旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

十分でランタンあげ

2019-02-20 21:00:00 | 台湾
大混雑の九份からやってきた十分はびっくりするほど空いていた。
これなら待たずにゆっくりランタンがあげられます(^.^)

↓ほんとにこんな線路であげるんだ

↓電車は一時間に一本ときいていたが、我々の滞在していた三十分ほどのあいだに二本通った。

↓ランタンは赤一色ではない。願い事によっていろいろ選べる

↓えらんだら、相応しいお願いを各自書きましょう↓
コレがねぇ…年齢がいくと、なかなか書けない。この先に何かお願いすべきか…(笑)

↓今日は空いているけれど、混んでいる時はここが↓いっぱいになるのだろう

書き終りましたー、とアピールすると飛ばす係りの人が線路につれていって、
カメラを預かって指導しながら撮影してくれる↓
「はーい、まわして!」

これが実に手際よくて、到着して十分ほどのあいだに飛ばし終えてしまったわれわれ
↓線路沿いを歩いていると、回収したランタンの骨を再生している人にであった↓

↓連れているのは犬かと思ったら豚ちゃんでした

↓そのうち若い日本人四人組がやってきて、こんなお願いかいておりました

↑どんどん願いがうかんでくるなんてうらやますぃです。
**
★十分という名前は九份とは関係なくつけられた名前。「じゅうぶんなんでもそろっている街」という意味合いでつけられたんだそうな。

***台北へもどって、もうちょっと食べに行こう

言わずと知れた小龍包の名店。

十五分ほどの待ち時間で座れた。
注文したのはワンタンスープ↓

↓小龍包

↑黄色いカニのかたちが入っているのは「カニ味噌味」
↓ひさしぶりに食べてみて、皮がしっかりしていて破れにくいのに気付いた↓

↓さいきんはこんな種類もあるんですね

↓シュウマイもいただきました


リージェントへ帰着


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九份は鉱山の街だった

2019-02-20 17:00:00 | 台湾
九份というとこういう光景を思い浮かべるだろうけれど

小松がもっとも印象的だったのはそこへ至る道でいきなり見えてきた黄色い川

この流れがおもいっきり地表へ出ている場所が滝になっていて、写真スポットである

この滝は「黄金瀑布」と呼ばれている。
それは金色だからというだけではない。

★九份はもともと九世帯しかない寒村で、港から村に送る荷物を「九家の分」と言っていたことからこの名前になった。
清朝末期の1890年、そんな寒村近くを通る基隆⇔台北間の鉄道建設中に金塊が発見された(※15世紀から金の存在は確認されていた)。
1893年九份の金鉱脈発見。
隣接した「金瓜山」でも1894年にも金鉱脈発見。
ゴールドラッシュがはじまった。

↓基隆から海沿いを走り、九份への道を登りはじめるとすぐに、なんとも言えない廃墟が見えてくる↓

「4㎞先に黄金博物館」の看板がある↑
さらに登ると前出の滝。
下車して写真を撮り、もうすこし登ると今度は地中からにょっきり突き出す円筒の建物が見えた↓

★日本統治下に入ってから九年の1904年には銅鉱脈も発見された。
1923年に銅は金の千六百倍の量が採掘されるようになり、地上六百メートルの入口から最深部はなんと海面下二百メートルに至る深い深い坑道が掘られた。
この三本の円筒形の建物は、その当時の地下精製所の名残だった。
九份は鉱山の急斜面に出来た、そこで働く人々のきびしい労働者街だったのだ。

1971年に鉱山は閉山となる。

寂れてしまった九份にスポットを当てたのは1989年公開の日台合作映画「非情城市」だった。
※小松はこの映画を公開当時に音楽(「S.E.N.S」(センス)が担当していた)に惹かれて観たのだが、当時は映画の本質を何一つ理解できていなかったのだと三十年して思い知った
***

急斜面に細長く伸びた街を見学するには細い道を登るか、降りるかするしかない。
小さめの車にしてもらったのは「降りる」方を選びたかったから。
標高六百メートル程の場所は半分霧の中↓

独特の商店街を歩きはじめる↓


夕方少し前、天気が良くなくてもこんなに混むのか




↓華文字、ヨーロッパでも時々みかけたっけ


↓そして、下りの階段に出る

↓中心部にある有名な茶屋さんで夕食予約をいれてもらっていた

晴れていれば海が見えるはずのテラスだったが霧の中

少し早目に夕食

↓夕暮れていくころになると、店の前の路地階段は提灯が灯る景色を見る人が立ち止った動きがとれない

みんなでつながって階段を下りて

下の駐車場で待ってくれているバスまでたどりついた




****
十分へ向かいます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

基隆~屋台めぐりと巨大観音菩薩

2019-02-20 12:00:00 | 台湾
巨大だ

基隆の港を見下ろす丘の上にある観音像には

にゃんともびっくり

台湾にはひと目見たら忘れられない印象を残すこういった寺がいくつもある。
**
野柳地質公園を出て、基隆に着くころちょうどお昼となった。
夜ではないが「夜市」が人気の街なのでそこへ行ってみよう。

夜は黄色いちょうちんが灯ってもっときれいなのだろうけれど、今晩は十分でランタン上げるから(^.^)
左右にずらりとB級グルメ群

通りの真ん中あたりにある廟を集合場所にしてしばし自由に
最初はどうしようか戸惑うけれど、すぐにどんどん味わってみる
まずは串にささった丸いこれ↓

↓トマト飴!

リンゴ飴より好き(^.^)
↓揚げパンの榮養三明治(栄養サンドイッチ)↓

↓これは長崎の角煮の様な

↓こういうごはん類も食べたいのだけれどすぐにお腹いっぱいになっちゃうのです

一軒に座るよりも食べ歩きたくなる

三十分だけれどじゅうぶんいろいろ楽しめました(^.^)

↑集合時間間際に甘く巨大なパンをおしえられて買いに走ったり(^.^)

バスが迎えにくるのを待っている時、おしゃれなお茶ドリンクの店がめについた女性たち↓

台湾らしくお茶にはこだわっているようす↓

お会計してから待つ
↓お待たせお待たせ

そして、車で冒頭の丘の上の廟にあがり、基隆の港を見下ろした。



飛行機が今ほど誰にも利用できるものではなかった時代、台湾の玄関はこの基隆港だった↑
今も当時の建物がいくつも残されている。

↓廟の入口

古くからある廟であるが

↓この高さ22メートルを超える観音像は1969年に建造された
ひとつの伝説がある。
建設された当時、その存在など全く知らないマレーシア人が飛行機の窓から巨大な観音様の姿を見つけ、写真に収めた↓

不思議なその写真を、マレーシアで仏像をつくっている人に見せると、
「これは基隆につくられている観音様だ」と教えられ、わざわざ基隆までやってきてこの写真を奉納したのだそうだ。


この廟のあるエリアは中正公園と呼ばれていて、近隣の人々の遊園地のように使われている

↓井戸のようなこれは?

↓水の中に回転している手がたくさん↓

↑コインをあの手の上に乗せられればよいのだけれど、なかなか難しいアトラクションでした(^.^)

***
午後は九份と十份へ行きます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台北から野柳へ

2019-02-20 10:00:00 | 台湾
台湾で世界遺産になるならここ、と言われる「野柳地質公園」
※台湾は中国との関係でユネスコに入れないので世界遺産はない。
どんなに素晴らしい場所でも自己申告しないと世界遺産には認定されないのであります


風雨が激しい海岸に出現した奇岩がならぶ小さな半島だ。

入場料を払って遊歩道を歩きだす。複雑に入り組んだ海岸線ににょきにょきと立っている↓赤い線から先に行ってはいけません

↓これはカメ岩、なるほど

いちばん有名なのは「女王頭」なのだが、人が多すぎて写真の順番待ちがすごい
↓スタンプでいいですワタシ

↓ここでしか見られないというローソク石

これは傍までいけないから踏み荒らされていなくてよい

岩もよいけれど、「アダン」に見入ってしまった↓田中一村の気持ちが分かります(^.^)

**
今朝は台北市内のリージェントホテルを九時に出発した。目移りする朝食群↓

↓サラダ

↓温菜

↓甘いパンたち

↓いちばん気に入ったのはもち米でにぎってくれるおにぎり!

明日もここで食べましょ(^.^)


***
内陸に位置する台北市内と今日訪れる四か所はお天気がそれぞれ違う↓
冒頭の「野柳地質公園」は風雨が荒い海に曝される場所にあるのが分かる↓※海岸沿い赤地に白抜き文字です

お昼に訪れる基隆(きーるん)は、日本統治時代には民間船が着く最大の港だった↑
※自然の入江になった奥に黒字で基隆の表記がある

九份は観光地だが小さい表記でちょっと見つかりにくい。海からすぐに山になる、もともと金が取れた山間の小村。
霧がかかることも多い。
十份そこから内陸に入った鉄道も通っている街※黄色地に白抜き文字

さてそれぞれの場所、今日はどんなお天気でしょう。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする