しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

湯屋のはじまり

2015年01月01日 | Weblog

江戸の銭瓶橋に湯屋(銭湯)の第一号が開業したのが、天正19年(1591年)家康が江戸入りした翌年だった。

関西では銭湯のことを風呂といい、江戸では湯屋(ゆうや)と言ったそうです。この頃の湯屋は蒸し風呂だった。その後、戸棚風呂、柘榴口風呂と進んだ。当時は町人、商人の家に風呂はなく、みんな銭湯に行った。文化11年(1814年)には江戸市中で600軒に達した。おおむね1町内に1軒の普及率だった。午前8時から午後8時頃まで営業していた。

湯屋には小桶と溜桶があり自分専用の溜桶を置くことが出来た。溜桶は1年200文以上だった。「溜湯」という月決めで入湯料を払う制度もあった。一人一月148文。1軒ぐるみの場合、一人48文から100文だった。溜湯の客は番台の帳面に登録されていて、その客が来ると、湯番が拍子木を鳴らした。

当時の銭湯入湯料は大人1回8文、子人1回6文、幼児1回4文だった。月20回以上来る場合は「湯留」で登録すると安かった。男女、混浴だったが、入浴時には男女共に平素使用の褌湯具をしめてを取り、入浴用の新しい褌をしめて入り、平素使用の褌湯具は風呂の下盥で洗って、洗い場の竿に干しておくのが常であった由。男女とも褌をしめて入浴するのだから風紀上問題ないと思ったようでありますが、外国人が驚いて、度々、問題となった。慶安以降、褌を外して、手拭だけとなると一層問題が大きくなった由。日本の銭湯の歴史は実に面白い。


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