい落下していく。
この今でさえも、時は1秒ごとに刻まれていく。

そして、いつ来るか分からぬ「死」は、それがENDマークを出した瞬間に、持ち主を失った遺品たちも死に、放置され、いずれ朽ち果てるであろう。

ピンク・フロイドの「狂気(The Dark Side Of The Moon)」の中の『タイム』にも『残ったものは、書きなぐられた予定表だけ』という恐い真実が語られている。

誰が死のうが、時だけは、着実に何事も言わず進行し続けていく。

死への準備。
ヤドカリのように大きく残ったあらゆる持ち物の引取先、そして、このブログの引取先。
ほとんどが、ゴミとして廃棄されてゆく。

せめて生きている間に、誰かの心身の中に記憶として残れるような何かが残ればいいのだが。

***

キング・クリムソン 「エピタフ」

予言者達の書き付けた壁は 割れ目から崩れ落ち
殺戮の道具の上に 日の光は燦然と輝く
あらゆる人が悪夢や夢想とともに 引き裂かれていく時
栄冠など何処にもありはしない

静寂が叫び声を呑み尽くしてしまう

破滅の定めの鉄門のもと 時の進行の種子は播かれ
聡明かつ著名な偉人らの行為が 水を与てきた
掟を決める者もいないならば 知識とは死を招く友人
全人類の破滅の定めは 愚者どもの掌の上にあるようだ

「錯乱こそ私の墓碑銘となろう」

ひび割れ荒廃した道を私は這い進む
なんとかなるというのなら腰を下ろし笑ってもいられよう
しかし 私は明日が怖い 私は叫び続けるだろう
そうだ 私は明日を怖れ 私は叫び続けるだろう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日和 : 師走の灯

2010-12-10 23:59:21 | 写真日和

【新御茶ノ水駅 地下1階のツリーたち】

私は、宗教は嫌いだし、クリスチャンでもない。
しかし、師走のライトアップされたツリーを見ると、宗教観とは関係なくうっとりしてしまう。

秋~冬の境目の中、街を彩る電飾たちには、こんなやさぐれこげぱんでも、多少は優しい気分になる。

***

山下達郎さんは歴史に残る音楽家であり、敬意を抱いているし、達郎さんのクリスマスの曲も後世に残る名曲で素晴らしいと思っている。

しかし、「あの曲」とJRのCMを繋げたバカ広告代理店により、それ以降、日本のクリスマスはなぜか「カップルの性的な日」に「制定」されてしまった。

44の私なぞは、幼い頃、クリスマスは「家」であり、「住まうところ」でささやかに送る日であったが・・・。

達郎さんの曲が「一人きりのクリスマス・イブ・・・」と言っているのに、なぜカップルの性的な日のオ下劣BGMなのか!?

また、ワムの「ラスト・クリスマス」という高校生の頃、すぐ好きになったこの曲も「去年のクリスマスは楽しかったよね・・・」という内容も「最期のクリスマス」と勘違いしているヒトも多い。

理解に苦しむ人々が多いのは、いまさらのことだが。

***

今年も、私は一人きりでクリスマスを過ごすことになるが、寂しくはない。
それは強がりでもない。

吉田美奈子さんの大好きな曲「頬に街の灯」のように、寒く暗い中にともる電飾の灯さえあれば、私はそれで十分しあわせになれるのだ。

***

PS:今週も、何とか病人でありながら、1週間を乗り越えられた。

支えてくれた同僚、後輩、上司、友人たち、くもおさん、さくりんさん、森下礼さん、そして、お袋さんとまみちゃんに深く感謝。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YMO 「CUE」'81

2010-12-09 20:20:20 | 音楽帳
今、とある構想を描いていて(仕事ですが・・・)昨夜も、本屋を巡り歩き、喫茶店ではノートにアイデアのかけら・断片を書き、歩きながら、イマジネーションを描き、悶々と思案に暮れていた。

そんな状態に「まるで、YMOのCUEだな・・」と思った。

***

1980年、YMOはアルファ・レコードの要求で突きつけられた第2次ワールドツアーという過酷な世界行脚の中、心身を磨耗し切り、教授はノイローゼ手前まで行っていた。

そんな中、1980年暮れに武道館の凱旋公演を行い、年を越えて、またキチガイじみたスケジュールの中「BGM」を3月21日に向けて、アルバム制作に入る。



プロデューサー細野さんが抱く「次には絶対良いものが出来る」という確信だけで、「BGM」制作に突入していく。

さんざんワールドツアーで同じ演奏に飽きた彼らが、革命を起こすのはそれからだった。

「同じ事はしない」という中、だから・・・じゃあ、何を創るのだ?

そういう葛藤・苦悶の中、一晩で仕上げたのが「CUE」だった。

教授は、ノイローゼで録音にも顔を出せない状態に至る中、細野さんは「これは幸宏のものでもなく、自分のものでも無い。そういう出所不明な曲が出来たときに、背中が寒くなった。」というように、まさに、ここで語られている「手がかりを下さい。あともう少しで見えるんだ。」という訴えは、その「BGM」の次期YMOサウンドを探し、暗中模索を続けた彼らの叫びだった。

***

だから、僕は、心情的にも葛藤が荒削りな形のまま出た「BGM」というアルバムを愛している。



1981年「BGM」「テクノデリック」という永久名盤と年末のウィンターライブで、YMOはやりたい事はやり尽くし「解散したい」と申し入れたが却下された。

その後の1982年、唯一、公的な場にYMOが出たのは上のTV出演だけだった。
僕は、このヴァージョンが、一番オリジナルに近くて好きだ。

神経質で真剣な彼らの緊張した空気感と訴えかけるもの。

幸宏のホホのコケ方、うつむき加減の細野さん、ゲートリヴァーヴのタイトな教授のドラム・・・。

(正直、2000年以降、近時のユルい「CUE」は、自分には余り受け入れられない。)

***

YMO 「CUE」

Give me a cue(手がかりを下さい)
I think I've nearly found you(もうすぐ近づけそうだ)
Give me a cue(手がかりを下さい)
I can see clues all around me(手掛かりは到る所にある)
The sound of music(音楽の調べ)
The crying of the air(空気のざわめき) 
The sound of music(音楽の調べ)
The echo of the earth(地球の回転する音)

I'm sick and tired of the same old chaos(変わり様の無い混沌はもうウンザリだ!)
Must be a way to get out of this cul-de-sac(この袋小路から抜け出す方法はある!)
The sound of music(音楽の調べ)
The sound of my own voice(僕自身の声)

***

さて、僕自身の「とある構想」がまとまるのは、いつだろうか?
(と言っても時間の余裕は無い)
「CUE」はそこいらじゅうに転がってはいるのだが。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 心身回復への道程

2010-12-09 08:47:09 | 雑記帳
「かなりしんどそうですね..顔辛そう..」
仕事の同僚から昨日言われた。
実際、水曜朝は鉛のような重さで中々立てなかった。
冷静に内観するに、月曜22時までへろへろ、火曜は早く帰ったものの私からの要請で打合せ三昧、又、火曜夜にラジオ付けっ放しで睡眠学習が影響したと判断。朝にドーンと心身共重さが来る事への対処は俯瞰で自己点検しパターンを読む必要あり。
昨日15時~2週間ぶりの検診。
γGTPは、11月1日バサッとノンアルコールビール&薬減らしに切替たお蔭で、560から65に劇的に落ち合格。
残るは抑鬱の対処のみ。

むしろ肝臓より永きに渡る朝の抑鬱緩和が問題の焦点。
MZ師曰く「意識の問題」。
44歳の自分は「金なる残り時間の無駄をどれだけ自分に回せるか?」が「CUE(=手がかり)byYMO」だと思っている。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日和 : 深夜の南千住引き込み線

2010-12-08 19:00:00 | 写真日和


神経質なわたしは、幼い頃、床に入っても眠れない夜が多かった

ふとんに入り真っ暗な中、耳だけが冴える

遠くからよく南千住の引き込み線の車庫に、貨物列車が入って行き

レールと列車が軋む音を聴いていた

三ノ輪から近くて遠い南千住車庫からの音は闇夜の空にこだまし

響くこだまは、その先の異次元に繋がっていた


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 夜のニュースを久々に覗いてみる

2010-12-07 23:30:54 | 雑記帳
今夜は、珍しく20時過ぎに帰れたので、久々に地上波TVのニュースを見てみた。

■まず、21時、NHKニュース。
「皆さんの受信料」なるもので出来ているというNHKなるTV局のトップニュースが海老蔵とやらの女たらしのよく解らない会見を長々放送。
しかし、私のような「非ゲーノー通」には、5W1Hが無いので、何の為の「謝罪会見」なのか?何故泣いているのか?意味不明。
「しっかりして欲しいですね」という締めも意味不明。
要は、年明けの億単位の興行がパーにならない為の谷町に向けたPRの様だが、実に馬鹿げた放送。
加算式で無く定額服従の受信料など絶対払わぬ。
■続いて反日朝日の報道ステーション。
お前らいつから「はやぶさ」(※あかつきくんが正解)応援隊に変わったのだ(・◇・)?
常に風向き見てスタンスを変える。
ワイドショーと報道番組の垣根を壊した久米宏のニュースステーションの在り方は画期的だったが、この番組は認めない。
ウィキリークスをニュースにしていたが、事態は「そこまで」進行しているのだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かたちんば徒然日記 : 「ぺろぺろ~って、事を済ませる」達人について

2010-12-06 22:57:00 | 雑記帳
22:20帰りの電車に飛び乗りました( ̄へ ̄;)。
私の場合、月初が忙しいのはいつもの流れではありますが。。。
ダウナーなびっこマンには、休み明け初日からはハードワーク(◎へ◎)。

いただいたお便りに、ちゃんとお返しをしたいのはヤマヤマなのですが、初日からバッテリー切れでやんす。

明日は、朝からつくば村の会議だし。
まあ、今日遅くなった理由の一部は、せっかくつくば村に行くからにはついでに片付けたい事あって、その準備もありましたが。。。
向かいの席の同僚Sさんも同じ事思っていたが「律義にやってたらキリが無い。臨機応変にほどほどにしないと死ぬぞ。」ということ。

細部「作業」に入り込むと、つい人は大きな視点・そもそも何を目的にやっているのか朦朧として見失う。

最近、ファジー【死語】に泳ぎながら適当に済ませ上手でも憎まれない・とあるお偉いさんを表現して「ぺろぺろ~ってなめてうまく済ませる」というのが我々周囲のハヤリ文句だが、なかなかそうはいかないものである。

頭は賢い人なので、ある意味では、この人は「人生の達人」なのかもしれない。
無器用な今の自分には真似出来ないが。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真日和 : くれないのスカイ・ツリー

2010-12-05 17:38:12 | 写真日和


16:00~17:00過ぎまで、家の周りを散歩した。
白鬚橋の上から見るスカイ・ツリーと夕暮れ時の隅田川。

つい、ムーンラインダーズの「くれない埠頭」をクチずさんでしまう。


吹きっさらしの 夕陽のドックに 海は繋がれて 風を見ている
行くあても無い 土曜のドライバー 夢を見た日から 今日まで走った

SITTING ON THE HIGHWAY
SITTING ON THE HIGHWAY
いつかは 雨に打たれるさ

SITTING ON THE HIGHWAY
SITTING ON THE HIGHWAY
誰かを 待ち続けて・・・・

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピロリの秋'83-⑧ YMO 「SHADOWS ON THE GROUND」

2010-12-05 12:58:00 | 音楽帳
1983年の「ピロリの秋」において、YMOを外すことは出来ない。
神経性胃潰瘍で入院した病院から覗ける白い晩秋の秋の空。

内緒で寝ないで聴いていた毎週火曜日の「坂本龍一のサウンドストリート」、それが終わって、夜中1:00~3:00の「高橋幸宏のオールナイト・ニッポン」。

1983年の最後のアルバム「サーヴィス」。

元々は作るつもりはなかったが、まさに「サーヴィス」として、スーパーエキセントリックシアターとの共演のA面・B面合計60分のサーヴィス盤。

1週間前倒しで12月14日に発売された「散会記念アルバム」。



グリーンのカラーをしたLP盤を何度ターン・テーブルに載せたことだろう。
もう二度と戻ってこない1983年の晩秋。

***

作るに当たって、ほろっと予想外に出来上がってしまった名曲たち。
細野さん&幸宏の「リンボ」、アルバム全体の随所に光る細野さんのチョッパー&グイ乗りベースのカッコよさ。

なぜか細野さんが秋の森を歩きながら、つぶやいているかのような「マッドメン」。

教授の、過去を振り返りつつ、遠くを眺める「パースペクティヴ」。

そして、幸宏&教授の「SHADOWS ON THE GROUND」。
「11月・・・・自分のからっぽな心情風景は冷ややかなグレイ・・・」。



入院した事で、最後の武道館コンサートには行けなかったが、このアルバム「サーヴィス」と1983年・年末NHKで放送された「散会コンサート・ライヴ」は、未だに僕の心に焼き付いている。


コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする