旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ターナーもルーアンを画いていた

2012-08-11 17:46:48 | フランス
早朝、観光客が押し寄せる前のMSM

午前中セーヌ河口のオンフルールの町を訪れ昼食、その後セーヌをパリ方向へ走り、今日の宿泊地ルーアンへ至る。
大聖堂のすぐちかくのホテルに荷物を置いて歩き出す。今日も陽射しは夏だが風はさわやかで気持ちよい。

この大聖堂を、モネが連作で画いたことは知られている。大聖堂に面て今は観光局の入っている建物の二階が画いていた場所のひとつ。団体旅行でルーアン観光局のガイドさんといっしょならばここへ入ることができる。
モネが画いた三十点ほどの大聖堂連作のなかで、唯一ルーアンにあるものの複製が置かれていた。

ガイドはこれまでにも何度かご一緒していただいたSEIKOさん。彼女のガイドはいつも少しずつ内容を豊かにしているので、聴く価値がある。

★今回もイギリスの画家ターナーがルーアンを画いた絵があることを教えてくれた。下がその絵とその場所。

この作品はロンドンのテイト・ギャラリーにあるとのこと。今度行ったら探してみたい。
さらに、しらべていくと、ターナーが画いたルーアンの絵はかなりの数ある事がわかった。
そして、テイト・ギャラリーのホームページへアクセスしてみてびっくり。モネが画いた大聖堂はこのターナーの作品に影響を受けていたのだ。これらを見れば確信できる。
ぜひこちらご覧下さい。

一見、突飛に見えるものでも、そこに至る理由はかならずある。モネの大聖堂の連作も先人ターナーが「朦朧体」で画いたこれらの作品があったればこそ。モネのルーツをよく理解させてくれる。
ターナーがルーアン大聖堂を画いたのは1832年の事。モネが生まれる8年も前である。


ジャンヌ・ダルクが火刑に遭った場所に建てられた十字架。そして彼女に捧げられた二十世紀のモダンな教会。

***
夕食はそのジャン・ダルク火刑の時にすでに宿屋として営業していたという老舗「ラ・クーロンヌ」
緑色はアボカドのムース。サーモンに海老。酸味の効いたおいしい前菜である。
メインの鴨料理、つけ合わせの小さな玉ねぎやポテトの練りモノもおいしい。
ここにはダリもよくきていたそうだ。飛行機がきらいだったので、アメリカへ行くにもルーアンから船に乗った。乗船前にかならずこの店で会食していたのだとか。
コメント
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