旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アッピア街道、ローマの水道橋公園、カタコンベ

2016-11-02 18:29:01 | イタリア

ローマの街から少し出たところに、240ヘクタールに及ぶ「水道橋公園」が整備されたのは1988年だったそうだ。夕暮れの光に、ローマの松と水道橋のシルエット。今、古代と同じ風景を見ているのか。

ここには、なんと七本もの水道橋があつまっている。上の写真の水道橋にはそのうちの二本が通っていた。紀元後一世紀のクラウディウスの水路は全長69㎞。そのうち54㎞は安全な地下を通している。地上に出ているのは14キロで、どうしても高架にせざるを得なかった長さは9.4㎞。 一人あたりが使えた水の量は現代のローマよりも多かった。

最盛期には全部で11本もの水道がローマへ向かって水を運んでいた。

***午前中にティボリの「エステ荘」を見学し、お昼にはローマの中心部に入った。前菜の野菜バッフェ、アーティチョークが美味しいのはさすがローマ。「かるくしよう」とピッツァにしたが、とんでもありません。がっつりいただくことになりました(^^)

  二年半ぶりに見たコロッセオは、掃除されてきれいになっていた↓

***午後はアッピア街道周辺を見学する。

アウレリアヌスの城壁を出る

もっとも繁栄した時代のローマ帝国は、首都の周りに城壁を築く必要などなかった。この城壁は再び外敵から攻められる危険が出てきた紀元後三世紀後半AD271-5年にかけてアウレリアヌス帝が建設させたものになる。

もっとも保存状態の良いサン・セバスティアーノ門↓は、古代は「アッピア門」という名前だった↓

ここを出ると、「ドミネ・クオヴァディス教会」がぽつんと建っている↓ローマでの迫害から逃げだしたペテロが、死んだはずの主キリストがやってくるのに出会う。驚いて「主よ、どこへ行かれますかDomine Quo Vadis ?) 」と問うと、「お前が逃げたローマへ、再び十字架にかかりにゆく」とこたえて、姿が消えた。そこに残された足跡の上に建てられた教会だ↓

内部には当時の街道の石畳とされるものが残されており、一方にペテロの姿、向かい合ってキリストが描かれている↓前に見える白い石にキリストの足跡がある(現在はレプリカで、ホンモノは後述の教会に移された)↓

***再び車に乗り、サン・セバスチャン教会+カタコンベに到着↓

カタコンベとはギリシャ語で「掘った穴」というほどの意味。造られていった当時は「チミテロ」(「休む場所」という言葉からきて、今も「墓」という意味で使われる)と、呼ばれていた。 キリスト教徒の隠れた場所というわけではなく、古代からの埋葬場所であった。

現代にいたるまで忘れ去られていたカタコンベだが、この周辺には全部で67も見つかっているそうだ。現在公開している有名どころはせいぜい四つ五つ。これらの中はすべて遺体は取り出され、見学コースが整備されている。教会の地下へ降りてゆく階段↓

左右には発見された文字や絵のある石板が、数えきれないほど展示してある。

ところどころで広くなった場所があり、そこで儀式をしたとされている。キリスト教禁教時代、処刑されたペテロとパオロの遺体は、共にこの一角に安置されていたとされる。ゆえに、ここが大事な巡礼場所のひとつになっているのである。

もっとも驚いたのは、キリスト教以前の墓がさらに下に埋め込まれていたこと。下の部分は1922年に教会の真下から見つかった空間。紀元後二世紀の地面(現代より五メートル以上は低い)から、さらに下に位置している共同埋葬所。現代的なストゥッコ装飾がされた天井↓

 ここから真上にあがっていくと、教会の床になっているのであります↓

ディオクレティアヌス帝に殺された聖セバスチャンの遺体もここにある。先ほど訪れた「クオヴァディス教会」にあったキリストの足形のオリジナルも、こんあふうに展示されている↓

バロック彫刻の巨匠ベルニーニの最後の作品だという胸像彫刻が隣に飾られている↓

***

アッピア旧街道の石畳を踏んでみたい、それが残されている場所はそれほど多くない↓

ローマの街道沿いにはたくさんの墓があった。すぐ近くには、紀元前一世紀の「チェチリア・メテッラの墓」が、円筒形の巨大な姿を見せている↓

ここに葬られたとされるチェチリアは、カエサルと三頭政治に参加した大富豪クラッススの妻。すぐ後ろにみえるのは12世紀に建てられた要塞で、チェチリアの墓もその天守閣の役割を担わされていたのだった。逆側から見るとこんな風↓

紀元後四世紀、マクセンティウス帝の競技場の跡もある↓

冒頭の「水道橋公園」を見学してから、ちょうど夕暮れてきたラテラノ教会の前を通り城壁内に入る↓

今回のホテルは、トラステヴェレからシスト橋を渡ってすぐのところにある小さな四つ星ホテル。この立地が、今回のローマ滞在の質をひと味違うモノにしてくれた。テルミニ駅あたりに泊まっていてはナボナ広間までふらりと歩いていくわけにはいかないから。ホテルの前の通り⇒ チェックインしてから、夜のナボナ広場までみんなで散歩にでかけた↓

ここは古代ローマの競技場の上に、そのままの楕円形につくられた広場。地下を見下ろすとそれがよく分かる場所もある↓

ホテルへの帰り、レストランや食材屋さんでいっぱいのカンポ・デ・フィオーリでちょっと買い出し。お昼をゆっくりおいしくたくさん食べたから、夕飯を無理にスリーコースにする必要はないのです↓

明日はトラステヴェレ徒歩観光と、いよいよの「ヴァチカンの特別観光」。わくわく。

 

 

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ティボリの「エステ荘」

2016-11-02 11:02:25 | イタリア

ティボリ見学といえば、まずは「エステ荘」の見学。久しぶりに訪れたが、確かに見所だと思う↓あまりに有名な場所なので、ここでは簡単な紹介にいたします。

入口は、サンタ・マリア・マジョーレ教会横・かつての修道院への入口から↓

16世紀、ここに住んだイッポリート・デステ枢機卿がこの屋敷と庭園をつくらせた。まずはヴィラの部分。これでもかとフレスコ画がうめつくす↓

ラファエロの流れをくむ、ズッカリ兄弟の手になる16世紀のオリジナル。

  

ここは1912年以降イタリア政府の所有になったそうだが、放棄されていた時期もあるときいた。よくここまで修復されたものだ。

そこからテラスに出ると、はるかな眺望と庭園が同時に見晴らせる。

なるほど、良い位置に建てられたヴィラ 階段下にある「杯」と呼ばれる水盤⇒

それは眺望という意味と共に、噴水に使う水圧を得るために重要。ふんだんな水を使って多彩な噴水を見せてくれている。中でも有名な「百の噴水」がこちら↓

水圧を使って演奏されるオルガン。今も10時半に扉が開いて鳴りはじめた⇒・・・待ったわりには「あ、そういうことね」というものでしたけど(^^)

お天気に恵まれた噴水庭園の散歩だった。

出口にあったリストの来訪を記念する石板↓「巡礼の年・第三年」に「エステ荘の噴水」という曲がある。この庭園の噴水を見た人ならば、なるほどあの水の流れのようだと楽しむことが出来る曲にちがいない↓

https://www.youtube.com/watch?v=IOlupDtywCQ

 

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