旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

セブレイロ峠を越えて、サンチャゴ・デ・コンポステラのパラドールに到着

2019-04-28 20:00:00 | スペイン
紫色の丘が続く

行く手に雪山が見える

アストルガからサンチャゴまでは徒歩なら十日はかかる行程だが今日は午後にすっとドライブ。
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セブレイロ峠は標高1100mほど
冬には寒いのだろう。伝統的な家屋は半分地下になっている↓

多くの巡礼路がこの峠を通っていたので、ここの司教が黄色い矢印で正しい道を示したのが今の黄色い貝殻マークによる表示のはじまりだときいた。

↓イサベラ女王が奉納したという像のある教会↓





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さらに走って、サンチャゴ大聖堂の塔がはじめて見える「ゴゾ(歓喜)の丘」に到着
喜ぶ巡礼の像がある場所から

彼らの指差す大聖堂を見る。

巡礼たちの多くはサンチャゴに到着する前日ここに泊まる。
大聖堂で正午から行われる巡礼へのミサに間に合うようにするためだ。
※現在大聖堂内部が改修中なので近くのフランチェスコ教会で行われている


我々は車なので二十分ほどで大聖堂前のパラドールに到着。

↓小さい車なのでとても便利



↓カトリック両王の孫にあたるカール一世が建設させた巡礼たちのための救護・宿泊施設だった。

四つの中庭がある


夕方まで町を散歩

↓ガリシア地方名産のタコがたくさんの店でみられる

↓パラドールでの夕食にも登場


サンジャックのホタテガイも

貝殻はお土産にしてもらえます



夕暮れになった大聖堂前の広場を散歩

長く修復していたカバーがはずされた

正面の宮殿の下で学生バンド「トゥーナ」が演奏中

宗教都市サンチャゴには伝統ある大学もあるのだ
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アストルガでガウディの司教館を見てから昼食

2019-04-28 14:00:00 | スペイン
アストルガもローマの城壁が残されている↓

↑その後ろに建つのがガウディの設計した司教館。左後ろの赤っぽい塔は大聖堂

車を降りてローマの城壁を入る↓


城壁の中すぐの場所に↓こちらも教会の様な外観

着工されたのは1889年だからもうこんなゴシック風の建築の時代ではない。ネオゴシックということになる。

↓ゴシックもガウディのてにかかるとただではすまない


入り口を入ってすぐ、煉瓦でつくられたアーチはどこかイスラム的な雰囲気

花崗岩の柱頭はハート形

将来はこの螺旋階段の筒の中に↓エレベーターが通されるだろうと設計されている↓

礼拝堂部分↓


ガウディがこの建物を設計したのは、アストルガ大司教のグラウが友人だったから。
グラウ司教とガウディの名前が書かれている↓

ところが、設計開始から五年後の1893年にグラウは死去。
後任のアルコレア司教がガウディのスタイルを好まなかったので建設はストップ。
その後完成の1913年まではゲレタが手掛けた↓同じように名前が書かれている

建築の後半にはガウディ的なものは抑制された建物になっているのだ

↓はっきりとガウディ的なものは判別できるのだけれど

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地下の階はこの場所で見つかったローマ時代のモザイク床や↓

中世の石棺が展示されている↓



↓外へ出ると巨大な天使像がめについた↓

これらもガウディによってつくられたもので、
ガイドのカミーノさんによると屋根の上にとりつけられるよていだったのだとか。
ううむ、あんまり合わないような気がします。

***
アストルガは新大陸からのカカオによってはじめてチョコレートがつくられた町とされている。
チョコレート博物館もあるぐらいだから、お菓子もたくさんある↓


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ランチは、ホテル・ガウディにて。
シーフードのパエリアをメインにいただきました。


午後はいよいよサンチャゴ・デ・コンポステラへ向けてドライブ。
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レオンの旧市街を歩く朝2019

2019-04-28 12:22:51 | スペイン
レオンの街をゆく自転車巡礼。それを見守るガウディの像↓

すぐ前がガウディの設計した建物なのだ↓

↓鉄の柵がガウディらしいデザイン…(※と思っていたけれど、帰国後に調べていてもともとはもっとすごい入口だったと分かった。後述します)
↓入口にカサ・ボティネスCASA BOTINES「ボティネスの家」と書かれている。

ボティネスはこの建物をオーダーした資本家二人の会社の以前の名前。
2017年よりガウディ博物館として使われることになり、最初の名前にもどされた。
↓こちらが2012年に訪れた時の写真↓
カハ・エスパーニャ銀行のオフィスビルだったことがわかる。

↑★1950年に入り口上「龍を退治する聖ジョージ」の、退治されている龍の口から鉛の筒が発見され、ガウディが隠しておいた設計図が入っていた。
四十歳のガウディはなぜそんなことをしたのだろう?

騎士像の下の「カサ・ボティネス」という表示はいかにも現代風であっさりしすぎている。
ガウディならこんなあっさりした表示なんかでは満足しなかっただろうと調べてみて、1893年に建設された当時の門の写真を発見↓

↑書かれていた文字はボティネスではなく、本当の所有者二人の名前「フェルナンデス・イ・アンデレス」だった。
うねるような文字はとてもガウディ的。建物全体の印象を左右していたのだと感じた。

しかし、このオリジナルの門は所有者が変わった時に外されたのだろう。
名前が入っていたのだから。

今は…溶かされてしまったのでなければ元の場所にもどしてほしいものだ。

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日曜日の晴れた朝。
ローマ時代の城壁↓

↓古代ローマの街にはつきものの水道管の跡もみつかっている↓

街ではローマ時代の遺跡が見つかった場所にはそれを表す「ローマ人の足跡」印を設置することにしたのだそうな↓


すぐ近くに日本の小泉首相が植樹した桜↓

仏教の思想からの言葉だというのだが、何からとられているのかはわかりませぬ↓


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聖イシドロ教会へ

↑建物の中央部はロマネスク、右側と左のゴシック、門の飾り玄関はバロック。
↓「イサクの犠牲」を表したティンパヌムだが、

↑彫刻をあとからくっつけ合わせて再構成しているように見える。
↓内部、オリジナルのロマネスク形式を残している部分↓

↓柱頭の彫刻がおもしろい↓

↑これは何を表す?人の中の「獣」を乗りこなして生きろと言う警句?
チェッカー印がオリジナルの証

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レオン大聖堂↓は、ローマ浴場があった場所に13世紀に建設された。それ以前あったロマネスクの聖堂はまったく残されていないが、フランス式ゴシック技術の粋を集めて建設された↓

↓入口の彫刻、地獄に飲み込まれてゆく人々の表現はパリのノートルダムのものとよく似ている

入口の木彫ドアもすばらしい


★スペインで随一のフランス式ステンドグラスではあるが、それぞれを細かく見ていくと時代によって大きく違う。

↑13世紀のものはひとつひとつのガラス片が小さく、ガラス自体の色彩が豊か。
工業製品とはちがって一枚一枚・部分部分の濃淡が違う。
ガラスの上に描かれた色彩はごくごく一部である

↓それに比べると16世紀のステンドグラス↓※1565と年号が書かれている

↓手の部分などが分かりやすいが、ガラス自体の色ではなく描いて色付けしているのだとわかる↓


↓再び、13世紀ゴシック時代のステンドグラス↓技術はフランスのシャルトルのものと同様


近くのアストルガの街に向かいます
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