秋晴れの室生寺に季節外れのしゃくなげが咲いていた。
*
橋のたもとで車をおろしてもらう。
橋向こうに紅葉
右へ折れて寺領に入り、昭和に建設された仁王門をくぐる
風はない。木の間からの陽射しが暖かい。
「鎧坂」という石段をのぼった先に
金堂がみえてきた。ここに国宝の釈迦如来立像をはじめとする珠玉の仏像が収められている。
※室生字のHPからくっきりした写真をご覧いただけます。
優劣ではなく、春と秋でこんなに雰囲気が変わるのか
※2022年春に訪れた時のブログをこちらからごらんください
もうひとつ石段をのぼって本堂へ
ここにはヒンズー教の神像を思い出させる如意輪観音像が祀られている
※室生寺のHPからご覧いただけます
国宝の五重塔
向かって横の赤いお堂には
室生寺の実質的な開祖である修円(しゅえん771-835)が葬られている↑
室生はもともと雨乞いの地で各種祈禱も行われていた。修円の師である賢環(けんかん714-793)が山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒のため五人の僧と共にここに籠ったことがはじまり。修円は師の没後に比叡山の義真(ぎしん781-833)のもとで学び、義真の死後に比叡山のトップ(座主)を称した。それはしかし仲間内の承認を得られず、比叡山を降りてかつての師と共に祈祷をおこなった室生に寺を建て、この五重の塔も建立した。台風で破損した五重塔を修理する際に木材の年代を測定したところ、修円の死の前の年には完成していただろうと思われる。
「わしをこの塔の見えるところに葬ってくれ」と言っていたのかもしれないですねぇ(^^)
車に乗って、今日は草餅をいただきます(^^)
室生川を右に見ながら走ると
↑安産寺の看板
田舎道を少し登ると
春と同じに村の方々が待っていてくださった(^^)
※今年2022年春のブログにリンクします
↑上のブログに書いたように、ここのお像は昭和になってから二度も博物館に持っていかれた。
「国宝級の像をいつ火事になるか・盗難に遭うかわからないような建物に置いておけない」という理由で。
だが、村人にとっては村の心臓を持ち去られるように感じていただろう。
↑※絵葉書より↑
「布でぐるぐる巻かれて運び出されるのを見て、子供心に寂しゅうなりました」
今日案内してくださった方は七十代で、昭和三十八年に博物館に持ち去られた時のことを覚えておられた。
今年春にはじめてお会いした時、
思えば圧倒されっぱなしだった。
二度目の今日はもう少し平常心で相対することができる。
衣の波文様は一見様式的に見えるが、靴にかかっている部分をみるとかなり写実的。
真横から見る表情は子供が微笑むように幼くなる。
現在の光背は江戸期のものと思われるが、絵葉書の写真のようにむしろ無い方がよいかもしれない。
気付けば一時間近くも滞在。
あたりがほの暗くなると、ロウソクのような下からの光に照らされる表情に命がやどっているように見える。
「この時間に見ていただけてよかったですぅ」
ほんとに(^^)
「仏像はカタチをつくって完成ではない」
解説ビデオで村の人が語っていた言葉。
何の理由かは分からないが室生寺を出て、
何百年もこの村で守られて・人々を護ってきた地蔵様は、
ここにあってこそ完成している。
すっかり暮れてから、良いお湯の宿に到着。
*
橋のたもとで車をおろしてもらう。
橋向こうに紅葉
右へ折れて寺領に入り、昭和に建設された仁王門をくぐる
風はない。木の間からの陽射しが暖かい。
「鎧坂」という石段をのぼった先に
金堂がみえてきた。ここに国宝の釈迦如来立像をはじめとする珠玉の仏像が収められている。
※室生字のHPからくっきりした写真をご覧いただけます。
優劣ではなく、春と秋でこんなに雰囲気が変わるのか
※2022年春に訪れた時のブログをこちらからごらんください
もうひとつ石段をのぼって本堂へ
ここにはヒンズー教の神像を思い出させる如意輪観音像が祀られている
※室生寺のHPからご覧いただけます
国宝の五重塔
向かって横の赤いお堂には
室生寺の実質的な開祖である修円(しゅえん771-835)が葬られている↑
室生はもともと雨乞いの地で各種祈禱も行われていた。修円の師である賢環(けんかん714-793)が山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒のため五人の僧と共にここに籠ったことがはじまり。修円は師の没後に比叡山の義真(ぎしん781-833)のもとで学び、義真の死後に比叡山のトップ(座主)を称した。それはしかし仲間内の承認を得られず、比叡山を降りてかつての師と共に祈祷をおこなった室生に寺を建て、この五重の塔も建立した。台風で破損した五重塔を修理する際に木材の年代を測定したところ、修円の死の前の年には完成していただろうと思われる。
「わしをこの塔の見えるところに葬ってくれ」と言っていたのかもしれないですねぇ(^^)
車に乗って、今日は草餅をいただきます(^^)
室生川を右に見ながら走ると
↑安産寺の看板
田舎道を少し登ると
春と同じに村の方々が待っていてくださった(^^)
※今年2022年春のブログにリンクします
↑上のブログに書いたように、ここのお像は昭和になってから二度も博物館に持っていかれた。
「国宝級の像をいつ火事になるか・盗難に遭うかわからないような建物に置いておけない」という理由で。
だが、村人にとっては村の心臓を持ち去られるように感じていただろう。
↑※絵葉書より↑
「布でぐるぐる巻かれて運び出されるのを見て、子供心に寂しゅうなりました」
今日案内してくださった方は七十代で、昭和三十八年に博物館に持ち去られた時のことを覚えておられた。
今年春にはじめてお会いした時、
思えば圧倒されっぱなしだった。
二度目の今日はもう少し平常心で相対することができる。
衣の波文様は一見様式的に見えるが、靴にかかっている部分をみるとかなり写実的。
真横から見る表情は子供が微笑むように幼くなる。
現在の光背は江戸期のものと思われるが、絵葉書の写真のようにむしろ無い方がよいかもしれない。
気付けば一時間近くも滞在。
あたりがほの暗くなると、ロウソクのような下からの光に照らされる表情に命がやどっているように見える。
「この時間に見ていただけてよかったですぅ」
ほんとに(^^)
「仏像はカタチをつくって完成ではない」
解説ビデオで村の人が語っていた言葉。
何の理由かは分からないが室生寺を出て、
何百年もこの村で守られて・人々を護ってきた地蔵様は、
ここにあってこそ完成している。
すっかり暮れてから、良いお湯の宿に到着。