2004、2005、2008年 スイスの旅より
シヨン城はレマン湖に突き出した岩場の上いっぱいに建てられている
湖を行く船を見張るのに絶好の、誰が見ても要害の地。
12世紀には砦のようなものがあったと文献に出てくるのだそうだ。
現在見られるスタイルは16世紀ぐらいのものか。
山岳観光が盛んなスイスにおいて、最も入場者数が多い歴史的建造物なのだそうだ。
この場所がヨーロッパで有名なのは英国の詩人バイロンが「シヨンの囚人」という長編詩を書いたから。
その囚人が繋がれていたという地下牢がここ↑
16世紀、サヴォア家に支配されていた時代のジュネーヴで、都市の独立を支持した修道院長フランソワ・ボニヴァールが幽閉され、柱につながれていたという↑1530年にスイス盟約同盟のベルン(上の写真で左上に熊のマークの旗を手にしている)が、彼を救出した。
その柱がこれ↑と説明されたのだろう、バイロンがそこに名前を刻んだ…と伝わるけれど…
↑「BYRON」とは読めるが、本人が刻んだという確証はない。
19世紀に「グランド・ツアー」と称してやってきた英国人のお金持ちを満足させるために、地元の人々はいろんなものを用意していた時代なのだから。
上層階もしっかりガイディングツアーがある
スイス兵がつかいはじめたと言われる槍と斧と刀を合わせた兵器は↓
「スイス・アーミーナイフの元祖」なのだそうな(^.^)
↑当時のトイレはこんなカタチで、直接湖に落とす構造だった↑
16世紀はじめにはレマン湖の東端のシヨン城まで支配していたサヴォア家だったが、宗教改革がひろがるとベルンが応援してジュネーヴが独立。
ベルン勢力はローザンヌ周辺=現在のヴォー州まで広がった。
1798年、フランス革命の影響が及び、ドイツ語のベルン州からフランス語圏のヴォーを独立させる運動が成功。
四カ月だけ「レマン共和国」として独立した後、ナポレオンによってつくられた新しいスイス「ヘルベチア共和国」のひとつのカントン(州)となった。
↑緑地と白がヴォーの紋章↑中に「自由と祖国」
と書かれているのが、いかにもフランス革命時代にドイツ語圏から独立を果たしたフランス語圏=ヴォー州(当時は「レマン共和国」)らしいデザインではないか。
これらの紋章はつまり19世紀ごろに画かれたものだろう。
中世と近代が入り混じった場所である。
さらに城のすぐそばの道を注意してみれば↓現代スイスらしい場所もみつかる↓
これは地中に建設された防空壕?備蓄庫?の入口扉。
多言語・多民族・新旧教、入り混じるスイス。
これらをまとめてきたのは、それぞれの場所で迫害されていた人々がアルプスの要害に集まり、固くその地を護る決心だった。
「永世中立」という概念は、それを護りきる決意と装備を持てる財力があってはじめて成り立つものなのだ。
シヨン城はレマン湖に突き出した岩場の上いっぱいに建てられている
湖を行く船を見張るのに絶好の、誰が見ても要害の地。
12世紀には砦のようなものがあったと文献に出てくるのだそうだ。
現在見られるスタイルは16世紀ぐらいのものか。
山岳観光が盛んなスイスにおいて、最も入場者数が多い歴史的建造物なのだそうだ。
この場所がヨーロッパで有名なのは英国の詩人バイロンが「シヨンの囚人」という長編詩を書いたから。
その囚人が繋がれていたという地下牢がここ↑
16世紀、サヴォア家に支配されていた時代のジュネーヴで、都市の独立を支持した修道院長フランソワ・ボニヴァールが幽閉され、柱につながれていたという↑1530年にスイス盟約同盟のベルン(上の写真で左上に熊のマークの旗を手にしている)が、彼を救出した。
その柱がこれ↑と説明されたのだろう、バイロンがそこに名前を刻んだ…と伝わるけれど…
↑「BYRON」とは読めるが、本人が刻んだという確証はない。
19世紀に「グランド・ツアー」と称してやってきた英国人のお金持ちを満足させるために、地元の人々はいろんなものを用意していた時代なのだから。
上層階もしっかりガイディングツアーがある
スイス兵がつかいはじめたと言われる槍と斧と刀を合わせた兵器は↓
「スイス・アーミーナイフの元祖」なのだそうな(^.^)
↑当時のトイレはこんなカタチで、直接湖に落とす構造だった↑
16世紀はじめにはレマン湖の東端のシヨン城まで支配していたサヴォア家だったが、宗教改革がひろがるとベルンが応援してジュネーヴが独立。
ベルン勢力はローザンヌ周辺=現在のヴォー州まで広がった。
1798年、フランス革命の影響が及び、ドイツ語のベルン州からフランス語圏のヴォーを独立させる運動が成功。
四カ月だけ「レマン共和国」として独立した後、ナポレオンによってつくられた新しいスイス「ヘルベチア共和国」のひとつのカントン(州)となった。
↑緑地と白がヴォーの紋章↑中に「自由と祖国」
と書かれているのが、いかにもフランス革命時代にドイツ語圏から独立を果たしたフランス語圏=ヴォー州(当時は「レマン共和国」)らしいデザインではないか。
これらの紋章はつまり19世紀ごろに画かれたものだろう。
中世と近代が入り混じった場所である。
さらに城のすぐそばの道を注意してみれば↓現代スイスらしい場所もみつかる↓
これは地中に建設された防空壕?備蓄庫?の入口扉。
多言語・多民族・新旧教、入り混じるスイス。
これらをまとめてきたのは、それぞれの場所で迫害されていた人々がアルプスの要害に集まり、固くその地を護る決心だった。
「永世中立」という概念は、それを護りきる決意と装備を持てる財力があってはじめて成り立つものなのだ。