午後から雨の予報だが、午前九時はまだうす雲程度。空気は冷たいが風はない。日曜日の朝、まだ人出の少ない市場をあるいていく旬のキノコ!今回どこかでたべたいものだ
トゥールーズの大聖堂である●バジリカ・サン・セルナン教会が見えてきた。
教会の周囲には「こんなもの買う人いるの?」と思ってしまうガラクタ市
サン・セルナンとは、紀元後三世紀の初代トゥールーズ司教だった人物。本当の名前はサトゥルナンだがこのあたりの古いフランス語であるオック語ではサン・セルナンとなった。
彼はAD250年に神殿奉納で犠牲にされる荒れ狂う雄牛に引きまわされて殉教したとされる。その雄牛が走った通りフランス語で雄牛はbœufだが、スペイン語で牛はtoroだから、この地方ではその影響がある呼び名になっていたのだろう。下がオック語表記。
雄牛が最後に止まったところとされる場所につくられのがこの「雄牛の聖母マリア教会」。その塔が通りの先に見えている
近づいてファサードを見上げるサン・セルナンの遺体は最初はここに埋葬されていたが、五世紀頃に新たにバジリカ・サン・セルナンが建設されてそこに移された。
北西スペインのサンチャゴへ行くいちばん南の巡礼ルートにあたり、中世にはたくさんの巡礼がこの教会を訪れた。そのために巨大な修道院も併設されていたのだが、今残っているのはこの小さなアーチひとつだけ
聖堂の入口のロマネスク彫刻は11世紀末からのもの。図像それぞれが何を表しているのかは、解明されていない部分も多い。下の写真のものは、二人の人物がライオンの首のような仮面のようなものを持って、足を交差させている。足を交差させるのは十字架を意味すると推察できるが、その足の片方は靴を履き、もう片方は素足になっている。理由は分からない。
日曜日の午前中、教会の扉を開けるとパイプオルガンの重低音がからだを包む。フランス最大とも言われるロマネスク建築の中でこそ味わえる雰囲気。内部をもっと見学したいところだが、このミサに出会えたということで充分に価値があると思う。教会は美術的価値だけを見に来る場所ではないのだから。
**
トゥールーズの中心、キャピトル広場
18世紀からの建物がまわりを取り巻いている。このあたりでは石材の代わりに地元の赤い土をつかったレンガで建物を建設した。だから、トゥールーズは「バラ色の街」も呼ばれるのだ。
正面の白い建物が市庁舎。この二階部分の八本の柱だけはカルカソンヌ近郊の赤大理石でできている。八本あるのは、当時の政府の八人の統治者を表しているのだとか。
***
●ジャコバン修道院
1275年から92年にかけて建設。時代は少し後のゴシック建築時代。こちらの塔もサン・セルナン教会と似せてある。
13世紀、トゥールーズとカルカソンヌ周辺はローマ法王庁から異端と断じられたカタリ派の根城だった。
アルビジョア十字軍と呼ばれる討伐軍が差し向けられ、カタリ派領主を処断・処刑して一掃した後、カタリ派弾圧の最前線にたっていたドメニコ派の修道院であった。
18世紀末のフランス革命はここにも甚大な被害を与え、内容物はほとんどが失われてしまっているが、ここの見ものはその建築そのもの。入ってみあげて歓声があがる。
いちばん端のぶぶんにはアーチの集中する「椰子の木」とよばれる部分が見える。この写真、下に置かれた巨大な鏡で撮っています
がらんとした聖堂の中央に、13世紀のドメニコ派が輩出したトマス・アクイナスの墓もぽつんとおかれていた。
有料の回廊部に面して、フレスコ画の残るいわば「講義室」
****
15世紀ごろから、トゥールーズは青い染料「パステル」によって繁栄したと読んでいた資料にあった。その取引で財を成した商人の館が川の近くにある 16世紀も後半になると、もっと安い青色の染料インディゴが新大陸からはいってきて「パステル」はすたれてしまった。※この二つのどちらを日本語で「藍」と訳してよいのか?あるいは、「藍」というのは日本のもので同じではないのか? 翻訳というのはすべての学問のはじまりだというのはほんとですね。
現在でも復刻させて売っているところがなくはない。日曜日で閉まってなければ買いたかったひと品。
ピレネーから流れ出して大西洋にいたるガロンヌ川。そこにかかるポン・ヌフ(新しい橋)は、16世紀フランソワ一世の時代に建設されたもの。なんども洪水によって流された末、この橋が残った。
川の対岸左岸は、右岸よりも8メートルも低く、水害を受けやすい地域だった。橋のアーチを小さくして、高さの違う両岸をうまくつないでいる。
旧市街にはところどころに古い邸宅が残されている。ファミリーの力を誇示するために建てられた塔も時々のこっている
*****
●オーギュスティン美術館・博物館
ロマネスクに興味がある人ならトゥールーズに来たら必見!ここにはもう破壊されて存在しなくなってしまった建物から救出されてきたたくさんのロマネスク彫刻が収蔵されている。ルネサンスの様な華美さは全くないが、表現力豊かで見飽きない
★これらについてはまた別のところに書きます。
2014年5月にトゥールーズのアートフェスティバルの一環として、こんな部屋の装飾になっていた。
⇒これについては、こちらに書きました。
「2011年の大震災の時には、海外にいる日本人もずいぶん心配していたのです。この部屋でチャリティーコンサートをひらき、日本へエールをおくったのです」そうきかされると、美術館のただのひと部屋でなく感じられてくる。
******
昼食のレストラン
サラダ
定番のカスレとこの時期らしいキノコのソテーカスレというのは、本来はこの種の器の名前だが、今はしろいんげんや各種肉を煮込んだ料理という認識になっている デザートにはコーヒーとデザートの盛り合わせ「カフェ・グルマン」
*******
トゥールーズから一時間強で、城塞都市カルカソンヌが見えてきたフランスでモンサンミッシェルに次いで観光客が多いというこの町。たしかに写真映えがする
16時すぎに城壁内のホテルDe la Citeにチェックイン。すぐに城壁とその外へのウォーキングへ出発。
11月前半のこの時期は17時半ぐらいで夕暮れになるので、帰路には夜景も楽しめる。陽の長い夏では日暮前に眠たくなってしまうから。⇒こちらにその写真を載せました。
トゥールーズの大聖堂である●バジリカ・サン・セルナン教会が見えてきた。
教会の周囲には「こんなもの買う人いるの?」と思ってしまうガラクタ市
サン・セルナンとは、紀元後三世紀の初代トゥールーズ司教だった人物。本当の名前はサトゥルナンだがこのあたりの古いフランス語であるオック語ではサン・セルナンとなった。
彼はAD250年に神殿奉納で犠牲にされる荒れ狂う雄牛に引きまわされて殉教したとされる。その雄牛が走った通りフランス語で雄牛はbœufだが、スペイン語で牛はtoroだから、この地方ではその影響がある呼び名になっていたのだろう。下がオック語表記。
雄牛が最後に止まったところとされる場所につくられのがこの「雄牛の聖母マリア教会」。その塔が通りの先に見えている
近づいてファサードを見上げるサン・セルナンの遺体は最初はここに埋葬されていたが、五世紀頃に新たにバジリカ・サン・セルナンが建設されてそこに移された。
北西スペインのサンチャゴへ行くいちばん南の巡礼ルートにあたり、中世にはたくさんの巡礼がこの教会を訪れた。そのために巨大な修道院も併設されていたのだが、今残っているのはこの小さなアーチひとつだけ
聖堂の入口のロマネスク彫刻は11世紀末からのもの。図像それぞれが何を表しているのかは、解明されていない部分も多い。下の写真のものは、二人の人物がライオンの首のような仮面のようなものを持って、足を交差させている。足を交差させるのは十字架を意味すると推察できるが、その足の片方は靴を履き、もう片方は素足になっている。理由は分からない。
日曜日の午前中、教会の扉を開けるとパイプオルガンの重低音がからだを包む。フランス最大とも言われるロマネスク建築の中でこそ味わえる雰囲気。内部をもっと見学したいところだが、このミサに出会えたということで充分に価値があると思う。教会は美術的価値だけを見に来る場所ではないのだから。
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トゥールーズの中心、キャピトル広場
18世紀からの建物がまわりを取り巻いている。このあたりでは石材の代わりに地元の赤い土をつかったレンガで建物を建設した。だから、トゥールーズは「バラ色の街」も呼ばれるのだ。
正面の白い建物が市庁舎。この二階部分の八本の柱だけはカルカソンヌ近郊の赤大理石でできている。八本あるのは、当時の政府の八人の統治者を表しているのだとか。
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●ジャコバン修道院
1275年から92年にかけて建設。時代は少し後のゴシック建築時代。こちらの塔もサン・セルナン教会と似せてある。
13世紀、トゥールーズとカルカソンヌ周辺はローマ法王庁から異端と断じられたカタリ派の根城だった。
アルビジョア十字軍と呼ばれる討伐軍が差し向けられ、カタリ派領主を処断・処刑して一掃した後、カタリ派弾圧の最前線にたっていたドメニコ派の修道院であった。
18世紀末のフランス革命はここにも甚大な被害を与え、内容物はほとんどが失われてしまっているが、ここの見ものはその建築そのもの。入ってみあげて歓声があがる。
いちばん端のぶぶんにはアーチの集中する「椰子の木」とよばれる部分が見える。この写真、下に置かれた巨大な鏡で撮っています
がらんとした聖堂の中央に、13世紀のドメニコ派が輩出したトマス・アクイナスの墓もぽつんとおかれていた。
有料の回廊部に面して、フレスコ画の残るいわば「講義室」
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15世紀ごろから、トゥールーズは青い染料「パステル」によって繁栄したと読んでいた資料にあった。その取引で財を成した商人の館が川の近くにある 16世紀も後半になると、もっと安い青色の染料インディゴが新大陸からはいってきて「パステル」はすたれてしまった。※この二つのどちらを日本語で「藍」と訳してよいのか?あるいは、「藍」というのは日本のもので同じではないのか? 翻訳というのはすべての学問のはじまりだというのはほんとですね。
現在でも復刻させて売っているところがなくはない。日曜日で閉まってなければ買いたかったひと品。
ピレネーから流れ出して大西洋にいたるガロンヌ川。そこにかかるポン・ヌフ(新しい橋)は、16世紀フランソワ一世の時代に建設されたもの。なんども洪水によって流された末、この橋が残った。
川の対岸左岸は、右岸よりも8メートルも低く、水害を受けやすい地域だった。橋のアーチを小さくして、高さの違う両岸をうまくつないでいる。
旧市街にはところどころに古い邸宅が残されている。ファミリーの力を誇示するために建てられた塔も時々のこっている
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●オーギュスティン美術館・博物館
ロマネスクに興味がある人ならトゥールーズに来たら必見!ここにはもう破壊されて存在しなくなってしまった建物から救出されてきたたくさんのロマネスク彫刻が収蔵されている。ルネサンスの様な華美さは全くないが、表現力豊かで見飽きない
★これらについてはまた別のところに書きます。
2014年5月にトゥールーズのアートフェスティバルの一環として、こんな部屋の装飾になっていた。
⇒これについては、こちらに書きました。
「2011年の大震災の時には、海外にいる日本人もずいぶん心配していたのです。この部屋でチャリティーコンサートをひらき、日本へエールをおくったのです」そうきかされると、美術館のただのひと部屋でなく感じられてくる。
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昼食のレストラン
サラダ
定番のカスレとこの時期らしいキノコのソテーカスレというのは、本来はこの種の器の名前だが、今はしろいんげんや各種肉を煮込んだ料理という認識になっている デザートにはコーヒーとデザートの盛り合わせ「カフェ・グルマン」
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トゥールーズから一時間強で、城塞都市カルカソンヌが見えてきたフランスでモンサンミッシェルに次いで観光客が多いというこの町。たしかに写真映えがする
16時すぎに城壁内のホテルDe la Citeにチェックイン。すぐに城壁とその外へのウォーキングへ出発。
11月前半のこの時期は17時半ぐらいで夕暮れになるので、帰路には夜景も楽しめる。陽の長い夏では日暮前に眠たくなってしまうから。⇒こちらにその写真を載せました。