昼食後、バヤズィット2世モスクからロシア人商店の立ち並ぶ一角へ歩いて行った。巨大な箱をいくつもいっきに運ぶため、こういう荷車をもったポーターが商売を待っている。
路地を抜けると
10世紀の教会を改修したボドルム・メシ・パシャ・モスク=旧ミレレオン修道院・教会が残されている。近くのボドルム(地下)には十字架の柱こちらに詳しい話をかきました。
*
海まで出ると、地下鉄工事現場。ここでは昨年たくさんの古代船が発見され、イスタンブルの歴史をがより古いものだったと実証されてきている。
**★黄金の門
テオドシウス城壁に沿って車を走らせ、かつてコンスタンティノープルの正門だった「黄金の門」へ。ここは後の時代に要塞化されて七本の塔が立ち、エプタ・ピルギオン(七つの塔)と呼ばれた。現在の呼び名はそのトルコ語訳でエディ・クレである。現在でも充分に要塞の様相である。
この門を入るといきなり空き地がひらけた。
真ん中にぽつんと煙突のようなものが残っている。※パノラマ写真とこれについての説明はこちらからお読みください。
壁内部の階段を上ってく
「黄金の門」の上に出る。眺めは良いが落ちないように気をつけて。
中庭から城壁へあがる階段は手すりもなく、落ちたらたいへん。
別の一つの塔は、戦時に相手国の大使を幽閉するのに使われていた。ここには大使達が残した各国語の落書きがあるそうな。
***東ローマ帝国時代の教会だったモスクをもうひとつ訪ねる
★コジャ・ムスタファ・パシャ・モスクはかつての聖アンドレアス教会
1489年にモスクに変えられた。
名前の主コジャ・ムスタファはギリシャ人からの改宗者。バヤズィット2世が皇太子の頃から使えて厚く信頼された。
現在のグランド・バザールを作った人でもある。彼はしかし次の皇帝セリム1世の時代、帝の弟アハメッドを帝位につけようとした疑いで1512年に処刑された。
~このモスクについては別のところにまた書きます。
ネコいっぱい(笑)
現在ではモスクそのものよりも、ここに葬られたイスラムの一派をつくった人の墓があることで人々が集まってきている。その時代からあった老木。
****
ヴァレンス帝の水道橋をぬけて
ガラタ塔までやってきた良いお天気で対岸のトプカプ宮殿が半島の先に見える。
ホテル・チュラン・パレスへ入り、部屋からボスポラス第一大橋の夜景を眺める
路地を抜けると
10世紀の教会を改修したボドルム・メシ・パシャ・モスク=旧ミレレオン修道院・教会が残されている。近くのボドルム(地下)には十字架の柱こちらに詳しい話をかきました。
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海まで出ると、地下鉄工事現場。ここでは昨年たくさんの古代船が発見され、イスタンブルの歴史をがより古いものだったと実証されてきている。
**★黄金の門
テオドシウス城壁に沿って車を走らせ、かつてコンスタンティノープルの正門だった「黄金の門」へ。ここは後の時代に要塞化されて七本の塔が立ち、エプタ・ピルギオン(七つの塔)と呼ばれた。現在の呼び名はそのトルコ語訳でエディ・クレである。現在でも充分に要塞の様相である。
この門を入るといきなり空き地がひらけた。
真ん中にぽつんと煙突のようなものが残っている。※パノラマ写真とこれについての説明はこちらからお読みください。
壁内部の階段を上ってく
「黄金の門」の上に出る。眺めは良いが落ちないように気をつけて。
中庭から城壁へあがる階段は手すりもなく、落ちたらたいへん。
別の一つの塔は、戦時に相手国の大使を幽閉するのに使われていた。ここには大使達が残した各国語の落書きがあるそうな。
***東ローマ帝国時代の教会だったモスクをもうひとつ訪ねる
★コジャ・ムスタファ・パシャ・モスクはかつての聖アンドレアス教会
1489年にモスクに変えられた。
名前の主コジャ・ムスタファはギリシャ人からの改宗者。バヤズィット2世が皇太子の頃から使えて厚く信頼された。
現在のグランド・バザールを作った人でもある。彼はしかし次の皇帝セリム1世の時代、帝の弟アハメッドを帝位につけようとした疑いで1512年に処刑された。
~このモスクについては別のところにまた書きます。
ネコいっぱい(笑)
現在ではモスクそのものよりも、ここに葬られたイスラムの一派をつくった人の墓があることで人々が集まってきている。その時代からあった老木。
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ヴァレンス帝の水道橋をぬけて
ガラタ塔までやってきた良いお天気で対岸のトプカプ宮殿が半島の先に見える。
ホテル・チュラン・パレスへ入り、部屋からボスポラス第一大橋の夜景を眺める