旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

メッヘレン到着

2019-11-08 13:13:14 | ベルギー
高さ97mの未完の大鐘楼がそびえる↓
↓長崎のハウステンボスにある塔のオリジナルだといえばピンっとくるかしらん。

完成すれば167mになる筈だったが97mで工事がストップしたまま。
しかし、そのおかげでまさにあの頂上までのぼることができる↓

五百段越えの階段だけれど
**
午前にルーベンスの家も訪れてからアントワープを出発し、正午ごろにメッヘレンに到着した。
ここは1506年から1530年までの二十四年間だが神聖ローマ帝国内ネーデルランド総督府の首都がおかれていた街。

↑大マルクト広場に面して古い建物がならんでいる。
いちばん左の建物が首都だった時代に国会がおかれていたそうな。
そこに神聖ローマ皇帝カール五世の像が設置されている↓

このハプスブルグ家の皇帝は1500年ちょうどにゲントに生まれたが、少年時代メッヘレンで育った。首都だった時代にあたる。
美男候と呼ばれた父フィリップを早くに亡くし、母は狂ってスペインで幽閉されていたが、父の妹(カールにとっては叔母)のマルグリットがそばにいた。彼女はフランス王の妃であったこともある才色兼備の人で、カールの生涯の方向を決定づけた人といってよいだろう。
↓マルグリットの像がメッヘレンの中心広場にあるのが、それを知れば理解できる↓

**
メッヘレンにもベギン修道女会があった。
戦乱や十字軍運動で男性の数が減っていた時代、女性が安全に自立できる方法が求められていた。特定の修道院施設に入らなくても共同生活や互助活動を行うことができるベギン会はそういった背景があって現在のベルギーの各都市に存在していた。南欧に多い一度入ったら建物からさえ出られないような修道院とはまったく違う。
ベギン会の女性たちが暮らしていた路地が多くのこされている。


さぁ、鐘楼にのぼりにいこう!

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アントワープ朝歩き

2019-11-08 07:36:56 | ベルギー
昨夜は暗くなってからアントワープどまんなかのヒルトンに到着。少し散歩した。

お昼をたくさんたべたから夜はビールぐらいでいい

**
すっきり晴れた翌朝、午前中はアントワープを歩こう。
↓これ、新業態のコインランドリー・カフェ。その名もWAS BAR

内部はこんな


↓このバーは「十一戒」という名前

もちろんモーゼの十戒のパロディだが十一個目ってなに?

「飲みすぎるなかれ」
天使がよっぱらって荒れております

↓昼のマルクトは昨夜と違う顔

アントワープの名前の由来を銅像にした


路地にはいっていく↓このあたりは戦争で壊された後に再建されているが、昔の建物と違和感がないように上手にデザインされている↓

↓この「肉屋のギルド」は1504年からのオリジナル

当時、二百メートル先に家畜市場があり、この建物の地下で精肉したものを地上階で売っていた。
フランス革命でギルドは閉鎖され、その後ワイン倉庫、画家たちのアトリエ、1913年以降はアンティーク博物館、現在はアントワープの五百年を音と光で表現するミュージアムになっているんだそうな。どんなのだろう?

↓国際都市アントワープには外国人の宿も多かった。ここは英国商人が定宿にしていた↓

現代はビール酒場で…↓

↑これで注いでいるのだそうな
↓1621年にイエズス会がルーベンスにオーダーした教会建築

内部はルーベンスの代表作といわれるほど凝ったバロックだったそうだが焼けて、今は残っていない。

↓KBCビルは1932年に初の高層ビルとして建てられた

もとは87mだったが十メートル高くなって97m

↓「王宮」という建物は、ナポレオンが滞在していた

↓当時の内装を意識して残している

↓ゲントの「チョコレートライン」が入っている

近頃はいろんな種類がつくられておりますねぇ


↓工場も併設されていて、そこにこんなのがおりました↓


**
ルーベンスの家にも入場することにした。
今は道路だがかつて家の前には運河が流れていたそうだ↓

十七世紀の雰囲気がそのまま

壁はデルフト焼き

ローマに二度長期滞在し、古代ギリシャ・ローマの賛美者となった。
邸宅のところどころに古代の品々が

飾られている

ローマから大事に持ち帰った古代の品が飾られた大きな部屋↓

中央はネロの家庭教師もしていたという哲学者セネカとされている
↓庭に面した壁面にも同じコピーが飾られていた

中庭は十七世紀の姿

↓むしろ下の版画に似せて修復されたのかもしれないが


居住スペースより格段に天上の高いアトリエがあった

自分自身の肖像画↓

↓弟子のうちいちばん優秀だったヴァン・ダイク十六歳の肖像↓

***
アントワープ大聖堂にももちろん入る

↓正面祭壇の「聖母被昇天」には製作当時に没した一人目の妻の面影が描かれている

ヴェネチアにあるティッチアーノの「聖母被昇天」はルーベンスも見ていたにちがいない

いちばん有名な「十字架降下」↓

もとはこの教会のために描かれたのではないけれど、ちょうどよい場所にある。

礼拝堂のひとつではこんな現代アートもあった↓

うーん・・・



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バールレ・ヘルトフ~オランダの中のベルギー飛び地

2019-11-07 12:30:00 | ベルギー
もうすぐ国境線だ

アントワープ中央駅から四十五分ほど北へ走ったところでオランダに入るが、現在両国ともにEUのシェンゲン協約加盟国なのでまったくなんの検査もない。人もいない。
↓このあたりらしい

ところが、ここからしばらくいったバールレという村に二十二か所ものベルギー飛び地がある↓グーグル・マップで↓ゴマのように表示されているのがそれ↓

バールレ村の中にベルギーが点在し、そのベルギー領のなかにオランダ領があったりして複雑極まりない。国境線が家の中を横切っている場所がいくつもある。

オランダ領は「ナッサウ」がつき、ベルギー領は「ヘルトフ」がつく。
●オランダ領バールレ・ナッサウ人口6800人
ナッサウはオランダ総督がかつてナッサウ公だったから。
●ベルギー領バールレ・ヘルトフ人口2800人
ヘルトフは今のフランドル地方を統治していたブラバント公爵をさす。

市にはそれぞれに市役所がちゃんとある。
多数派のオランダ領の市庁舎へ↓


ちゃんと旅行者用のインフォメーションがあるのだ

入っていくと

珍しい日本人グループを歓待してくれた

ここを訪問した人が出身国に場所にピンを指していった地図

↓となりの部屋に大きな市の地図があり、どうしてこんなに飛び地ができてしまったのかを説明してくれた↓

ここはオランダ領なので↓色がついているところがオランダ↓

●どうしてこんなことになったのか?
1198年、神聖ローマ皇帝諸侯の領土境界線がまだはっきりしていなかった頃、ショッテン候ゴットフリートはブラバント候に対してこの地域の土地所有権を主張した。
戦争になることを避けたいとおもったブラバント候は次のように提案した。
「未開墾の土地についてはそちらの所有を認めるが、すでに開墾がすすんだ土地については我々の所有としてほしい。」
開墾した土地からは税収が見込めるのである。
この折衷案で妥結したショッテン候とブラバント候は後にオランダ貴族とベルギー貴族にわかれていくことになり、この国境が現代までのこることになった。

細かい国境線が引かれたのは1648年
三十年戦争(宗教戦争)がウェストファリア条約によって終結したタイミングになる。

この小さな飛び地は二十世紀に役に立つ時がきた。
第一次大戦でベルギーがドイツに占領された際、ベルギー側の避難地となったのだ。
※オランダは中立国で、ドイツはオランダ領を超えてバールレ・ヘルトフを占領できなかった。
ベルギーは対ドイツ工作をバールレ・ヘルトフを使って行った。
(と、バールレ・ナッサウの案内所の方は説明した)


雨だし、先にランチにしよう(^.^)
パンケーキがオランダの名物ということで、力の入ったパンケーキをバラエティ豊かにだしてくれる店に入った↓

↓小松がきにいったのはこのあたりのリンゴをつかったこういうパンケーキ↓

↑シナモンがきいておりました
↓こちらはベーコンの下にリンゴが敷いてあるのです↓

甘みとベーコンの塩味がちょうどよい

食べ終わった頃に、雨があがった(^.^)!
国境線、見て見ましょう↓

↓道の真ん中でまがっている

こちら↓ベルギー側の標識

★ベルギー側の市庁舎を見てみたい
迷いながらたどりついたそこは、町はずれにあった↓

ここは以前に走っていた鉄道の駅だったそうだ↓
↓今、バスが走っているこの道が線路だった↓

この道はオランダだが、市庁舎はベルギー領。
つまり、ベルギー領の市庁舎に入るためにオランダ領の玄関前から入るしかないということになる。
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雨の朝、ブルージュから電車でアントワープ中央駅に到着

2019-11-07 10:10:06 | ベルギー
アントワープ中央駅は「世界一美しい駅」と形容される

一般的なツアーではほぼ見学することがないのだが、ここへ列車で到着してみたかった。
**
ブルージュの朝は本格的な雨
余談:朝食バッフェにあったこれは亜麻なのだそうだ。亜麻仁油のもとになる。この地域で麻がとれたことが後にフランドルをタピスリー産業の地へと導いていった

マルクト広場すぐ後ろのホテルから出発。
バスにのりこむだけでも駆けたくなる本降り。電車移動の日でよかった(^.^)

ブルージュ駅のホーム

乗り込んで

検札がやってくるのを待つ。
ヨーロッパの駅は改札がないところがほとんど。なので車内検札は重要。

切符の買い方にはいろいろあって、今回は十回券を有効に活用する方法をおしえてもらった。
機械でぱっと買っているとこういう方法があることにさえ気づかなかっただろう。
↓今回、ブルージュ⇔オステンデ、ブルージュ→アントワープで使用した切符

↑右下にいっぱい記入してあるのが十回券。
ベルギー国内の鉄道で8.3ユーロ以上の区間ならばこれを使う方が得になる。曜日と日付、出発地と到着地を記入する必要がある。
検札の人が昔ながらのスタイルで丸い穴を開けてくれました。

一時間半ほどでアントワープにはいってきた

いくつか駅があるが終点の中央駅が我々の到着駅

降りてすぐにその華麗な装飾におどろかされる

ドーム型の高い天井は当初は蒸気機関車が入ってきていたから。
ベルギーはヨーロッパ大陸ではじめて1835年に列車走った。
アントワープには1836年だった。
この駅舎は1905年に建替えられた。
当時の国王レオポルド二世のイニシャルを図案化したものがみられる↓

待合室にも↓

↓待合室全景

駅構内をみわたして、パリのオルセー美術館を思い出した。
あの建物ももとはパリ⇔オルレアンの鉄道駅だったのだ。
こういった構造、同じです↓

↑この地下にパリやアムステルダムへ直行できるTGVタリスが乗り入れたのは2007年から
↓一角にあるこのオブジェはなに?

そうです、アントワープのシンボルになっている「巨人の手」なのですね。
同時にここから飛び出していく鳥のようにも見える。
↓駅舎本体

天上の高いひとつの箱型↓

***
外へでてバスが到着するのを待つ。

九時前にブルージュ駅まで我々を送ってくれたバスは、雨なのでだいぶ渋滞にあったようだがもうすぐ到着する。

















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ブルージュからオーステンデへ、北海を見て夕食を

2019-11-06 20:42:00 | ベルギー

ブルージュが北海での海運で栄えたという歴史を、ブルージュに来るだけでは感じられないといつも思っている。
今日の午後は電車で北海に面したオーステンデまで行こう。
ブルージュの駅は旧市街から「愛の湖」をこえて

すぐのところにある。

ローカル電車の旅

↓こんな列車がやってきました

乗車すれば十五分ほどで
北海に面した大都市オーステンデに到着する↓
↓この駅が十三年前とはがらりと変わっていてびっくりした↓2019年11月の駅ホーム

↓こちら、2006年12月に到着した時に撮影した駅ホーム

2006年にはこんな感じで存在していた観光案内所はみあたらない

2006年に訪れたカテドラルは

駅舎をでたところから

百メートルほど向こうに変わらずそびえていた

古そうに見えるが1899年から建設がはじまり1908年に完成した二十世紀のネオ・ゴシック建築。もちろんそれ以前にももっと古い教会があった場所。

二十世紀の二つの大戦を建物は生きのびてきたが、ステンドグラスは破壊されて新しくなったもの↓

後ろに接続された礼拝堂は1850年にオステンデで亡くなった王妃ルイーズ・マリーのためのもの↓

彼女はフランス国王ルイ・フィリップの娘で初代ベルギー国王レオポルド一世の妃だった↓
↓装飾に王冠があしらわれている

※彼女が葬られているのはラーケン

北海に向かう繁華街をあるいていく

夏は避暑地としてにぎわっているのがひとめでわかる海岸
このむこうはイギリスかぁ

オステンデはベルギーにとって重要な港町。昔も今も。
オランダがスペンから独立した八十年戦争の最中、1601-4年にスペインに包囲され、プロテスタントの街であったけれどもスペイン側に残された。
それ故、いまでもベルギー領になっているのだ。

**

この町はベルギー象徴主義派画家のジェームズ・アンソールが1947年まで住んだ家とアトリエがある↓2019年は大規模修復中↓白いテントのところ

2006年に訪れた時は時が止まったようなたたずまいだった↓

彼の家はお土産やだった

この上の階がアンソールのアトリエだった。
※2006年に訪れた時の話はまたの機会に

***夕食のレストラン、ちょっといいところがみつかりました(^.^)
夏場シーズンならちょっと入れないかなと思うような店。
アミューズもこんな↓

名物北海海老のエッセンスがたっぷりのミニスープが真ん中↑
↓ワインでなくてビールでもかまいません

↓こうやって注ぐのよ

↓ドーバーのひらめ

ホタテのグリル二つの味で

海鮮グラタン


ゆっくり楽しんでいたらブルージュへの列車は20:42分になった

まぁ、十五分で着くからだいじょうぶ

この駅も昔はこんなだったっけ↓


タクシーで旧市街マルクトすぐ近くのホテルに帰着しました


















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