うさぎ学園 多趣味部

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そうだ、防衛省に行こう!(その3)リアル!三島由紀夫がつけた刀傷

2017-08-26 21:56:27 | 64号室 社会科見学
『三島由紀夫』を知っていますか?


前回の展示品の続きで・・・『青龍刀』もありました。
中国の刀ですよ。
カンフー映画などでよく登場しましたね。



これは『倭刀(わとう)』。
漫画「るろうに剣心」の終盤での敵役「雪代 縁(ゆきしろ えにし)」が使っていたのがこの倭刀です。
・・・知らないか(笑)。



この写真、「東京裁判」の様子です。
玉座の上あたりから撮った写真のようです。
こんな雰囲気だったんですね~。



大講堂に展示されている軍服。
詳しい説明は無かったんですが・・・カッコイイですね。



軍服マニアの人は萌えそうだね。



着て歩くのは難しいと思うけど・・・。



自分の部屋に展示しておくとカッコイイかも♪



海軍の帽章。
左が生徒用で右が将校用。



勲章。
時折、こういう勲章の偽物がリサイクルショップなどに出回っているので、掴まされないように気を付けましょう。



これは・・・戦車に搭載されていた銃か??
錆びてるけど・・・凄いな。
フラッシュ撮影は禁止です。



自由見学の時間がトイレ休憩込みで15分程度ってのは短いなあ。
大講堂の入り口にはこんなのありました。
1970年頃、六本木で使われた『砲金製看板』と『木製看板』。



見学は場所を移して、二階の『総監室』へ。
ここに『三島由紀夫』が立てこもり、世にいう『三島事件』を起こしました。
三島 由紀夫(みしま ゆきお)は本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)。
小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者で血液型はA型。
戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、海外においても広く認められた作家でした。
晩年は政治的な傾向を強め、自衛隊に体験入隊し、民兵組織「楯の会」を結成。
1970年(昭和45年)11月25日、楯の会隊員4名と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地(現・防衛省本省)を訪れ東部方面総監をこの部屋の監禁しました。



バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起を促す演説をした直後に割腹自決しました。
そのバルコニーがこの市ヶ谷記念館の入り口の上のバルコニーです!



係員さんが「ここを見てください!」っていうので見てみると・・・。



この傷・・・三島由紀夫がここに立てこもった際、突入した自衛官を追い払おうと日本刀を振り回した際に付けた刀傷です!!



移築の際にこの部分も残したんだそうですよ。



三カ所ありましたが・・・。
なんか・・・生々しいですね・・・。



これは総監室に展示されていた旧1号館の模型です。
これの一部を移築してここ市ヶ谷記念館にしたわけですが・・・入り口の上のバルコニー(グレーの部分)が割腹自決の場です・・・。



見学場所を移して・・・ここは『旧便殿の間』。
ここを訪れた天皇陛下が使用した部屋です。
普通の部屋は、人を招き入れるためにドアが内側に開くんですが、この部屋は人を招き入れる事は無いため、ドアは外側に開きます。



今はこの便殿の間も展示室になっています。
こんなのありました。
士官学校で優秀な生徒に贈られた時計です。



このドアの上のルーバー、何だと思いますか?
当時はエアコンはありませんでした。
この部屋の周囲の壁は二重構造の厚い壁になっていて、外気温を遮断すると同時に壁の中を通る冷たい空気をここから室内に送っていたんです。
エアコンの無い時代に、こんな工夫がされていたんですね~。



こんな写真も展示されていました。
でっかい集合写真の一部ですが、左から2番目の小さい黒い服の人が『山本五十六(やまもといそろく)』です。
新潟県長岡市出身の連合艦隊司令長官で、
『やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。』
こんな名言を遺した人です。



市ヶ谷記念館の最後は・・・大講堂の2階から撮った玉座。
玉座が遠く感じますね~。
玉座からここは近くに感じるんですよ。



次回、多用途ヘリ『ひよどり』を見に行きますよ。
お楽しみに~!

※三島由紀夫についてはウィキってます