旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

屋久島下見旅余白

2021-07-15 11:08:30 | 国内
鹿児島空港を飛び立つと霧島湾にこんな島が見えてきた↓

機内誌の地図と窓から見える海岸線を比較して見つけるのを楽しみにしているが、その時は何という島かわからなかった。

後日、グーグルマップを拡大していくと、三つの島からなる「神造島」だとわかった。
桜島が近いこのあたりは火山活動で出来た島がぽつぽつ存在し、これもそのひとつらしい。
※地域の会社がこんなページを書いておられます
今は無人島だが江戸時代には漁師も住んでいたそうな。↑養殖をしている丸いいけすがみえる↑ブリかな?

そうこうしているうちに雄大な桜島↑

今日は噴煙は少ない。今、ドカーンと噴火したらすごい光景がみられるだろう…いやいやそのあと生きて地上にもどれないか(笑)

しばらく南下すると薩摩富士=開聞岳と池田湖↑
※2017年四月の《手造の旅》で訪れた時のブログをこちらからご覧ください

ほどなく屋久島が見えてくる。

となりの平たい種子島と比べて、対照的な山の島。

空港へ降りる直前に見えたこの丸いのは?↑
迎えてくださった里めぐり委員会の方に海老の養殖だとおしえていただいた。

雨の島・屋久島の山には雲がかかっているけれど

今日は、そのほかの空はすばらしい青さ(^^)
空港は大型バスも止まっていて観光需要がもどってきているのを感じた。

屋久島の海岸線には二十四の集落があり、そのなかの有志がそれぞれの集落の魅力を伝える「里めぐり」プランを用意してくれている。
里めぐり★一湊はこちらに書きました
里めぐり★春牧はこちらに書きました
二つの集落をめぐったのち、十二月の旅で連泊するサンカラホテルへご挨拶。

ここがとれなければ十二月の旅は催行しないと決めていた。

まるでバリ島のリゾートにいるかのよう。

本館テラスから見える広い敷地にコテージスタイルの部屋が点在している。本館まではゴルフカートですぐに送迎してくれる。
ここには二つのダイニングがあってそれぞれ地域の食材を生かした魅力的な料理を出してくださる。
※2017年に滞在した時の様子をこちらのブログでごらんください。後半最後の方から夕食料理へのリンクもあります
**
江戸時代半ば、屋久島に密入国したイタリア人宣教師シドッティ。

四年前、屋久島の《手造の旅》のために読んだ本の中で印象に残った一冊。
この本を書かれた古居さんにお会いして、屋久島への新たな視点を得られた気がした。
「ウィルソン杉」の名前の元になったウィルソンが戦前の日本を旅した時の写真をハーバード大学から発掘し、日本で巡回展をしたお話は特に興味深い。※こちら「やくしまじかん」のホームページにて古居さんとウィルソン、また園原咲也について書こうとしておられる話が載っています

十二月の旅でお話を聴かせていただけるように、お願いしてきました(^^)
***

屋久島で一泊するJR屋久島ホテルをちらっと見て

今日泊まるのは宮之浦の「晴耕雨読」。

ここのオーナー長井三郎さんのエッセイ「晴耕雨読」も、小松の屋久島感をつくった一冊。

入口を入ると長井さんの人生の縮図のような書架が迎えてくれる(^^)
今回もお話していただけるのを楽しみにしています。

夕飯はオススメいただいた近所の居酒屋へ↑
※ここではじめて「亀の手」なるものを食べた※写真をこちらに載せました
〆の回線茶漬け→

真っ暗な道を「晴耕雨読」に戻る

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屋久島下見~春牧

2021-07-15 10:12:09 | 国内
一歩入ると空気が変わった。

太古の昔、海底に堆積していた泥がこんな一枚岩になっている。花崗岩の山が多い屋久島では珍しい。
この上流には川の名前の由来となった高さ三十メートルの大滝があるのだそうだ。

「滝の川の一枚岩」は山奥の秘境のように見えるが、車を降りて一分で行けてしまう場所。

神秘的な雰囲気なのでここで瞑想するグループもやってくるとか。

村の中心は平家の落人:盛久を祀った神社

★伝説
平盛久は壇ノ浦合戦で敗れたのち京都に潜伏していたが捕らえられ鎌倉の由比ガ浜で処刑されることになった。今しも断頭の刀が振り下ろされようとした時、盛久の経文から光が発して処刑人の目をくらませ、太刀は三つに折れた。
別の刀を振るおうとしたところそれも壊れた。
変事の報告をきいた源頼朝は「自分も同じ夢を見た」と言い、盛久を特赦した。舞上手の盛久は頼朝の前でひと差し舞う。
※能楽「盛久」の話がこちら
京都に戻った盛久は、壇ノ浦で入水した幼い安徳天皇が実は生きて南の島に逃れたという風説をききつけ、鹿児島の硫黄島に渡る。
※硫黄島には今も安徳天皇の墓があり、末裔を称する一族もある
晩年、病にかかった盛久は薬の島=屋久島を目指して船出するが途中で亡くなり川口に漂着する。
島人は海岸近くに葬ったが変事が続くので神として改葬したのがこの神社。
春牧さとめぐりの会編「春牧里めぐり里語り読本」より要約

社殿の裏側に古い墓石がかたまっている

代々守ってきた宮司のものではないかと説明された。
昭和二十四年に安房村から分離した「春田」と「牧野」の農事組合が「春牧」集落となった。
それ以前から秋分の日に前岳の祠に参る登山は、盛久神社への祈りからはじまる。

↑境内に南国らしいアコウの木が長い根をたらしていた↑
**
春牧集落は屋久島の南東海岸に位置している。安房川が流れ込む南側の集落。

この川は昔から屋久島の奥に分け入るためのルートになっていた。
↑上の写真は水面から七十メートルに位置する松峰大橋から↑「ウラジロ」=シダの葉を飛ばそうとしております(^^)

これ、実際にやってみると紙飛行機のように川面に並行して滑空してゆく

***
屋久島の奥で切った木を海岸まで運ぶのに便利なルートは川。

川に沿って材木を輸送するトロッコ列車が建設され↓こんなふうに材木が運ばれていた

1922(大正十二年)に森林伐採のためにつくられた小杉谷集落までの十六キロが開通。
最盛期は二十六キロまで延長され、伐採が停止される1969(昭和四十四年)まで活発に利用されていた。

すぐ近くの自然公園は、実は杉の苗を育てていた。
伐採した後には、次の世代のために苗を植えることになっていたから。

今は各種めずらしい五葉松など↓


トロッコは実は現在もヤクデン(屋久島電工)が工事用に動かしている。
春牧のガイドさんは「とても眺めがよいから観光路線になるといいのに」と申されました。

****
1971(昭和四十六年)、安房中学の学生が土器がたくさん落ちているのを見つけたことから、大規模な縄文時代の住居跡が発見された。その数最大二百六十基におよぶと推察され、横峯縄文遺跡と名付けられた。

大規模な発掘が行われたがその跡地はほったらかしになり、地元の有志が縄文人の住居をコツコツ復元している。
発掘物は大学に持っていかれそうになったものをなんとか取り戻したが、展示公開への道は遠いようだ。
*****
最後に、ガイドさんが自分の畑につれていってくださった。

↑サルや鹿が入らないようにしっかり防護柵↑

中で見せてくださったこれは…

おお、さっき食べたパッションフルーツ!

こんなふうにできていたのか~。



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屋久島下見~一湊

2021-07-15 09:40:56 | 国内
屋久島でこんな景色に出会えると思っていなかった。

一湊集落の奥にひっそりつくられた↑「えがおん野」★屋久島島巡り推進協議会の方が時間調整で見せてくださった。四年前も今回も、小松の《手造の旅》にアイデアと人脈を与えていただき、感謝しております(^^)
2017年の屋久島の旅ブログ★吉田集落での里巡りはこちらからごらんください。

一湊集落は屋久島最北端で空港から四十分ほど↓鹿児島にいちばん近く、突き出した矢筈岬の東西に天然の湾がある。

荒天の時に船が避難するにも絶好で、古くから屋久島の表玄関になっていた。

近づくとスマホの地図に岬と二つの湾のカタチがみえきた↑
西側の湾↓

小さいが、ウミガメもあがってくる砂浜↑

↑二度目の島流しの途上、海が荒れてここ一湊に避難。一週間滞在したのだそうだ。2015年に記念碑が建てられた。

↑右側に突き出した矢筈岬は思ったより高い先端=屋久島最北端まで行ってみることにした。

車を降りて五分ほど歩く先導してくださった里巡りガイドさん↑背中の「鯖節」は12月の本番旅の時に見学していただこうとおもっております(^^)

木々がひらけ

先端の灯台にたどり着く。

今日は雨の多い屋久島らしからぬ(笑)青い海と空。
車の通る道の途中に「パワースポット」神社があるという。

階段を下り、海岸の道の先に赤い鳥居が見える↓

神社の奥には穴があって、そこから種子島までつながっているという伝説。

途中に漁師さんの願掛け旗

↓この奥に確かに奥には穴があった

猫が入っていき、種子島でみつかったのだそうな(^^)
**
集落の入口にある樟脳(しょうのう)工場を見せていただいた

樟脳の原料は楠のチップ↑
樟脳は衣類の防虫剤というイメージがつよいけれど、セルロイドの原料であり、安価なプラスチックが登場するまで一大産業だった。

木材をチップにして↑ベルトコンベアで煮沸窯に移動

楠のエッセンスが溶け出した液体をウィスキーのように蒸留する

そうして出てきた液体は三層に分かれている↓

↑上層は油、下は水。その間に固まっているモヤモヤした物質が樟脳↑
セルロイドは発火点が七十℃ほどと低く、映画のフィルムは樟脳が原料のセルロイドでつくられていた時代には火事になることがあった。「『ニューシネマパラダイス』を見ていてなるほどと思いました」と内室さん(右)
※こちらのページに内室さんが屋久島で樟脳づくりをはじめるまでのお話が載っております
プラスチックの登場以前、樟脳は日本中で生産されていたが今は四か所だけしかないそうな。一か月に六百キロの楠チップから六キロほどの樟脳を生産しておられるとのこと。

それでも、ナフタリンなど石油から化学的につくられる製品に比べて、匂いがすっととれてゆく清涼感で根強い人気がある。
今後も商売として続けていける道がきっとあるでしょう(^^)
内室さんにお話していただくことで、一湊を訪れる意味が何倍にもなる。
***

お昼は民宿で、地元の食材をこんな風にだしてくださった。
真ん中の鯖の燻製風味、良いですねぇ(^^) 

↑「豆腐にはこれを」といってだしてくださったのは鯖の煮汁を煮詰めたもの↑
とってもねっとりしているので、出汁で?溶いて使いやすくしたものが右↑こういうのがいつも食べておられる方の知恵です。
右の果物は

パッションフルーツ!
屋久島ではよくつくられるようになったのだそうだ。
※この後訪れた春牧では畑にも入れていただきました。

箸置きはサンゴ↑海岸でひろったもので、

こんなおしゃれなランプをつくっておられました(^^)
そこそこ良い値段で売れたのわかります。

キツイ山登りをしなくても屋久島は見所多い島。
十二月の再会を楽しみにしております!
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