旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ガラベーヤ・パーティへ

2019-01-23 19:31:57 | エジプト
↓「良い写真だから送るよ~」
と声をかけてきてくれたのが、中に写っている背の高いラテン系の二人。
チリのサンチャゴから来た学生だった↓


コモンボを出航したクルーズ船、夜に恒例のガラベーヤ・パーティがおこなわれる。

↑この二人、どの写真見てもハイテンション。
↓「ポテトレース」にも参加しておりました

※腰から紐をぶらさげて先にポテトを結びつける。そのポテトを揺らして床に置いてあるもうひとつのポテトに当てて転がすレース

日本では仮装パーティなんかぜったいしないという人でも、こういう時には着ちゃった方が楽しいです(^.^)

ペットボトルをまわして「爆弾ゲーム」

子供たちはすぐ本気になっちゃう↓
「ぼくじゃないからね!知ぃ~らない」↓




***
さっきまでコモンボ神殿で物売りをしていた子供たち







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ベッドメイクも卵も、ひと工夫してある楽しい船旅

2019-01-23 12:00:00 | エジプト

クルーズ船に戻るとこんなベッドメイクがしてあった↓

以前はほんとに手の込んだベッドメイクしてくれていたのを思い出す↓
2004年のベッドカバーとメガネまでつかった大作↓

↓同じ年の「ミイラ」かしらん?↓

**
ランチのダイニングでは卵がこんなになっていた↓

しっぽがあるからネズミかしらん?

味もバラエティもすばらしいです

その場でグリルしてくれるハンバーガー、おいしかった(^.^)

***
ランチが終わるころ、窓の外になにかやってきた↓
↓すでに普通に航行している船なのに

小さなボートが波をたてながらコバンザメとなり、
その上でテーブルクロスを売っている↓

その執念には誰もが脱帽

****


この日の朝、エドフ到着。すでに多くの馬車が待ちかまえている↓

朝食のテーブルには我々用に日本食が用意されていた。鯖も、卵焼きも、酢の物も、ホウレンソウも、ちゃんと日本食になっている。

これは、ハトシェプスト女王葬祭殿で食べたおにぎり弁当をつくってくれた人にちがいない。
今日午後にお会いできるそうなので、御礼もうしあげなきゃ(^.^)
**
馬車でホルス神殿へ行く道
らくだがこんな風に運ばれていくのをはじめてみた↓

↓あの扉は教会ですね↓二階部分が壊れているのが気になる

ホルス神殿はエジプト人家族連れにももちろん人気

※2016年訪問時のブログ、こちらからごらんください




夕方、コモンボに到着

ホルス(鷹)とセベック(ワニ)、二つの対立した神々に捧げられためずらしい神殿は正面入り口が二つある↓

円柱が切り取られているのは19世紀に製糖工場をつくるときの装飾に持ち去られたのだそうな↓

モハメド・アリは、いや彼に限らずほとんどの19世紀エジプトの統治者は古代神殿よりも殖産興業の方が大事だった。
これは、日本だってヨーロッパだって同じです。

↓かつてはここがセベック神(ワニ)のミイラ庫だった↓

今は立派な博物館に移ってしまったが、巨大なワニのミイラがほんとに触れる場所に置いてあったのです。

今晩はガラベーヤ・パーティ



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はじめてのアラビア文字

2019-01-22 14:15:05 | エジプト
アラビア文字は日本文字と同じように書道の大会があるのだそうだ。

右から左へ、流麗に筆が描きだすアラビア文字は、意味がわからなくとも美しい。
今回のガイドさんが、クルーズ船にアラビア習字の先生を呼んでくれた。

まずはアラビア語のアルファベット28文字を、お手本を見て自分で書いてみた。

英語でいう「ABC」です。

アラビア文字は似たような文字が多くて覚えにくい…と思うのはただ馴染みがないからにすぎない。
日本文字だって「め」と「ぬ」、「さ」と「ち」…

それよりもアラビア語のアルファベットには[P]が存在しない。
そのことで納得したことがある。
アラビア語を話す人々はパピプペポを発音するのにとても苦労しているのだ。
ベテランガイドさんでも
「パスタ」を「バスタ」
「ポンド」を「ボンド」と発音してしまうことがよくある。
それはつまり、[P]が存在しないせいだったのだ。

だから「JAPAN」も「ヤバン」と発音するエジプトの人々。
アラ先生に続け文字でなくJAPANを書いていただいた↓

↑上段の右からはじまる。国の名前にはアラビア語の冠詞である「AL」をつける↑
そしてYABANと表記された。
我々日本人は「ヤバン人」です(笑)

アラ先生の華麗な筆さばきを見つめる↓

使っているペンは竹製↓

インクに最適なのは、日本の墨汁なのだそうだ。次回、お会いできる機会があればお土産にしよう(^.^)
↓エジプト伝統のパピルス紙に、各自のお名前をアラビア文字で書いていただいた↓


全員、自分の名前をアラビア文字で書いてもらう

人は「えたいのしれないもの」を疎ましく・恐ろしく感じるものである。
エジプトの旅は古代遺跡を楽しめるだけでなく、日本人にとって「えたいのしれない」、アラビア文字やイスラム教を少しだけでも理解することのできるチャンスなのだ。
少しでも理解することができれば、アラビア文字やイスラム教の世界に生きている人々に親しみを持つことができる。
そういう旅を造っていきたい。

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ハブ神殿、クルーズ船で渋柿を食べてからガラベーヤを試着

2019-01-22 12:50:00 | エジプト

ルクソールの穴場、「ハブ神殿」を見学してからクルーズ船にもどった

修復がすすめらる。足場がささっていた穴は小鳥にちょうどよい

戦いの神・セクメトは雌ライオンの姿

神殿の奥の方にある美しく保存された部屋へ↓

番人が「特別に」ゲートを開けていれてくれたが…あとからTIPよね
↓図像の解説もおもしろかったが、規則的にならんだ四角い跡が気になる

これは柱か梁の跡かしらん

この神殿も初期キリスト教時代には教会として使われていたときいた


2016年に訪れた時の記事をこちらからごらんください



ルクソール見学の最後に「メムノンの巨像」にストップ

二つの座像のうしろにあったという巨大な建物はもう復元されるべくもないが、見つかった像が少しずつ立ちあがりはじめていた。
アメンホテプ三世の妃の姿が足元に美しく刻まれている↓

妃は複数いたが、いちばん有名なのはあの「ネフェルティティ」。もしかして彼女の姿?

***
船に戻ってアラビア習字をちょこっと教えていただき、ランチとなった。
おいしそうな柿が出ていたので取ってきた方が食べてびっくり↓

なんと、エジプトでは渋柿を食べるのだそうな。

食事が終わるころにクルーズ船は出航。
ルクソール唯一の橋の下をくぐる↓

****
明日の夜は「ガラベーヤパーティ」。
みんなでエジプトの民族衣装ガラベーヤを着るのだ。
船の売店にあるものを試着してみる↓なかなかお似合いです






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ハワード・カーターは「アイーダ」を聴いていた

2019-01-22 11:11:11 | エジプト
ツタンカーメン王墓を発掘したハワード・カーターのルクソールの家には蓄音機があった。1922年頃には最新式だったものだろう↓

ほこりをかぶったレコードも彼のモノ↓

それはヴェルディの「アイーダ」だった↓

スエズ運河開通(1869)の記念にオーダーされた古代エジプトを舞台にしたオペラ。
カーター氏は砂漠のこの家で「アイーダ」を聴いていたのか。
もう一枚、レコードが目についた↓

こちらはチャイコフスキー↓


研究者と呼ばれる人々には二種類ある。
専門分野だけに没入するタイプと、他の様々な事にも常に目を向けているタイプ。

カーターをいう人は考古学者として知られるようになったが、ルクソールの砂漠にあっても音楽を楽しむことを忘れなかったようだ。
17歳でそのデッサン力を見込まれてエジプトへ行く事になった人。
ルクソールの当時をカーター自身で描いた絵もあった↓

※ハトシェプスト女王葬祭殿は当時一階部分までしか復元されていなかったのがわかる↑

彼の仕事机には自分で描いたツタンカーメン墓の様子が敷かれている↓

カーターは人としての幅も広かったように感じさせる、この家。

寝室のベッド横には鏡と身だしなみを整えるセットが↓

研究に没入しても、髭はちゃんと整えて身だしなみもキチンと
↓剃刀研ぎ皮はロンドンのウィルキンソン製↓

1772年通称ジョージ王朝下にロンドンで設立された、もともとは剣の製造業者だ。
カーター氏が使っていたのは安物の剃刀ではなかっただろう。

キッチンに立ったのはお手伝いさんだっただろうけれど↓
おや?ルクルーゼ↓食器も当時の一流品?

↓赤いのはさすがに最近のもの?↓

調べてみるとルクルーゼの赤いほうろう鍋は1935年には発売されていた。カーター氏が当時から使っていたことも十分考えられる。どこにいたって人は美味しいモノをたべたいのだ。

カーターハウスの外↓

生け垣になっていたのはバジルだった↓

ここから料理にひとつまみ?したのかもしれません(^.^)
※当時からバジルが植わっていたかは確かめようもなかった

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