北方文化博物館・分館(旧伊藤文吉 別邸)は、明治28年(1895年)頃の建物で、伊藤家・新潟の別邸として購入したものです。
後に「夕刊ニイガタ」の社長を引き受けた「会津八一」が昭和21年から10年間居住した洋館が残っています。
枯山水の庭・書斎と応接室2階は寝室です。1935年から1945年まで早稲田大学の教授を務めた。1946年から亡くなるまでこの洋館で終の棲家として過ごした。1951年、新潟市名誉市民となる。同年「会津八一全歌集」を刊行し、読売文学賞を受けた。1956年死去75歳だった。
1階の書斎から一日庭を眺めながら思い出にふける会津八一のありし日の時間を共有できた感慨を覚えました。良い空間を味わえました。
愛用の机と椅子。窓からの景色、比較的狭い空間。ぜひ味わうことをお勧めします。ありし日の空気。タイムマシンに乗ってその日に訪れた
知人として会津八一の世界に入ることができます。