旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

アウグスブルグのフッゲライ~ヤーコプ・フッガーのために祈る人々

2021-07-06 07:36:47 | ドイツ
2007,2012南ドイツの旅より
「毎日創立者(ヤーコプ・フッガー)のために祈ること」という入居条件がつけられている。

15世紀末から現代まで続く豪商フッガー家の建設した「フッゲライ」は、アウグスブルグの「まじめに働くけれど豊かになれないカトリック労働者」のための住宅。

その趣旨にそって1519年に決定された格安家賃は現代にも引き継がれ、年間0.88ユーロという驚きの安さ。
16世紀の建物だから天井は低いが、内部は現代風に使いやすく改築されている。

下の写真はミュージアムとして見学させている部屋↓16世紀の雰囲気がもっとも残されている部分↓
広さはそれぞれ三十平米程度。
比較的年齢の高い少人数世帯が多いそうだ。

ミュージアムになっていない一般住宅はそれぞれ住みやすく改築されている

ちょうど出てこられた住人の方。「ヤーコプ・フッガーのために毎日祈っていますか?」とは訊かなかった。

16世紀は共同の水場だっただろうけれど、今はもちろん各戸に水道がある。



↑呼び鈴↓

↑こちらはユリのカタチかしらん?
フッガー家の始祖ハンス・フッガーは十五世紀の布織職人だった。
エジプトから輸入した綿と地元ドイツの麻を合わせて布にする仕事だったのだが、やがて織るよりこれを売る方が儲かると気付く。
エジプトと取引をしているヴェネチアと商ルートを築き、仲間に織らせた布を販売して財をなしていった。
ハンスにはアンドレアスとヤーコプの二人の息子がいた。
兄アンドレアスの家系は鹿を紋章とし、弟ヤーコプは百合を紋章とした。

↑1519年、フッゲライの入口に掲げられた設立の碑文↑左には「鹿のフッガー」の紋章、右が「百合のフッガー」。
「アウクスブルクのフッガー家兄弟ウルリッヒ、ゲオルグ、ヤーコプは当地に生まれたことを最大の喜びとし、その巨額の財産を慈悲深い神に賜ったことに感謝し、我らの信仰と寛容を表すために『正直であるが貧しい市民』に106戸の住居と付帯建造物と設備を提供する」

碑文に出てくる三兄弟は前出の弟「百合のフッガー」ヤーコブの息子たち。
末息子ヤーコブが父の名前を継ぎ、このフッゲライを構想した人物。
「鹿のフッガー」の家系は次の代で衰亡したが、「百合のフッガー」が現代まで続いている。

↑フッガー家が営むビアホールのサイン↑


皇帝の選挙費用のカタに鉱山開発の権利を得て銀貨の鋳造をし、山の森林から林業をはじめ、金融だけでなく幅広い経済活動で成功していったフッガー家は同じ時代の宗教家マルティン・ルターから名指しで糾弾される。
「一代で王に等しいあれほど巨額の財産を築くことがどうして可能なのか?それは神の教えと法に背かないのか?
100グルデンにより一年で20グルデンを儲け、1グルデンで同額さへ稼ぐ方法が私には分からない。
しかもその方法は農作や牧畜によらない。神の喜び給うことは商業は控えることである。聖書に従い土地を耕し、アダムが神に命じられたように『額に汗して汝のパンを得よ』を実行することである。」

「金貸しは地獄へ落ちる」と言われてヤーコプ・フッガーは怖れただろうか?
怖れはしなくとも、市民からの敵意は避けなければならない。
当時の論客に金をはらって好意的な演説をしてもらったりもしたが、それはたいした効果がなかった。
1519年、五十才となり余命を意識しはじめたヤーコプは「フッゲライ」を構想するに至る。
真面目なカトリック労働者のために安価な住居を提供することで、自分のために毎日祈ってくれる人々を確保したのかもしれない。

「フッゲライ」の建設運営費用はフッガー家の財産の百分の一にも満たないものだったが、五百年後の現代からみるとフッガー家のための最良の投資になった。ヤーコプの死の百年後に宗教戦争が勃発。フッガー家が王侯貴族に貸した金はすべて不良債権化した。人口が半減した南ドイツではあらゆる経済活動が止まり民は困窮したが、「フッゲライ」は逆に必要度を増した。「フッゲライ」を運営する原資として所有する森林事業からの収入をあてていたことも幸いし現在まで存続している。アウグスブルグのフッガー家がどのような人々だったのかを現代に伝えるもっとも重要な事業となっている。

あのモーツァルトの曽祖父フランツ・モーツァルトも1681年からここに住んだ。



↑右奥に見えるのはフッゲライの住民のための教会↑
第二次大戦ではこの教会を含め半数ほどの家が被害を受けたが、すぐにほぼ元のとおりに再建された。

教会の壁にとりつけられた日時計には18世紀フッガー家のモットーが書かれている↑
〝Nütze die Zeit”⇒直訳なら「時間を使え」⇒つまり、「時間を無駄にするな」という意味。

フッゲライの門は午後十時には閉ざされ、それに遅れると門番になにがしかを払ってこっそり開けてもらうことになっていた。



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