羽田発06:25の鹿児島行に搭乗飛行機は富士山上空を飛んだ
鹿児島空港での乗り継ぎ時間は三十分ほどだが、屋久島行のゲートはすぐとなり。飛行機が小さいので鹿児島行で手荷物にしていた大きさでも預けることが必要になる ほんの三十分ほどで、雨の屋久島へ到着。「月に三十五日雨が降る」と言われる島なのだから、めずらしくはない。それよりも、タラップを降りると空気が違うのが誰にでも感じられるだろう↓
荷物は「ターンしないテーブル」で手渡される
**お迎えのバスにのり、屋久島最大の集落・宮之浦へ向かう。宮之浦川には昔の橋が良い雰囲気でかかっている
環境文化村センターを訪ねると、入ってすぐにこんなバスケットが用意されていた。この時期島の名物タンカンがおいしいので、家でタンカンをつくっている職員の方がわざわざ持ってきてくださっていたのだった↓
文化村センターのジオラマを見ながら、まずは島の概要を理解していただく。「島の道路は一周百キロほど。二十四の集落はすべてこの道沿いの海辺に位置しています」↓「世界遺産に指定されたのは、標高差によって小さな島に日本全土の植生が観察できるという特異さがあるからなのです。大きな杉があるというだけではなく。」なるほどなるほど↓
気になるのは上から下がっている水色の玉、ですよね。これは、これまでに降った最大の降雨量を地域ごとに示したもの。いちばん長い水玉は8m30㎝もある。つまり年間降雨量8300㎜ということ。※東京は1500㎜ほど
場所は、かつて森林伐採のためにつくられた小杉村あたり↓
IMAXふうに屋久島の自然を撮影した大画面映画二十分ほども見ていただいてから、吉田村集落へ向かう。この旅企画のカギとなる「里めぐり」をお願いしている。環境文化村センターよりお見送りありがとうございます
バスは屋久島のいちばん北に位置している一湊(いっそう)を通る。矢筈岬が長く伸びて、そこに通称「おっぱい山」が二つ。なるほどこの半島に守られた入江があるので、一湊はかつて島でいちばん栄えた村だったのだそうだ。つまり、いろいろな歴史が埋もれている筈。こちらも訪れる機会をつくりたいと思っている。
***吉田村に到着。「ようこそ吉田集落へ」雨の中三人の語り部さんが待っていてくださったりっぱな体育館で身支度して、里めぐりスタート。巨石がごろごとした風景がおもしろい↓
屋久島は火山島ではなく、花崗岩が隆起してできた島。巨石に近づいてみると長石の結晶とおぼしきものがたくさん見える↓
集落は斜面に大石がごろごろ転がっている間につくられている。細い階段の左右の家もよくみると、大石と共存してつくられている↓
↓村でいちばん大きな神社だが社はコンクリートでなんだか味気ない↓かつてあった木造のものは朽ちてしまったのでこのようなかたちになったのだそうだが。弁財天はここ出身の方が寄贈したもの。屋久島の二十四集落のうち七つが七福神の村に選ばれているのだが、唯一の女性の神弁財天がここにおわすのは、この社が安産の神とされているから↓
吉田村・里めぐりでいちばん見ておきたい高台の祠へあがっていこう↓そこはかつて平家の落人が住んだといわれる場所↓村の細い道をのぼってゆく↓
その位をあらわすように、いくつもの鳥居がおかれている
そして、たどりついた高台↓
ふりかえると、海が見える場所。
晴れていればこんなふうに島々が見えるそうな↓ この高台はあの島々と煙によって通信していた場所だと考えられている。
通信する必要があったのは誰か? 集落には壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人伝説がある。源氏の追手がやってきていないか、常に恐れていたことだろう。安徳天皇も実は生き延びていて、「長浜皇子」として長生きしたというのだ。硫黄島にその墓とされる場所もある。
これは、伝説以上のものであることが、この社をみると感じられる↓長老の近間(ちかま)さんは語ってくれる↓「ここはかつて山雪崩が左右に割れて残った場所で、それ以来ご利益があると大事にされているんです。収められているのは『三又に割れた矛先』です。古い社は朽ちてしまいこの小さな祠になっていますが」↓
周囲、森の中に埋もれてしまおうとしているが、まだまだ発見されるべきものが眠っている場所だと思えた。
****坂を下って、かつて小学校(昭和41年閉校)だった場所にある「吉田生活館」到着↓
かつての給食室から出汁の良い香りが今日のお昼ごはんは、吉田村のみなさんが用意してくださった。
「こんな田舎料理、お口にあうかどうか…」と心配されるけれど、豪華でなくとも、地の食材を使ったおもてなしの一膳は、旅いちばんの記憶になるに違いない↓ 野菜が豊富で濃すぎない味つけ。解説は恥ずかしがってされなかったので、小松が根掘り葉掘り訊ねて知った。 ちょっと解説いたします↓
★タコは吉田集落の浜でとれたもの。醤油ではなくつけあわせてある甘めの味噌で食べる。刺身でもそうやって食べることが多い吉田村↑
★木製のお膳も手造り↑ 右下に楊枝がささっているのは「まつば貝」を味噌漬けにしたもの。検索してみると、貝殻が松葉が放射状にひろがったようにみえる。
★さつま揚げはトビウオが原料「つきあげ」と呼ぶ。身をほぐして棒で突いてこねたのを揚げるから。
★左上の四品盛りの皿↑☆左上はロマネスコというブロッコリーに似た野菜。イタリアで最近見かけるようになったちょっと変わった野菜が、屋久島の村昼食で出るのはおもしろい。きけば、販売しているのではなく、村の人が自分たちが食べるために栽培しているのだそうだ。 ☆右上はキンカン ☆右下はツワブキと鯖節を炊いてある。鯖節はこの村唯一の工場でつくっている。 ★左下はわかめ?海藻? そんな食感なのだが、訊ねると「はんだま」とよばれるものだそうだ。それっていったいなに?
わざわざ調理前のものを持ってきてくださった↓え?これを調理してワカメかキクラゲみたいになるとは↓
この「はんだま」、この日宿泊したサンカラホテル&リゾートのOKASレストランで、まったくちがった使われ方をしていて驚かされた→※こちらからごらんください
この時期、島の名物タンカンがおどろくほど甘い。ところが皮はみかんよりかたくてちょっと剥きにくい。「こんなふうに、りんごみたいに剥くのがよいですよ」と指導してくださる ★前出のお膳の写真で右下に見えるデザートもタンカンのゼリーでした。
***生活館の横には体育館だった建物が「まんてん館」になっている。2002年、朝の連続テレビ小説「まんてん」の舞台がこの吉田村だったのであります↓
坂を下りる分かれ道に、ドラマで主人公が手を合わせていた祠がある↓
↓さっき食べていただいた「『はんだま』はこれですよ。」と、途中の道でおしえてくださった↓
さいごに海岸にある「祈りの大岩」へ↓
平家落人伝説では、大岩は山の天狗が頼まれて源氏の追手を追い払うのに用いたとされる。この海岸では1月7日に巨大な鬼を焼く行事が行われる。正月飾りを焼いて、鬼も払って一年の無事を願うのだ。その鬼をつるしてあった台がまだあった↓
雨も止んできた。
西部林道をとおって、島の南端を目指そう。